彩(いろ)めく花に角二ツ(鬼人サイド)
鳥兜の秘めたる情欲
素直でかわいい娘だった。身内の贔屓目を抜いても器量が良く、そのうえ聡明で、詩や音楽の才能もあった。誰もが彼女を愛していた。
自慢の妹であったことは言うまでもない。
我にとっては妹以上の存在だった。長命であるがゆえに数が少ない我々は、兄弟姉妹で情を通ずることが珍しくもない。
つまり我ら兄妹は、男と女としても愛し合い、契っていた。
けれど菫はもういない。
妹自身の心変わりであれば、まだ諦めもついたろう。だが菫は命を奪われたのだ。忌々しい人間どもの手で!
もはやこの中原の何処をどれほど探し惑おうとも、あの子はどこにもいない。二度とその声を聞くことは叶わない。我が元には彼女の亡骸さえ残らず、最後に抱き締めてやることすらできなかった。
ああ、あと何年経とうとも、この苦しみが癒えることはないだろう。
……人間には、
我ら鬼人を殺し、命にも等しい角を奪い、それを煎じて飲むという、実におぞましき一族だ。もっとも厳密には
だが血縁の有無などどうでもいい。愛しい菫を殺したのはその蘭氏に属する者、奴らは角を採るためにあの子を屠ったのだ、その事実だけで我には充分――あの下劣な輩どもを皆殺しにする理由として不足はない。
古来、鬼人にとって人はつまらぬ隣人であった。弱く小さく何の力も持たず、食っても
その人間を好んで喰らう変わり者もいて、中には蘭氏をこそ美味と感ずる物好きもいないではない。そういう者には歓迎された。
何しろ相手は脆弱な人の中でも特別に鬼人殺しに慣れた連中ゆえ、こちらが返り討ちに遭わないとも限らない。
我ら鬼人にとって角は妖力の源。それを喰った奴らは我らに匹敵する力を手にし、生意気にも我らの真似事をして妖術すら操ってみせるのだ。まったく忌々しい。虫唾が走る。
奴らを屠るのは只人相手より骨が折れるというので、我の武功はついに
そう、先の鬼人の長は王である。当時、我らの国は東北の地にある小さなものだった。
王には十七名の子がいたが、その大半は幼少のうちに亡くなった。玉座を巡って血なまぐさい争いが行われるのは人も鬼も変わらぬものだ。
我は、中でも特に月季王が溺愛していた末の王子、
王はすでに次の王位を彼のものと定めていた。まだ幼い彼が成人するまでの間、他の腹違いの兄弟やその母妃らが、あらゆる手で暗殺を目論む。我が任務はそれらを排除し太子を護ることである。
そうして長い歳月を経たある日、すっかり成長された玄陽太子は仰った。
「
「何処まででも、たとえ地獄の底へでもお供致します、殿下。貴方がもう良いと仰るまでお傍を離れますまい」
「ふん……ではその言葉、今これから証明してもらおう。ついて参れ」
斯くして我々は、武力によって月季王を廃した。側室を含めた彼の后妃らと子どもたち――つまり玄陽からすれば腹違いとはいえ兄弟姉妹の全員を、彼らに仕える侍従も含めて皆殺しにした。
さらには官吏のうち太子に従う態度を示さなかった数名を捕縛し、見せしめとして宮殿の前にその亡骸を晒した。
数日間に渡ったこの反逆劇を、誰かが「血花の戴冠」と呼んだ。
太子は永らく待っておられた。己が成人し、すべての鬼の長となり、徒に生命を脅かされなくなる日を。
けれども鬼人の生涯はあまりにも永い。つまり――力ずくで父王を廃さねば、いつまで経っても己の天下が来たらず、でなければ安寧もあり得ないとお考えになっていた。そして幼少より苦難を生き延び続けてこられた経験から、手段を選んでなどいられないと結論づけられたのだ。
だが、念願の玉座と冠を得たのちも、彼が安らぐことはなかった。
少しでも不穏な動きを見せれば即座に始末される。新たな宮殿はひどく窮屈な場所となり、耐えかねて本当に謀反を企てた者もいたが、すべて死んだ。
