第3話:ジェイク 第1章

 青く晴れ渡る空を、二羽の鳥が競うように飛んでいく。

 舗装されていない道の脇には、名も知らぬ花々が爛漫と咲き誇り、辺り一面に甘い香りを漂わせていた。その間を、薄紫色の艶やかな蝶がひらひらと舞い踊る様子は、まるで一服の絵画のような美しさだ。

 麓の町に向かう一本道を、ルカは意気揚々と下っていた。軽快な足取りを受けて、明るい陽射しに透けた薄茶色の髪が、サラサラと揺れる。

 愛らしい少年の楽しげな姿に惹かれてか、町に近付くにつれて点在し始めた家々の庭先から、親しげな声が掛けられるのはいつものことだ。

「あらルカちゃん、今日も可愛いわね」

「ご機嫌でどこに行くんだい?」

「日が暮れるまでに帰るんだよ、最近物騒だからね」

 子供じゃないんですけど、と思いながらも、それが完全なる善意からの言葉であることは知っている。可愛がって貰えるのも悪いことではないので、ルカは一つ一つの声に笑顔で応えながら、軽やかに先を急ぐ。

 ルカがご機嫌なのには理由があった。なんたって、昨夜ついに祖母から、魔王討伐のための斥候隊せっこうたいに加入するお許しを得たのだ。魔王をたおす予言を得て生まれたとはいえ、力を持たないルカにとって、闘いの旅に出るのは恐ろしいことではある。しかしこれで、「予言の子供」として、最低限みんなの期待には応えられるのだ。好意に胡坐あぐらをかいているような気分になることもない。目的があるというだけで、この世界で堂々と生きていけるような気がするから不思議だ。

 ルカはやがて、町の目抜き通りに入った。舗装された石畳の道を踏み締めながら向かう先は、幼馴染みのジェイクの一家が営む薬剤店だ。

 祖母からは斥候隊加入の条件として、「私以外に、あなたを守ってくれる人を3人連れて来ること」という条件を出されている。

 ルカはまず、祖母に成長を認めてもらうために協力してくれた、ジェイクを勧誘するつもりだった。幼馴染みということもあって一連の事情を共有しているし、住所も近いため、声を掛けやすいというのもある。

 しかし何より、彼を最優先に考えたのは、その資質によるところが大きい。

 ジェイク・エヴァンズは、ハーフェルの町で3代続く、薬剤店の跡取り息子だ。寡黙であまり感情を面に出さないため、一見商売には不向きかと思われがちだが、勤勉で実直な人柄から、人々に広く信頼を寄せられている。

 190センチ近い高身長に、筋肉質でがっしりとした身体つき。実際に武器を手に取って闘うことにも長けており、悪漢や魔物相手の武勇伝にも事欠かない。

 精悍な顔立ちをしており、密かに彼を慕う女性も少なくはない(注:ルカ調べ)のだが、当の本人にまったく気にする様子のないところが最高にクールで、その意味でも町の少年達からは、憧れの眼差しで見られていた。

 現在は妹と共に、両親の店の手伝いをしているが、実質は町の用心棒のような存在だ。

 恵まれた体格や能力の数々を取ってみても、一介いっかいの薬屋で終わっていい人物ではない。彼自身も、その能力を活かせる場所を求めているのではないかと、ルカは常日頃から考えていた。

 ――魔物討伐依頼の時も、すごく楽しそうだったもんね!

 ルカのお願いでついて来てもらったクエストだったが、ジェイクが生き生きしていたように感じられるのは、絶対に思い過ごしなどではない。

 だからこそ、斥候隊への加入は彼にとってもプラスになるはずだと信じて、ルカは勇んで町へ降りてきたのである。

 ちなみに、「まずはジェイクを誘おうと思ってるんだ」と打ち明けた時、もう一人の幼馴染みであるユージーンが、ひどく複雑そうな顔をしていたことに、残念ながらルカは気付いていない。長年の信頼が生じさせた齟齬そごは、この後無視することの出来ない大きなひずみを生むことになるのだが――それはまた後日に譲るとして。


 町の大通りの中心部、噴水広場に程近い場所で、ルカは足を止めた。

 人々の経済活動から発生する喧騒とは明らかに一線を画した、口論のようなものが聞こえてくる。噴水そばの一等地に建つ雑貨屋の前に、人集ひとだかりが出来始めていた。中心では2人の男が激しく言い争っている。家族の悪口を言ったとか言わないとか、そんな話のようだ。

