失い弱る2

第34話

2ヶ月後。2020年12月2日水曜日

夜斗は弥生が食事を摂る様子を眺めていた

時刻は午後8時を過ぎ、弥生は少し前に帰ってきたばかりだ



「…なぁ」


「……なに?」


「本当に負担じゃないのか?」


「何が?」


「この時間に帰ってきて2人分の飯作るの辛くねぇの?」



2年ほどこの話はしていなかったが、最近ではより強く弥生の負担が高いと感じていた

卒業が3月に迫り、就職が決まったとはいえまだ学生の身

遊びたいと思う年頃だろうと感じたのだ



「別に辛いと感じたことはない。それに、夜斗も大して変わらないと思うけど」



最近では帰宅が遅くなってきた夜斗

今日帰ってきたのも弥生が帰宅した数分後だった



「いやまぁ、帰宅時間は大差ねぇけど。だからこそ余計に、俺と変わらない時間に帰ってきてる人に家事させんの悪いなと思って」


「…それに関しては過去に話した気がするけど」


「一人暮らしの練習だろ?けどそれなら一人分でいい気もするんだが」



弥生の手が止まった



「…それは、私の家事に不満があるってこと?」


「いやそうじゃなくて。俺は俺の家事やってねぇから、俺が一人暮らしするときに困るんだよ」


「…それは、そうだけど」



建前上の解散までの期間は10ヶ月を切ってしまっている

お互いにその気がないため、建前上でそういう話をしているのだ



「別に弥生が一生俺の面倒見てくれるならそれでいいけど、そうじゃねぇだろ?お前にはお前の生活があるし、俺ばかりに構ってる暇はないはずだ」


「……一生?」


「一生。或いは弥生の一生」


「……」


「もしそうなったら、弥生が死んだら俺も死ぬしかない。俺は生活能力ないからな」



そう言うが、弥生が動けないときに代理でやると完璧な家事を行う

掃除は元々弥生が完璧すぎてやることがない

が、料理は暗記してるメニューを精密に作成しており、さらに最近では洗濯もやるようになった

どうやら弥生にとってそれは不満らしいが



「…夜斗が私を養う覚悟があるなら面倒見るのは構わない」


「そうなるだろ?今の給料じゃ無理だよ。マジで転職すっかな、そうなったら」


「…今給料上がってきたところじゃないの?」


「そうなんだが、知り合いの会社が人手不足で俺をご所望なんだよ。給料は倍だから、養うつもりなら転職したほうがいいんだ」


「…それは好きにしたら良いと思うけど」



弥生の手が動き出し、夜斗の口は止まった

どうやら食べ終わるまでは待つらしい

そして食べ終わり片付けた直後にまた夜斗が口を開いた



「転職自体はする気なんだ」


「…そう。何故私に言うの?やればいいのに」


「いや一応同居人だからよ。黙って転職して揉めるよりはマシかなと」


「そう。…どっちでも構わない。1年もせず、同居人じゃなくなる」



それは事実だ。同居人扱いなのはあと10ヶ月

どの道を選んだところで、同居人でなくなる



「そうか。ならまぁいいか。時雨に連絡すっかなぁ」


「……電話…?」



夜斗が席を離れた直後に、弥生のスマートフォンが鳴動した

普段かかってこない番号だが、その番号は弥生にとって凄まじく強い恐怖を覚えさせるものだ



「…病院」


『お久しぶりです、橘さん』


「お久しぶりです、黒淵くろふち先生」



夜斗の目が弥生に向けられた

それに弥生は気づかず、電話相手に意識を取られている



「どうかされましたか?」


『すぐに病院に来てください。危篤です』


「…!わかり、ました」



電話を切り、震えながら夜斗に目を向けた



「…夜斗」


「ああ」


「…お父さんが、危篤…らしい」


「聞いていた。すぐ支度しろ、5分で出るぞ。運転は俺がする。到着は1時間5分後だ」


「ありが…と」



力なく歩き出した弥生が部屋に入る

それと同時に夜斗も自室に入り、どこかへ電話をかけた



夜暮やぐれか」


『おう。さては聞いてたか?』


「ちょっとな」



電話をかけた相手は黒淵夜暮。夜斗の従兄だ

市立病院に勤務している新人医師ではあるが、漣と同等の知識を持つ外科医である



『状況を軽く説明する。橘弥生の父親は現在ステージ5の肺癌だ。人工呼吸器により生かされていたが、本人意思により延命措置を解除する。危篤で伝えたがな』


