第28話 スイス産の人造人間

 そうだ‼ 其れならば全て納得がいく。

 彼自身が検体だったのか。だとすると――確か噂では人造強化人間は其の尋常ならざる戦闘能力を開放させると、僅か数分間で息絶えると聞いている――実際、検体八号の時もそうだったではないか。

 其れではケムラーは――黒い鼬の仇を討つ為に死んでしまったのか?

 

「よお、小僧。無事だったかい?」


 いきなり後ろから声を掛けられ、僕は思わず、「ぴいっ‼」と情けない悲鳴を上げてしまった。何故こんな声が出てしまったのか。

 僕は強張る身体を必死に動かして、何とか後を振り向くも震えが止まらず、言葉も中々出て来ない。上手く呂律が回らない。其れでも僕は震える声で彼に訊ねた。


「ケ、ケムラ~さ、さん。あ、あなたは、い、一体な、な、何者な、んで……ソビエト政府の、じ、人造、強化、人間……」


 彼は岩壁に凭れ掛かっていた。軽く組んだ腕には右手に刀、左手に拳銃を握った儘である。之だけの虐殺を終えた後だというのに、其の表情は何故か穏やかであった。

 彼は僕の呂律の回らぬ不明瞭な言葉から、人造強化人間の単語を拾ってくれた。


「ん? ああ、そういえば御前等は『人造強化人間』の事を知ってるんだったな。見た事もあんのかい?」


 先程からケムラーの言葉使いが何と無く粗野になっているのが気になる。何か恐い感じがするな。そんな僕の機微を察したのか、彼はゴホンと一つ咳払いをして改まった。


「ん、ん、いや失礼。一寸暴れたら、つい地が出てしまった。申し訳ない」

  

 口調が元に戻った、何かホッとする。


「君には先に話した通り僕は山出しでね、おまけに生まれと育ちも悪いと来たもので、如何にも生の言葉使いが下品なのだよ。其の所為で随分と損をして来たから、なるべく上品な言葉使いをする様に心掛けているのだけれど、興奮するとついね……」


 ケムラーは照れ笑いを浮かべながら、穏やかに云った。此の状況下で。

 でも、そんな彼を見ていると僕も少しだけ緊張と恐怖心が薄らいで来た。何故だろう、此の虐殺を行った張本人を目の前にしているのに、僕は何だか安心している。


「マルコ。君は僕を何者だと思う?」


「え?」――不意の質問に僕は戸惑った。


「え、えっと――その、ソ、ソビエト政府の『人造強化人間』なのでは?」

「確かに僕は神ならぬ人の手によって作り出された『人造人間』だ。但しソビエト産の出来損ないとは違い、スイス産の人造人間さ。だから理性を無くして、死ぬまで暴れまくる何て事はしないから安心したまえ」


 スイス? 永世中立国が何故そんな危ない実験をしているのだ。勿論、秘密裏に行っているのだろうが、いざ事が露見すればかなり大事な人権問題に発展しかねないだろう。彼は僕の考えている事を見透かした様で、「違う、違う」と手を振った。


「ああ、スイス政府や軍部とかは関係無くてね、一個人の仕業さ。イカレた天才科学者の――と云うやつだね」


 国家規模では無く、個人でそんな事が出来るものなのか? 

 今一つ想像が付きにくい。其れではまるで中世の怪奇小説みたいじゃないか。あのメアリ・シェリーの……そんな事を思っていると、不意に真顔になったケムラーが僕を現実に引き戻した。


「処でマルコ……君は此の先、如何するつもりだい?」

「あっ⁉」


 僕は我に返り、改めて洞窟内を見渡した。そう――其処には敵兵の死骸ばかりじゃない――つい夕刻頃迄、僕と一緒に馬鹿騒ぎをしていた黒い鼬の仲間達も、今は物云わぬ冷たい骸と化して横たわっているのである。

 其処にも――此処にも――彼方にも……。

 僕は途端に大量の涙が溢れ出した。


 一寸、頼りないけど皆が愛したリーダー。

 ――タタモビッチ……。


 物知りで色んな事を教えてくれた。

 ――ガレリン爺さん……。


 何時も上手に僕の服を繕ってくれた。

 ――ナスターシャ姐さん……。


 皆に内緒で甘い物をよくくれた。

 ――ユリヤ叔母さん……。


 ロシア語を教えてくれた僕の先生。

 ――モルゾ……。

 