 躊躇しながらも、ルカはちょこちょこと人垣に近付いていった。エヴァンズ薬剤店はその雑貨屋の前の道を右折した先にある。目的地に向かうためには、嫌でもそのいさかいの現場を通り過ぎなければならなかったからだ。

 ルカが歩み寄る合間にも、20代後半と思われる男達は益々エキサイトしており、辺りには緊張感が漂い始めている。

 このまま通り過ぎるのは薄情かな、でも何も出来ないのにこの場に留まるのも野次馬みたいだし、などと悩みながら、ルカはぐるりと群衆を見回した。

「――!」

 思わず足を止めたのは、ルカがやってきたのとは反対側に、見慣れたジェイクの姿を見止めたためだ。頭一つ抜きん出ているのもあって、特に目立つ。気持ち眉をひそめたジェイクの隣には、スラリと背の高い少女が寄り添っていた。彼の妹のシェリルだ。

 2人一緒に配達だろうか。ルカがそう考えたところで、周囲から悲鳴が上がった。どちらかといえば背の高い方の男が、相手の胸倉を掴んだのだ。

「てめぇ!!」

「――待てよ。落ち着けって」

 一触即発の事態に誰もが息を呑む中、冷静な声が割って入った。群衆の中から進み出たジェイクが、力ずくで2人を引き剥がす。

 気勢を削がれた男達は、一瞬怒りの矛先をジェイクに向けかけたが、相手が誰なのかを認識した途端、一方は焦った様子で舌打ちし、もう一方は歯噛みした。ジェイクを知っているか、そうでなくても評判くらいは耳にしたことがあるのかもしれない。

 しかし、血気盛んな男達は引き離されてもなお、互いを批難することをやめなかった。

「コイツが俺の弟を、無駄飯喰らい呼ばわりしたんだ!」

 背の高い方が糾弾すると、

「お前自身がいつも言ってることじゃねえか!」

 相手もすかさず言い返す。

 見かねたジェイクが、比較的背の低い方の男に向き直った。

「家族が言うのと他人に言われるのは話が違う。アンタだって、どんな不出来な奴でも、自分の身内が悪く言われるのは気分悪いだろ?」

「……」

 静かな声に諭され、男は気まずそうに視線を剃らした。ストレートなジェイクの言い分を、もっともだと感じたのだろう。自分のことと照らし合わせてみれば、答えは自ずと明らかだ。

 ややあって、バツが悪そうに小さく頭を下げる。

「――すまん。調子に乗りすぎた」

 落ち着きを取り戻した様子に、ジェイクは男達を押し止めていた手を離した。この判断は間違っていなかったようで、謝罪を受けた男の方も、「いや」と慌てて首を横に降る。相手の素直な態度に、一人で怒っているのが恥ずかしくなったのかもしれない。

「いや、俺も……家族の愚痴ばっか聞かされても、気分悪いもんな」

 悪かったよ、と頭を掻いて、背の高い男は苦笑いを浮かべた。そもそも、普段から家族への不満を言い合うような仲なのだ。友人の謝罪を受け入れるのに、理屈は必要ない。

 ――ジェイクすごい!

 ルカがひっそりとガッツポーズを決め、周囲から安堵と感嘆の囁きが零れ始める中、当のジェイクはというと、彼もまた精悍な顔に、うっすらと苦い笑いを浮かべていた。男達に向かって、小さく肩をすくめて見せる。

「俺も、他人が余計な口出しして悪かったよ」

「!!」

 まさかの謝罪に、男達はぶんぶんと首を横に振った。

「いやいやいや! 助かったよ!」

「お陰で頭が冷えたわ」

 すまねぇな、みんな! と、2人が群衆に向かって呼び掛けるのと同時に、わっと喝采が起こった。見事に場を収めたジェイクに対し、盛大な拍手が送られる。

 幼馴染みの立派な態度に、ルカも一緒になってパチパチと両手を叩いた。自分が何も出来なかった分、余計に彼が誇らしい。

 近くに居たおじさん達が「頼りになるな」「さすがジェイク」などと誉めそやすのを、我が事のように喜んでいたルカだが、ジェイクが妹の元へ戻り、今にもその場を立ち去りそうなことに気付いて、慌てて駆け出した。称賛の嵐にも顔色一つ変えないのが、いかにもクールな彼らしい。

