断頭台に擬花を継ぐ

 町はずれに吹き溜まる埃だった。

 親はいない。生きるために盗み、何度も捕まって罰を受けた。

 物盗りは首筋に四角形のいれずみを入れられる。繰り返すごとに増える小さな模様は連なって線になり、最後に右耳の下で繋がったら、斬首刑に処される。今思えば他の地域に比べてかなり温情のある刑罰だが、それがロンという国の名残だったのだろう。

 首に死の輪を刻まれた少年は、そのころは


 あるとき、町に妙な男がやってきた。随分と老け込んでいて、本人が言うには三十前だそうだが、もうひと回り歳を重ねているようにしか思えない風貌だ。

 助長するように身なりも汚らしかった。自分たち浮浪児と変わらないような襤褸ぼろの服に、深くしわを刻んだ顔は、垢だらけのうえ頬がげっそりとこけていた。


 町の人びとはその男を見るなりさっと道を開け、顔を背ける。そして鼻を押さえて見送ったあと、ひそひそと声を潜めて囁いた。――ああ、いやだ、蘭氏らんしが来るなんて。

 男はそんな周囲の目線を気にしていないようすで、路地の端に居着いた。

 しかし奇妙なのはそのあとだ。あれほど男を疎ましがっていた市民たちが、ときどき彼に向かって食べ物や金を投げて渡しているのである。


 ただの浮浪者にそんなことをするとも思えない。少年は興味を持ち、その男に近づいた。


「おっさん、その馬拉糕蒸しパン少し分けてくれよ」

「あ? ……断る。三日ぶりの食い物なんだ」

「俺だって同じくらい食ってねえんだ! それにあんた、ここで座ってるだけであれこれ貰えるんだろ?」

「ハ、言いやがる。俺ァただ座ってんじゃねえんだぞ」


 男はそう言って馬拉糕を口に咥え、荷物から薄汚い布を出した。それを地面に拡げ、さらにそこへ妙な小物――石や獣の骨の破片らしいものを並べて、その真上で手のひらをくるくると回している。

 少年は横に座ってそれを見ていた。何をしているのかさっぱりわからなかった。


 そのあと何日も居座って観察したところ、男はいつも貰い物を食べながら怪しげなことをしていた。妙な経文を唱えている日もあれば、薬草を燃やしたり、薄く剥いだ木の皮に妙な文字を書いている日もあった。どうやら呪術師の類らしい。

 少年が孤児と察した男は、ときどき食べ物を分けてくれた。ただし手渡すのではなく、投げられた物をわざと避けて少年に拾わせるという、なんとも遠まわしな方法で。

 彼は少年が居ることを咎めなかったが、自分の商売道具に触れようとすると烈火のごとく怒った。


「なあ、おっさん。俺にもそれ教えてくれよ。よくわかんねえけど、覚えりゃ只で飯が食えるようになんだろ?」

「馬ァ鹿が。そんな都合のいい話はねえ、てめえは俺の苦労を知らねえだけだ」

「え? 何が大変なんだよ」


 男は詳細を語らない。少年が粘っていると、ふいに二人の間にそろりと影が挟まった。

 見上げれば綺麗な直裾袍きものを纏った、いかにも金持ちの家の使用人らしい人物が、少し離れたところから呪術師を見ていた。


「――蘭氏だな。我が主子あるじの命で貴様を探していた」

「ああ、そうだろうと思ってたよ」


 男は意味ありげに頷く。そして使用人がくるりと向けた背に、妙に距離をあけながらついていった。

 少年は来るなと言われたが、気になるので物陰からこっそり後を尾ける。けれど二人の行先は町で一番大きな屋敷で、門のところで見張り番に咎められそうになったので、中に入るのは諦めた。

