第9話


 人が多いチェーンの喫茶店。俺はアイスコーヒーをすすりながら、氷華ちゃんの様子を眺める。


 もはや自分の安全は保証されたというのに、氷華ちゃんの様子は変わらず……いやむしろ。


「はぁ……はぁ……はぁ……あへ」


 <ストレスと恐怖で息荒いでて草

 <楽しんでる風だそうと、変な笑いなっちゃってて

 <可哀想すぎて可愛い

 <氷姫の面影ねえなあ

 <これがナンパにヒーローが現れなかった世界線か……


 コメ欄でも散々な言われよう。


 ノリに任せて喫茶店に入ったけれど、失敗だったな。


 怯えられるのも、それを見る周囲の目も気まずいし、ここは即退散が吉か。


「あのさ……」


「は、はい、何ですかっ!?」


「そのぅ、ノリで喫茶店まで誘ったけど、ほんとう無理しなくていいからね? 全然帰っても大丈夫だから」


「なななないです! 無理してなんかないです!」


「いやでも……」


「大丈夫、大丈夫ですから、殺さないで……」


 <これがモラハラか

 <いや脅迫か

 <機嫌を損ねるなって意味でいい?

 <なんか部活の顧問に帰れって言われた時思い出しちゃった

 <それ絶対帰っちゃダメなやつな


 本気で帰っていいんだけど……。


 こうなったら帰れる隙を作ってあげよう。


「氷華ちゃん、ちょっと俺、長ーいトイレに行ってくるからね」


「え……」


 俺は席を立ってトイレに入る。そして、リスナーに向かって語りかける。


「ねえ、これどうなる予定だったの?」


 <助けてくれてありがとうございました。あなたは他の男と違うのね。ってなる

 <喫茶店で話が弾んで『こんな男の人初めて……ぽっ♡ 』ってなる予定だった

 <強い上に話も合うなんて……あ、私、好き。ってなる


「何だよ、その馬鹿みたいな話は……」


 <は?

 <またか?

 <おうちどこ?


「っていうのは冗談で、まだイケると思う?」


 <もう無理だよ

 <早く帰してあげて

 <可哀想


「だよな。まあ今頃逃げてると思うし……」


 と配信画面を見ると、氷華ちゃんは逃げるそぶりもなかった。


 え、なんで?


 そんな疑問に答えるかのように、カメラは何かぶつぶつ呟いてる氷華ちゃんを映した。


 音声聞き取れないかな、と思うと、脳内に声が聞こえた。


「名前覚えられてた……逃げても無駄逃げても無駄逃げても無駄逃げても無駄逃げても無駄逃げても無駄……」


 思わず頭を抱える。


 そういや、つい名前読んじゃったわ。どうしよう、これ。


 <逃げられないと思い込んじゃったw

 <帰れないの可哀想w

 <帰してやれよw


「いや俺も帰したいんだよ。とりあえず、行ってくるわ」


 俺はそう言い残して、トイレを出る。


「あ……帰ってきちゃった」


「うん、その、さ。大丈夫だから、本当に帰っていいからね?」


「そ、そんな滅相もない!」


「いやえっと、本当に何も危害を加えないから」


「ぎ、ぎくっ……い、いや、何かされるのを恐れてここにいるわけではないです!」


「あーうん。じゃあ、そのさ、あれ、用事とかあるんじゃない?」


「塾は休みます!」


「ええ……じゃあ、テレビとか配信とか見たいのないの?」


「登録者14人の時から追ってる配信者の誕生日配信ですけど、全然いいです!」


「そろそろ桜散るよ」


「あ、それはちょっと……い、いや! 今は5月上旬もう散ってますので、ってすみません! あなたとお茶の方が大切です!」


 これ、どうやったら帰ってくれるんだ。


 <いやもう帰れよwww

 <帰そうと必死でわろける

 <桜で揺らいじゃったの可愛くて草


 いいや、もう俺から席を立とう。


 と、帰ろうとすると、氷華ちゃんは涙目になった。


「ご、ごめんなさい。機嫌を損ねてすみません。もう不快な思いさせませんから許して……」


「いや、そういうのじゃなくて……」


 怯えた涙目で見つめられて、俺は席に座り直す。すると、氷華ちゃんはほっと息をついた。


 本当、どうすればいい?


 助けを求めてコメ欄を見る。


 <おっ、助け欲しそうだな

 <ここはもう、満足したフリで安心させよう

 <こういう時は、趣味の話を振るんだ。それで意気投合してってパターン

 <それだ、それで大逆転を狙うしかない


 趣味の話……か。


 俺の趣味なんて、web小説くらいだし、盛り上がれる気はしないんだけど。


 まあ聞くだけ、聞いてみるか。


「あーその、氷華ちゃんって趣味とかある?」


「え……あ、はい、ありますあります、その読書を少し」


「へー、同じだ。どんなの読むの?」


「えーと、ユベール・マンガレリだとか、描写が綺麗で心が満ちるっていうか……あ、トルストイとかもいいですね。あとは……」


 氷華ちゃんはわけのわからん外国人の名前をつらつらあげて語る。


 <純文学か〜

 <本好きなんだろうな

 <ラブコメとは無縁そう

 <話してるうちに緊張解けてきてない?