 大自然での生き方を伝授してくれた。

 ――アルバチャコフ……。


 御調子者で情けないけど、『御前は俺の弟分だからな』と云って僕を可愛がってくれた。

 ――ヴィヒック……。


 何時も勝気で明るくて、しょっちゅう僕を叩いてはキスをしてくれる。とても、とても大好きな僕の天使。

 ――オーリャ……。


 ――皆、皆、逝ってしまった……。


 僕は泣き崩れ号泣している。涙も涎も鼻水も、止め処なく溢れ出して止まらない。

 黒い鼬の皆と共に過ごしたあの日々を、思い返す度に悲しくて、悲しくて、悲しくて――もう二度と皆に会えないと思うと、寂しくて堪らない……。

 家族を、親類を、友人を、同胞達を、五十人から居た亡命者仲間を一度に亡くしたあの時も、僕は一人で泣きじゃくっていた。

 でも、そんな傷ついた僕を救い上げてくれたのが黒い鼬だった。以来、黒い鼬の皆は僕の本当の家族になった。

 彼等との生活は辛い事もあった、厳しい事もあった、不貞腐れた時もあった。でも何時だって、何くれとなく僕の面倒を見てくれた皆……本当に気の好い愛しい仲間達……。


 ――僕は再び家族を失った……。

 此の遣り切れない悲しみを、怒りを、寂しさを、どう補えば良いというのだ。


 ――どれ位、泣いていただろう……。

 数分か数十分か判らないけれど、僕の身体からはもう全ての涙が枯れ果ててしまった様な気がする。一生分を泣き尽した感じがしている。

 何だか喉がカラカラだ。涙と共に身体の中から殆どの水分が零れ出したのかな。

 ふと見上げると、其処には未だケムラーが立っていた。拳銃と刀は既に鞘に納めて、静かに腕組みをしながら僕を見つめている。

 其の眼は憐みや同情と云った物では無く、寧ろ何かを問いただす眼差しである。彼は傍に置いて有った桃の缶詰を、僕に差出しながら優しく云った。


「少し水分と栄養補給をした方が良い。さっき吐いていたから胃の中が空っぽだろう。果物の缶詰なら胃にも優しいし、シロップの糖分は頭の働きを良くしてくれるよ」


 そう云って缶詰の縁を指で覆う様に攫むと軽く力を込めただけで、上蓋が弾け飛んだ。恐ろしい握力である……雅に怪力だ。

 僕は缶詰を受け取ると、一気に中のシロップを飲み干した。甘味と水分が身体中に滲みわたる。生き返った気分だ。

 生き返るか――生き返って如何する?

 少しずつ頭の回転が戻ってきた――そうだ、僕は生き延びた。又、一人生き残ったのだ――為らば、やるべき事は一つしかない。僕は傍らに転がる敵兵の屍を凝視した。ヘルメットに描かれた部隊章や袖の紋章等、間違いない。此奴等はヘッシュの処の部隊員だ。


「復讐だ――我が怨敵、ヘッシュめ‼」


 僕は思わず呟いていた。そして怒り任せに缶詰を握りしめると、少しだけペコリと潰れる。其れを見て思い知る。ケムラーの力と比べたら何という差が有るのだろう。

 こんな非力な僕に何が出来るのか? 特攻か? いや違うだろう、狙撃だ。其れこそが僕に与えられた最大の力だ!

 しかし如何すれば奴の牙城に近づける。あの研究所の一キロ圏内には到底、近づく事は出来ない。おまけに用心深いヘッシュ少佐は、施設外には殆ど出て来ないのである。僕は何とか五百メートル位迄は当てる事が可能だが、其れ以上になると成功確率は格段に落ちるしな……何とか奴を僕の絶対射程距離三百メートルから、最高でも八百メートル強位の圏内に誘い出す事が出来ぬだろうか……。