 ふてくされながら待っていると、しばらくして出て来た蘭氏はいつもの通りとは違う方角へ歩いていく。


 町を囲っている城壁の外に出て、枯れ草の揺れる中を歩いていく男の背には、大きさの異なる斧が二本担がれている。そんなものを持っていたなんて知らなかった。

 やがて蘭氏はぴたりと脚を止め、振り返りもせずに言った。


「……ついてくるなっつったじゃねえか、坊主」

「気づいてたのかよ」

「まあな。で、今さら帰れっつっても聞きゃしねえんだろ。だったら黙って見てるこったな。

 いいか――死にたくなけりゃあ、隠れてろ。はてめえの息の音すら聞き取るぞ」


 何のことだかわからなかった。

 蘭氏は再び歩き始める。いつしか背負っていた斧を手に持ち、腰に提げていた袋から何かを取り出して口に含んだ。少年には聞き取れないくらいの小さな声で、またあの経文を読み上げている。

 寺で僧侶が唱えているのとは違う、どこか不気味な文言を。


 やがて雑木林に入り込んだ。一歩踏み入れた瞬間背筋が凍った。辺りの空気はべっとりと湿っていて、ひどく濃い血臭が漂っていたのだ。それに獣の声ひとつ聞こえない。

 少年は岩陰からこの異様の正体を探ろうと辺りを見回して、そして、気づいてしまった。


 まさに自分が身をひそめていた大岩に、赤黒いものが塗りたくられている。

 窪みには何か丸くて白いものが置かれていて、それは、その真ん中には、濁った茶色の瞳が浮かんでいた。人間の眼球に違いなかった。

 なんとか悲鳴を上げるのは堪えたものの、生きた心地がしない。


 ――奴らはてめえの息の音すら聞き取るぞ。

 先ほどの警告が脳裏で繰り返される。ここには何か化け物がいて、きっと目玉の主はそいつに見つかったのだ。

 それで、きっと、……今はもう、この世には。


 鼻と口とを必死になって手で塞ぐ。息ができない。

 心臓がぎりぎり軋んで冷や汗が止まらず、眼を白黒させながら、男についていったことを後悔した――その、とき。


 呪術師は手にしていた斧で空を切り裂いた。空振りの痕に沿って世界が歪んだ。

 薄皮をぺろりと剥がしたように、その後ろに隠れていたものの姿が顕わになる。


 それは緑色の肌をした、男よりも背の高い女だった。妙な服を着て、髪もおかしな形に結い上げて、両側のこめかみから黒い角がそそり立っている。鬼人だ。


「よう、別嬪べっぴんさん」


 鬼女は顔を歪めて、話が違う、と呟いた。

 ――このあたりに蘭氏はいないって聞いたのに。


「見たとこ一人か。故郷くにで何かしでかして追い出されでもしたのかね」

「おまえには関係のないことさ。……生きて返しちゃやれないよ!」


 人殺しの怪物が飛びかかってきても、男は平然としたようすで続ける――。


「そりゃこっちの科白だ」


 同時に振るわれた斧は鬼人の胴を真っ二つに割いた。いったいどんな魔法か呪術の賜物か、この世のどんな刃物よりも鋭い切っ先にやや遅れて、どす黒い血と臓物が断面から吹き出る。