 <好きなものの力はやばいな


「あ、私ばっかり話してすみません」


「いや、いいよ」


「えーと、その、貴方はどんな本が好きなんですか?」


「ダンジョン配信者の俺が、低ランクダンジョン攻略動画を上げた件について〜え? ここ低ランクじゃなくて最高ランクだった? バズりすぎて困るんだけど〜」


「え、何、え?」


「ダンジョン配信者の俺が、低ランクダンジョン攻略動画を上げた件について〜え? ここ低ランクじゃなくて最高ランクだった? バズりすぎて困るんだけど〜」


「あー、えっとぉ、それってもしかして本のタイトルですか?」


 <www

 <まあ純文学好きのパンピーからしたらそうなるわなw

 <めっちゃ微妙そうな顔してて草


「えーと、そのぉ、あんまりそういう本は読まないんですけど、いいと思います。はい……」


 <めっちゃ気遣われてて草

 <おい、趣味丸出しにするなよ! 相手に合わせろ!

 <ちゃんと趣味合わせていけ


 相手に合わせろったって固い本なんか読まないしな。適当に言うか。


「ボルド・エスタブリシュの『黄色い海』とか読んだことある?」


 <そんな作家いねえwwww

 <無理やり合わせに行ったwww

 <バカすぎて草


「ボルド・エスタブリシュ……すみません、聞いたことないです」


「本当? じゃあ、ポーク・ビーファーの『フィッシュオアチキン』は?」


「えーと……そのぅ、すみません」


「んー、なら、チョコ・ブランデーの『八人は猫狐の扇風機』は知ってるでしょ?」


「へ、へー、そんな作家さんと小説があるんですねー……」


 合わせに行ったのにダメか……はあ。


「た、ため息……す、すみません、やっぱり知ってました!!」


 <おいw ため息ついたせいで、がっかりしたと思われたぞ


「え、まじ?」


「は、はい。本好きの私が知らないわけないです」


 <ちゃんといないから知ってるフリするなよw

 <そのフォローは悪手だ


 本当にいるんだ、ちょっと興味が湧いてきた。


「何の作品を知ってるの?」


「え、えーと、チョコ・ブランドー?」


 <チョコ・ブランデーな

 <チョコ・ブランデーな、ってなんだよ

 <チョコ・ブランデーな、ってなんだよ、ってなんだよ


「えっと、チョコ・ブランドーの……えーと、あの、はい。『恋見るヤギは錦鯉』とか名作だと……はい、思います……」


 <ひねり出したw

 <終わってるネーミングw


 え、本当にあるの?


 もしあるんだったら、振ったからには合わせないと。


「あーあれね。面白いよね」


「え!? あ、ああ、そそそそうですよね、面白いですよね」


 そう言った氷華ちゃんは追い詰められた表情になった。


 <「あるんだ……ゃばい、読んでないのがバレたら殺される……」って顔してるwww

 <自分で言って追い詰められてて草


「特にどんなシーンが好き」


「ひぃっ……その、えっと、その、人間水切りで十回こえなくて号泣するシーンとか……」


 <もう目ぐるぐるで無茶苦茶言ってて草

 <どんなシーンだよw


 えぇ……そんな小説なの……。


 ってか。


「どんなシーン好きなんだよ。こわっ、この子こわっ。はいこれ。お金やるから、もう近づかないでくれ」


 恐怖に抗えず、千円札を置いて俺は店から逃げ出した。


 <そうはならんやろw

 <店に残された氷華ちゃん狐につままれたような顔してててw


 配信画面を見ると、氷華ちゃんはぽつりと呟いていた。


『こんな人はじめて……』


 あれ、これ大逆転したのでは? とコメ欄を見る。


 <そりゃそうだろw

 <本当にはじめてだよw

 <やばすぎて草


「あー、大逆転していない感じ?」


 <当たり前だろw

 <www

 <ずっとまけてるよw


「どうやら今回も失敗だったみたいだなあ。まあ、あんな趣味の悪い子に捕まらずに済んでラッキーってことで、配信しめます。またの配信をお楽しみに!」


 <さんざんに言われてて草

 <乙

 <また楽しみにしてんわw


 そうして俺の二回目のラブコメ配信は幕を閉じた。

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ラブコメ世界に転生したので、ラブコメ配信者になります。定番ネタに翻弄された結果、予想外にバズってしまった件 ひつじ @kitatu

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