「正面突破で良いのなら、一緒に連れて行ってあげようか? 此の大量殺人鬼が恐くないと云うのならね」


 僕が思案に耽っていると不意のケムラーからの提案に理解が追い付かず、数秒間経ってから、「え?」と訊き返した


「君が今、怨敵と云っていたのはヘッシュ少佐の事だろう。奴の研究所もね、ソビエトの『人造強化人間』と同種の実験を行っているんだよ。ドイツでは『超人計画』と銘打ってね。其の研究資料を頂く序で良ければね」


 やはりヘッシュの研究所でも、そんな事をやっていたのか。するとドイツ軍にも人造人間が居るのか? いや、少なくとも此の辺りの戦線で、そんな物は出没してはいない。此の実験に関しては、ソビエトに出遅れているのだろう。しかし何故、実用段階に至らぬ研究資料を頂くのか……んん? 頂く?


「盗むって事さ」


 彼は又、僕の考えを見透かす様に云った。


「云っただろう、僕は個人で動いているとね。何処の国家にも属しちゃいない。だからGPUの諜報員と云うのも実は嘘っぱちなんだ。本物のGPU諜報員が持っていた資料を奪った時に偶々、君達に遭遇してしまったんだよ。雅か僕の仕事の真裏で君達も同じ様な仕事をしているとは思わなかったからね。あの野原じゃあ、逃げるに逃げられないし――其処で一計を案じて、GPUの肩書きを利用させて貰ったって訳さ。君等を信用させる為に、君が撃ったドイツ軍の単車兵の首を刎ねて見せたりしてね」

「ケムラーさん――彼方の目的は何なのですか?」


 僕は当然すぎる質問をした。


「下らない事だよ、僕を拵えた博士の一味が研究に行き詰ってね。其れで仕方なく、他人の研究を盗み回っているんだよ。付き合わされる僕には迷惑な話さ」


 嘘を付いた事も目的もあっさりと白状した。しかし敵では無い、そんなに悪い人でも無いと思う――だが、信用しても良いのか?

 はっきり云って、ケムラーという男は正体不明の怪人物である。そんな者と行動を共にするなんて、自殺行為かもしれない。でも、ヘッシュの許に近づけるというのは僕にとって、千載一遇の好機だ。


「ケムラーさん。正面突破とは如何いう意味なのですか?」


 すると彼は左足の靴の踵部分をくるりと回した。隠しポケットになっている其の中から、一つの認識票を取り出して僕に投げて寄越した。其れは見るも不快な物だった。


「見た事があるかい。僕はゲシュタポ(ドイツ国家秘密警察)捜査官の肩書きを持っているんだよ。之なら、何処のドイツ軍施設にも無条件で出入り出来るって訳さ」


 僕の思考回路は混乱している。だが迷っている時間は余り無い。決断せねば……。


「ケムラーさん。貴方がドイツの――ナチスの協力者で無いという、絶対の証明を何かの形で見られませんか?」


 すると彼は少し逡巡し、踵の隠しポケットやスラックスのポケットから、幾つかのバッチや勲章を取り出して僕に見せてくれた。

 其処に有った物の中で、特に目を引いたのはソビエト赤軍の第一級戦功勲章である、赤星勲章。更には、ドイツ軍の中でも授与された者は極少数と云われている、柏葉剣付き一級騎士鉄十字勲章である。

 何方も生半な事では手に入らぬ勲章であるが、彼は其れらを指の間に挟むと例の恐ろしき握力を持ってグニャリと握り潰し、まるで塵の様に投げ捨てた。


「僕は国家なんて物には縛られない。共産主義も、独裁主義も、資本主義も糞喰らえってなもんさ! 唯、恩義には報いるつもりで、面倒事もやるけれど――其れでも嫌だと思えば何時でもフケてやる。僕は基本、自由に生きているのさ」


 此の言葉に僕の腹は決まった。生唾をゴクリと飲み干し、意を決して云う。


「貴方の全てを信じる事は出来ませんが……邪魔にならなければ、一緒に連れて行って貰えませんか」

「生命の保証はおろか、如何なるかすらも判らないけど――其れでも良いかな?」

「構いません!」


 そう、構わない。ヘッシュを斃す事が出来るのならば、僕は悪魔とだって手を組む。其の結果、此の生命を落とす事になろうとも。


 ケムラーは微笑を浮べ、唯一言「上等!」と呟いた。


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