 恐ろしいのはそのあとだ。胸と足が分かれてもその女は死ななかった。

 物凄まじい悲鳴と怒号を喚き散らす上半身を無視して、男は下半身を遠くに投げる。まるで近くにあったらまた繋がってしまうとでも言うように。


 鬼女は喚き抵抗し、口から何かを噴いた。呪詛のようでもあったし毒のようでもある、言葉で表せないようなおぞましいそれが、霧のように広がって男を包む。

 けれど呪術師は慌てた様子もなく淡々とあの経文を唱え続けていた。


 やっとわかった。それは身を護るためのまじないなのだろう。

 通りの端で延々唱えていたのも、町を鬼から守っていたのか。それで人々は彼に施しをくれてやったのだ。


 抵抗できないように両腕も斬り落としてそれぞれ別の方角に放り、胸を踏みつけて、最後はその額に斧を突き立てる。

 頭が割れそうなほどの悲鳴が上がった。ほうぼうに転がされた手足が一緒にびたん、びたん、ともがいている。

 少年は恐ろしくて直視できず、顔を背けてその声が収まるのをひたすらに待った。


 しばらくして静かになると、今度は何かが焼ける臭いがした。見れば蘭氏が鬼人の死体を燃やしていた。


「終わった。坊主、帰んぞ。……お、そのツラ、さては小便漏らしたろ?」

「も……漏らしてねえッ……、……ちょっとしか」

「ハハ。まあ、あれ見て気絶してねえだけ度胸あるぜ、おまえ。……こう言っちゃなんだが向いてるかもな」


 呪術師はそこで初めて笑顔を浮かべた。口角につられて頬の肉がきゅっと伸びて、ようやく年相応の顔に思えた。


 帰り道で蘭氏について訊いた。鬼人狩りを生業にしていて、やはり呪術師でもあるそうだ。

 今回は金持ちからの依頼だそうだから、さぞ儲かっただろうと思いきや「報酬なんざねえよ」というすげない返事。何故かと尋ねてもそういうものだとしか答えなかった。

 化け物と命懸けで戦ったのに無償だなんて、どうかしている。


「いいんだよ。鬼角粉きかくふんが手に入りゃ、それが褒美だ」

「キカクフン?」

「書いて字のごとく、鬼人の角の粉だ。こいつがねえことには咒も意味がない。それと人里に居る間は飯を投げてもらえるし、護符や薬が売れることもある」

「……おっさん」


 町の門の前で少年は立ち止まり、改めて尋ねた。


「俺を、あんたの弟子にしてくれよ」

「悪いことは言わん。止めとけ。ろくでもねえ商売なのは、さっきの鬼婆おにばばあを見てわかったろ」

「だからだよ。ああいうバケモンが他にもいるんだろ……また出くわすかもしれねえ、そんとき何もできずに嬲り殺しにされんのなんてごめんだ。

 それに――」


 少年は己の顎の下を指差した。細い喉笛を絞めるような黒線はすでに繋がっている。あと一度捕まれば、この線を目印に斬首となる運命だ。

 けれど盗みをやめれば餓えて野垂れ死ぬ。少年にとっては蘭氏の道こそが、この先も生き延びられるというかすかな希望の光だった。


 呪術師は深く溜息を吐いて、少年の瞳をまっすぐに見つめた。


「……後悔するぞ、坊主」




 男は弟子を名付けることはなく、生涯「坊主」と呼んで通した。少年もそれを悪くは思わなかった。

 数年後に彼が返り討ちにあって殺されたとき、仇を代わりに狩ったのを期に、師の名を引き継いだ。一人前になった証として。

 かつて名もなき孤児だった少年は、今は弁當ビェンダンと名乗っている。


 身体はもう怨念と呪詛で満ちている。

 もう二度と人間には戻れない。生き延びるためだけに鬼人を喰らった者は、鬼以下の畜生に成り下がったのだ。

 それでも後悔は――……。



 弁當は今、雅鳳ヤーフォン王子の鬼人帝国打倒の旅の伴である。

 妙なことに一行にはその倒すべき鬼人が混ざっている。挙句、その女と談笑する若い娘がいる始末だ。

 地味な男物の装束を纏ってはいるものの、年相応の瞳は可憐に輝いて、まるで血飛沫など一度も映したことがないように澄み渡っている。


 縁あって王家子飼いの暗殺者一族に育てられた身寄りのない娘と、蘭氏に師事した孤児。境遇が似ているようでその実まったく違う。

 彼女は人だ。獣じゃない。鬼じゃない。――己のような外道じゃあ、ない。

 それなのに、こちらの視線に気づいた娘はにこりと笑顔を返す。


(止せっての……)


 彼が『弁當』にならなければ、ただの人のままであったなら、とうの昔に死んでいた。蘭氏にならなければ、この旅に加わることもなかった。


 ――ただ、それだけの話。




 **・ 断頭台下戴假花 ・**



 花を喰らいて擬える者どもよ

  聞け 汝が根の腐り落つ音を

我が身は砕けて粉となれども

 此の恨み晴らさでおくべきや


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