正室を定めず、入れ替わりの激しい側室は誰ひとり子を生せぬので、未だ世継ぎはいない。いや、彼はむしろそれこそを最も恐れているのかもしれない――篤い寵愛を受けた太子すら、父親を殺して玉座を
「……それほど何もかもを懼れておられるのに、なぜあの女を傍に置かれるのか」
最愛の妹を失って以来、我は女を愛したことがない。菫より尊い女など居らぬと思っていた。
人と違って鬼には色彩がある。高貴な身分であるほど色が濃く、王族は黒。その下に赤、青、緑、黄、と続く。
黄色よりも薄く、つまりほとんど色を持たない白い鬼は、鬼人の中でもっとも地位が低い。
容貌も人と大して変わらぬようなみすぼらしさだ。ゆえに姓もなく官位も与えられず、大半は生涯を
肉に臭みがないので上位の鬼に食されることもあるが、彼らにとっても貴人の
もっとも白鬼の肉など滅多に食べられるものではなくなった。数十年前のある時期、彼らは大幅に数を減らしたので、今では王族すら稀にしか食せぬ高級食材である。
……そのような卑しい種族の生まれでありながら、我が君の寵愛を受ける妙な女がいる。
それが近年の我の悩みの種である。いや、種であるうちはまだいい。我はそれを芽吹かせぬよう、注意深く
彼女の真名を誰も知らず、帝は
だが、あくまでその地位は奴婢のはず。それを玄陽帝――すでに多くの地を平らげ巨大になった国で、我が主君は自らを皇帝と称するようになっていた――は明らかに側室と同等に扱い、遠征や行幸の供にも彼女を選んで、片時も傍から離そうとはしないのだ。
今なお近衛として傍をお守りする我からしても、麗花はいつも近くにいることになる。
あの女はいつも微笑を湛えている。腹の内が読めず薄気味悪いと思うのに、いや、だからこそか、なぜだか眼を逸らせない。
彼女の汗が香に混じって甘く薫るたび眩暈がする。その目映くすべらかな白い肉は、きっと食めば柔らかく我が牙の下に弾み、噛み裂けば芳醇な血が滴ることだろう……。
そんな夢想がたびたび脳裏を過ぎり、我はひどい罪悪感に襲われる。
わかってはいるが――皇帝の寝所に踏み入れる権限のある者は極めて少ない。夜半に緊急の知らせを届けねばならぬとき、我は意図せず麗花の甲高い嬌声を聞き、むせ返るような薫香の中、褥に沈んだ肢体を目の当たりにする。
いつもの薄ら笑いすらも失せ、息も絶えだえの彼女に虚ろな眼差しを送られたあとで、詰所に戻る道すがら……我が身に灯った灼熱の狂気は、夜の涼風ごときで醒めてはくれぬのだ。
これは罪だ。誰にも知られてはならぬ我が心の秘密。このような心持ちを、人の言葉では墓場へ持っていくと称するらしい。
だが死してのちはどうなる?
我はそれがもっとも恐ろしい。斯くも卑しい劣情を抱えたまま黄泉に渡って、どんな顔をして菫に逢えば良いのだ。
妹よ、兄は決して堕落したのでも心変わりをしたのでもない、ただ青白い毒婦に惑わされただけなのだと、情けなく弁明しろというのか。
一体どうしてそのような馬鹿げた理由で、誇りある武人が死を恐れなければならぬ。
考えるほどに羞恥で頭が割れそうになる。
我が前にあの女さえ居なければ。出逢っていなければ。あるいは、彼女が玄陽の妾でなければ……。
我が君よ。他の哀れな側室たちのように、あの女も殺せと、我に命じてくだらないか。
このごろはそればかり考えます。どうせ触れられぬ女なら、その命を手折る任が欲しいのです。
ああ、かような我が心情をお知りになれば、貴方は我を許しますまい――。
** 附子隠蔵的欲望 **
忠誠篤き蒼の騎士は
千人殺しの猛毒の花
白き毒婦に惑わされ
身を蝕むは己が心毒
*
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