「ジェイク!」

 声をかけると、ジェイクはピタリと足を止めた。振り返り、ルカの姿を見止めた瞬間、キリリとした男らしい容貌が優しく微笑む。側で見ていた女の子二人連れが、小さく悲鳴を上げた。寡黙な二枚目による、突然の笑顔の威力は計り知れない。

「――慌てるな。転ぶぞ」

 即座に注意を促しながらも、ルカが駆け寄るまで待っていてくれるのは、いかにも彼らしい思い遣りだ。

「こんな何もない所で転ばないわよ」

 兄の過保護ぶりに、呆れたようにシェリルが溜め息をついた。直前まで、人々の称賛と感謝をほとんど無表情のまま軽くいなしていたくせに、と言わんばかりの態度だが、彼女もまた当たり前のように足を止めて、ルカが追い付くのを待っていてくれる。

 シェリルは、ルカよりも2つ年上の18歳。ジェイクと同じ黒髪に蒼い瞳の可愛い系美人だが、毒舌な割にツンデレっぽいところは、あちらの世界の姉と似ているような気がして、何だか憎めない存在だ。ルカに関しては「私よりも可愛い彼氏なんて絶対無理!」と常日頃から公言しているものの、取り敢えず憎からず思ってくれていることは理解している。ルカとしても同世代の友達感覚で、付き合いやすい女の子だった。

「どうした?」

 人混みを縫いながら、ようやくルカが2人の元に辿り着くと、ジェイクの方から尋ねてくれる。口許が緩んだままなのは、ハイウエストのローブを広げて走り寄る、ちょこちょことしたルカの動きが小動物のようで可愛らしかったためなのだが、賢明なジェイクがそれを口にすることはない。

 幼馴染みの「カワイイもの好き根性」をバキバキに刺激しながら、気付かないルカは「エヘヘ」と誤魔化すような照れ笑いを返した。改めての勧誘となると、少し緊張する。

「ジェイクに話があって、お店に向かうとこだったんだ。二人は配達?」

「ああ」

 問い返したルカに、ジェイクがこくりと頷いた。何でも、シェリルが二週間に一度、持病の薬を届けている独居老人のアダムスさんが腰を痛めたため、溜まった力仕事を片付けに、ジェイクも同行した帰りなのだそうだ――さすがのエヴァンズ薬剤店。痒いところに手が届く、抜かりないサービスだ。

「取り敢えず、荷物置きに戻った方が良くない?」

「そうだな。――行くぞ、ルカ」

 こちらの意を汲んでくれたらしい2人に促され、ルカは当初の予定どおり、エヴァンズ薬剤店へ向かって歩きだした。立ち話の間に人集りは粗方あらかた解消されており、田舎町の大通りは普段の歩きやすさを取り戻している。

道すがら、我慢できなくなったルカはワクワクしながら、先程のジェイクの勇姿について触れてみた。

「さっきのジェイクさ、凄かったね!」

 怒号と悲鳴が飛び交う中を、仲裁に入る。相手は自分ほどではないとはいえ、それなりに屈強な男性2人だ。腕に覚えがなければ出来るものではない。

 しかも、ジェイクは喧嘩を止めただけでは終わらなかった。

「最後にジェイクも謝ったじゃん? なかなか出来ないよ、あんなこと!」

 彼が口出しを詫びたことで、当事者2人も、周囲の人々に迷惑をかけていることに思い至った様子だった。

「あんなに綺麗に揉め事を片付けられるなんて、さすがだよ!」

 あの時の高揚感を思い出し、ルカは尊敬の眼差しで、幼馴染みを見上げた。

 しかし、ルカとシェリルの歩幅に合わせてゆっくりと歩いてくれているジェイクは、なぜか苦い笑いを浮かべて視線を逸らす。

「まぁ、余計なトラブルを抱え込まないためにも、な」

「……」

 妙に言い澱むようなジェイクの向こうで、シェリルもまた、何事か考え込むような様子を見せる。

 あれ? と違和感を覚えたところで、一行はエヴァンズ薬剤店に辿り着いた。

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