第44話

9月中旬頃、沼津市大型商業施設



「…どういう風の吹き回しなんですか?弥生さん」


「…多少覚悟を決めただけ。フラレてもいい。伝えず後悔するくらいなら、砕けるのもまた青春だから」


「何があったらこうなるんでしょうか…そして何故来てしまったの私…」



紗菜の手に握られているのは一時期流行ったタピオカドリンクなるもの

この施設にある店も、かつては大いに賑わっていたのだが最近ではめっきり客入りがなく、買いやすくなったため満を持して買ってみたのだ

無論、紗菜の金ではなく弥生の金である



(タピオカドリンクに釣られるなんて、私もまだ若いということでしょーか…)



弥生に連れられて来たのはとある時計を売っている店だ

メーカー直売ではあるのだが、逆に値が張るものしか置いておらず、店員も1人しかいない

さらに、表に置いてあるのは時計ではなくカムフラージュ用の磁気ネックレスだ



(…ここの合言葉、あまり知られていないんですよね…。合言葉を言わなきゃ時計買えないはずですけど)



弥生はその合言葉を知っているらしく、店員と一言二言話して店の奥へと進んでいった

取り残された紗菜は店前のベンチに座り、タピオカドリンクを飲み続けるしかない



(あれ、本格的になんで来たの私)



プラスティックカップの中身がなくなり、余計にやることがなくなった紗菜

ふと横に目を向けると、何かが物陰に身を隠したのがかすかに見えた



(あのゴールドヘア…。凄まじく見覚えがあるような…)



身長体格を記憶領域にて検索する

出てきたのはただ1人だ



「意外と隠れるの下手ですよね、アイリスさん」


「うぅ…それ夜斗にも言われたんだよね…」



物陰から出てきて肩を落としているのはアイリスだ

日本に帰ってきたという話は聞いていないが、さして驚きはしない



「帰ってきたんですね」


「まぁ諦めきれなかったからね。けど、なんか無理そうだね…」



どうやら事の顛末を知っているらしい

いつから話を聞いていたというのか



「そうとは限らないと思いますよ?お兄様が弥生さんを好きかどうかなんてわからないじゃないですか」


「嘘。私にすらわかるのに、紗菜ちゃんがわからないなんてことありえないでしょ」



光が消えた瞳を大きく開き、紗奈に向ける

一瞬恐怖を感じた紗奈が少し後退した



「…ま、こんなの紗奈ちゃんにぶつけても仕方ないけどね」


「アイリスさん…」


「洶者も、夜斗に懐いちゃってるし…結構本格的に1人になってきたかな」



目に光が戻り、さみしげに笑った

紗奈はアイリスに目を向けるのをやめ、弥生が入っていった扉に目を向けまた座りなおす



「お兄様は、アイリスさんとの友情が壊れることを懸念していました。1度恋情を抱いてしまえば、2度と友情に戻ることはない…そう仰っていた」


「…まぁ、友達に戻るのは難しいかもね。片思いが続くだけで、どっちも耐えられないと思うし」


「それでもお兄様は、貴女を裏切っていない。連絡を断つと言いながら継続した上、今も返ってきていますよね」


「……」



夜斗がアイリスと交わした契約は、洶者についてのフィードバックをするというもの

怠ったことは1度もなく、それ故にアイリスの「勘違い」も直らなかった



「…だから余計に、未練が出ちゃうじゃんか」


「義務は履行するのがお兄様です。義務感から返された言葉は、本当にお兄様の本心から来る言葉なのでしょうか?」


「…それは」



フィードバックをするという契約であるため、夜斗は女としてアイリスを見ていたわけではない

あくまで客としての対応をしていたに過ぎず、その言葉には多少の着飾りもあったはずだ



「もし本当に、ただお兄様との繋がりを断つのが嫌なだけなら、1度その義務をやめればいいと思いますよ。それでもお兄様が言葉を投げかけるのなら、貴女への興味が消えていないことの証拠になります。そうなれば、友人に戻ることは可能です。けど…」


「恋愛を求めるなら、ここで終わる…ってことだよね」


「はい。お兄様は、存外義理堅い方なので」



そう言って笑みを向ける紗奈

残酷な現実を投げつけながらも、言葉選びには多少気を使った



(…だからここで、恋愛を取るなら…私は、お兄様のためにも貴女を切り捨てるしかない。そんなことをさせないでください。お兄様が友人だと信じる貴女をなかったことになんてしたくない)


「…まぁ、恋愛については無駄だって思っちゃったしやんないけど。夜斗のことだから、女の関係は断つんじゃない?」


「いえ?深雪さんとの関係は続いてますよ?友人として、相談相手として、ですけど」


「…小癪な…」


「ロシアンハーフの貴女がそんな日本語使わないでください」



呆れたようにため息をつく紗奈

その仕草は夜斗がやるものと全く同じで、ふと懐かしくさえも感じる



「ほんと、紗奈ちゃんは夜斗そっくり」


「お褒めにいただき光栄ですよ、っと」


「褒めてる…のかな。けどまぁ、私も覚悟を決めたよ。希望がないなら、新しく希望を灯せばいいだけだからね」



そう言い残して立ち去るアイリス

どうやって紗奈の居場所を探したのかはわからないが、何故夜斗ではなく先に紗奈に会ったのかはわかっている



(…残念ながら、そこまで残酷じゃないんですよ私は)



アイリスは紗奈から罵倒を受けるつもりだったのだ

好きな人の妹に罵倒された可哀想な女の子になれば、多少好きな人の興味を引くこともできるだろうという考えがあった

しかしそれは考えが浅い。紗奈が相手なら、尚更のことだ

その意図を組んで罵倒を浴びせることもできた。しかしそれをしてしまえば、夜斗を悲しませることになるだろう



(私は、人の思いどおりに動く気はありませんよ。それに…)



戻ってきた弥生が満足そうな笑みを浮かべている

もはや笑みと認識できない程度の表情変化ではあるが、これだけ長い付きあいがあれば紗奈にもわかった



(…お兄様と同じくらい、この方のことも大好きだから。2人が悲しむようなことは、できません)



笑顔を向けて、声をかけた

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