「現行法でそんなこと可能なのか?」


『一応な。延命措置をしない選択は書類が必要になるんだが、奥さんが用意していた。本人もそれに同意しているから尊厳死になる』


「…弥生になんて伝える気だよ」


『さぁな。遺言書の通りに言うしかないだろ。とにかく、来るならさっさとこいって伝えておいてくれ。俺もやることがあるからな』


「わかった」



電話を切り、車の鍵を掴んだ

財布とスマホを手に弥生の部屋の前で立つ



(…弥生が動いていない。突入する)



5分ほどで部屋に押し入ることを決め、鍵が開いたままの部屋に入る

そして部屋の真ん中で固まる弥生に触れた



「弥生」


「あ…夜斗」


「親の死に目に会えないのは、今感じるショックより強いぞ」


「…わかってる、けど…」


「動けないのもわかる。俺も、心はそうだった。お前がいなきゃ泣いてたかもしれん」


「…夜斗がそうなら、仕方ない…」



弥生が無表情のまま涙を見せた

そして直後、顔を歪ませて泣き出す



「…嫌な親でも死に目は悲しいか?」


「…うん」


「……ったく」



夜斗はクローゼットから服を数枚取り出し、部屋着になった弥生を無理に着替えさせた

部屋着は普通の服に比べて脱がせやすい(夜斗比)

そのためすぐに脱がせること自体はできた



(着させるのが問題か。まぁ、その程度は識ってる)



夜斗はここ数年、無意識に弥生のことを「眼」で追いかけていた

だからこそ、全ての服の着方を知っているのだ



「手を上げろ」


「…ん」



服を着せ終えて弥生のポーチに財布と家の鍵を突っ込み持たせ、車へと向かう



「ほらよ」


「…ありがと」



助手席に弥生を乗らせて車を走らせる

普段地元へ帰るときには金が無駄だといって使わない高速道路を使い、今自分にできる最速で向かっていった



「行くぞ」


「…うん」



弥生と手を繋いで動きたがらない弥生を引っ張るようにして受付へ向かう。が



「部外者の方は入れませんよ」


「は?同居人の親が危篤なんだが」 


「婚姻関係は?」


「ない」


「じゃあ無理です」


「…チッ」



弥生の面会手続きが始まった

そしてそちらは滞りなく終わり、不安げに病室へ向かう弥生の背を眺めることしかできない

イライラしながら待合室にいると、不意に見覚えのある色が目に入る



「…!」


「…よう」


「夜暮…」


「こい。俺が責任を取る」


「黒淵先生!だめですよ!!」


「…構わん。俺がルールだ」



夜暮の強引さに引き気味になりながらも、受付の人間が横に並んで行く手を阻む

しかしそれを押し通るのが夜暮だ



「…あまり黒淵家を怒らせるなよ、小娘共」



黒淵家、という言葉を出すときの夜暮は本気だ

本気で自分の意志を通そうとしている

それほど大切な意志であるということでもあるのだ



「…夜暮」


「行け。俺が何とかする」


「恩に着る」


「着なくて良い」



走り出した夜斗に夜暮が投げつけたのは、業者用の腕章だ

夜斗は転勤になる前に使ったことがある



(ありがとな、夜暮)



エレベーターは正規の手続きを踏まなければセキュリティーを突破できず使えない

そのため夜斗は階段を走ろうとした



「夜斗、ここにいたんだね」


「佐久間…」


「仕方ない、これを貸してあげよう。積もる話は後だよ」



突然現れた佐久間が投げたのはプラスチック製のカードだ

それをエレベーターボタンの下にある機械に翳すとエレベーターが起動した



「佐久間…」


「行きたまえ。病室は8階だよ」


「…ありがとな」



エレベーターに乗り込む夜斗を小さく手を振り眺める佐久間

その背後に現れたのは夜暮だった



「いいのか、恋敵に塩を送って」


「負け戦に挑む気はないよ。もう終わった話さ」


「そうかよ。随分と丸め込まれたな、夜刀神」


「丸め込まれたのは何世紀も前だよ。さて、ボクらは言い訳を考えないとね」



夜暮と佐久間は、走ってきた院長に目を向けて小さく笑った


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