第9話 緊急招集

 ある朝、一矢は事務所の掃除をしていた。


 一矢は今、事務所に住み込みで働いている。家族と過ごした思い出のある家で過ごすのが少しつらかったからというのが理由の一つ。


 もう一つは壁ごと破壊するようなつぐみの突撃で窓に開いた大穴と、銃声騒ぎが近所でウワサになっているようで近隣住民の視線が痛いからだ。


 弾痕と霊障騒ぎで壊れたドア、そしてつぐみによって破壊された窓の修繕費用は椿が肩代わりしてくれた。その代金は当然借金に加算された。


 仕方がないので大学は休学してしばらく一矢は仕事に専念することになる。


 そして第一助手となった先輩のつぐみに押し付けられるような形で、一矢は事務所の様々な雑事を任されるようになった。


 どこから出てくるのか、つぐみが床に落とした羽根を箒で片づけていると、熱心に漫画を読んでいるつぐみのセーラー服の襟からパッと黒い羽根が飛び散った。


(興奮すると羽根が出る仕組みなのか……)


 そして所長である椿の様子はというと、苛立ったように机を指でトントンと叩いていた。


 スペクトルの力を吸収してからは、小さい仕事を一矢に押し付けて書き物をしたり、読書をしたりと悠々自適に過ごしているように見えた椿だったが、最近は一矢に対して少し当たりが強くなったと彼は思う。


 そんな様子の椿を見ていると、ふと二人の目が合い、一矢は慌てて目をそらす。


「……いい加減、返してくれないか?」


「お、お金なら給料から天引きされて少しずつ返済しているはずですが……」


 一矢には自身の治療費、スペクトルの討伐費用、マンションの修繕などで二千万円近くの借金が椿にあった。その督促だと思った一矢の全身から汗が噴き出す。


「そうじゃない。“赤口”しゃっこうを返してくれと言っているんだ」


「え……?」


 椿響子という死神が唯一持つ権能、“赤口”。


 匕首の形をして顕現するそれは、死神へ絶大なダメージを負わせる特攻武器だ。


 一矢を延命させ、スペクトルを始末するのに使われたそれは、闇医者アオイによって取り除かれ椿に返還されたはず、だった。


 だが、椿曰く赤口の出力が完全ではないらしい。かといって一矢が胸に手を当てても、かつて赤口を取り出したときのような気配は微塵も感じない。


 さらに言えば、一矢はまだ死神としての特別な権能を持っていなかった。


 何かを狩りたいというような衝動もなかった。


 ないはずのものを持つと言われ、あるはずのものを持たない不可思議な死神。それが今の一矢だった。


「返せって言われても……その、どうすれば?」


「どうにかしろ」


「そんな……」


 あぜんとする一矢の下につぐみが駆け寄ってきた。


「ちょっとちょっとー! わたしの後輩をいじめるの、禁止ー!」


 椿の鋭い眼光から逃れるべく、思わずつぐみを盾にしてしまう一矢。


「ふっふー。頼れる先輩ってこういうことだよね!」


「ふん。あまりその妖魔に入れ込むなよ。頭かち割られて脳みそを吸われるからな」


「ひっどーい! いくらツバキさんでもそれは許せないかも!」


 掃除したばかりの場所に羽根が落ちていく。


 椿とつぐみが口喧嘩を始め、赤口の件はうやむやになった。が、一矢は一息つく暇もなくガラスが割れる音に驚き箒を取り落とす。


 飛び込んできたのは首にピンクのリボンを付けたトラ猫……のような生き物。


 二頭身の一見ぬいぐるみにも見える「それ」は空中で器用に回転し、二本の足で所長机に着地した。


「しょうしゅうかかった」


 その猫は幼い女の子のような声で椿を見上げ話しかけた。


 「それ」を見た椿はため息をついて、手のひらを振って追い払う仕草をする。


「招集には応じない。大物を狩ったばかりなのでね。そちらの斡旋する賞金稼ぎのような仕事は当分しなくてもよくなった」


「むり。とくべつなやつ。こないとけんのうはくだつ。ごしゅじんとごしゅじんのあねぎみたちいってた」


 言葉を操る奇妙な猫の言葉が正しければ、死神としての権能を剥奪する権利を持つ、死神の上位存在的な何かの使いらしい。


 その言葉に椿は驚きの色を見せる。


「それだけのことをしなければならない事態が起こっているとでもいうのか?」


「そゆこと」


「知っていることを話せ」


「ポコちゃんいまいそがしい。じゃ」


 捕まえようとする椿の手をすり抜け、割れた窓から飛び出していくポコちゃんと名乗る猫。


「まともなしつけをするように“ご主人”に伝えておけ!」


 猫の使いを怒鳴りつける椿。椿がここまで冷静さを欠く“ご主人”という相手は、何か訳ありなのだろうか。それともよっぽど猫が嫌いなのか。一矢は訝しんだ。


「……今のは一体?」


「“ヴァルキリー”の使い魔だ。払い下げられたあの駄目猫たちをいつまで使うのか知らないが、あの神経を逆なでする茶色いやつがこの辺りを管轄している」


「ポコちゃんのこと久しぶりに見たかもー」


 のんきに言いながらソファーに座って再び漫画を手に取るつぐみ。割れた窓の掃除は一矢に任せたつもりらしい。


「権能剥奪がペナルティーの招集だと……?」


 椿は考えこんでいる。刺激しないのが得策だろうと一矢は思った。




 同時刻、都内の廃ビルにて二人の男が対峙していた。


 一方は軽薄そうな青年で、もう一方は素性のうかがい知れない黒いローブを着込んだ男。


「おいおいマジかよ!? こんな力をタダでくれるってのか!? 後だしはナシだぜ!」


 胸を押さえながら青年が興奮気味に言った。


「ああ。好きに使うといい。こんなもの我々には元々必要ないのだから」


 もう一人の男が告げた。


 青年が胸から手を勢いよく離すと、メラメラと燃える炎が鞭のようにしなり、床を焦がした。


 何度も力を試す青年を尻目に、黒衣の男は立ち去る。


 彼がこのように人間相手に力を授けたのは今日で五人目だった。


 興味本位で能力を使い、破滅するような人間を探し出すのは中々に難しいと男は感じる。


 彼が行っていたのは死神としての権能の授与。それは椿響子が天ケ瀬一矢に行った一時的な権能の貸与とは全く性質が異なる。


 そして、どんな能力が発現するかは与えられた側の才覚次第。


 これは死神が自身を縛る「誓い」や余計な「権能」から解き放たれるための、世界への明確な反逆行為だった。



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