第5話 狙撃

 別のパルチザン部隊、『灰色の梟』より連絡が入った。彼等は情報収集、伝達能力に定評が有り、赤軍の将校達も一目置いている。彼等の齎した情報によると、黒い鼬の担当地域に敵の単車伝令兵が向っているという。   


 早速、僕等は目標が通過すると思われる予測地点の四ヶ所に網を張った。

 黒い鼬には、僕以外にも射撃を得意とする者が数人いる。だから敵伝令兵の捕獲という任務を当てられたのだが、赤軍からは必ずしも生きて捕えろとは云われていない。敵の持つ指令書等の書類を手に入れれば良いとされている。

 だから僕は、自分が狙った相手は必ず殺す様にしている――一撃の元に――。

 よく仲間達には殺さずに生捕ないかと云われるが、其れは難しいと即座に嘘を吐く。本当は僕の腕を持ってすれば、殺さぬ様に手足を狙い撃ち、動けぬ様にする事は可能だが敢えて其れをしない。もし生きて捕えれば尋問と云う名の私刑が行われるからだ。

 僕が黒い鼬に入りたての頃、一度敵兵が捕らえられた事があった。ドイツ語を話せるので必然と僕が通訳となり、そして尋問と称する拷問が始まったのだ――其の余りの壮絶さに僕は気を失いかけた――結局、捕虜は直ぐに赤軍の手に引き渡されたのだが、其の後の安否は解らない。

 恐らく生きてはいないだろう……戦場という狂気の中では捕虜への虐待の禁止という、ジュネーブ協定も守られない……皆、感情的になっているのだ。だからと云って、僕は私刑という物を認めたくはない。あれは人間の尊厳を踏み躙るものだ。僕も踏み躙られた側の人間だが其れでも、やはり私刑は嫌だ……例え相手がナチスでも。

 とは云え、敵も同じ様に考えているとは思わない、其処まで甘くは見ていない。

 だから僕は敵に捕われそうになった時は自決する――あんな目に合う位なら。

 其の代わり僕が狙った敵は即死させる――あんな目に合わせる位なら。

 僕の理論は間違っているだろうか? たぶん間違っている……大元の処で……。


 そんな事を、つらつらと考えている内に目的地に到着した。ゴツゴツとした斜面で少し据わりが悪いも、丈の長い草に覆われて身をすっぽりと隠せるので、狙撃地点としては先ず良好と云えるだろう。眼下にはロシアの短い春を告げる白く小さなロマーシカの花が咲き乱れている。最近知ったのだが実は此の花、カモミールだった。僕らがよく飲む紅茶の原材料だ。

 僕の班は自分を含め、副リーダーのセミノロフとヴィヒックの三人。そして此処が敵の伝令が通過する可能性が一番高く、一番狙撃しやすい場所だ。少し自惚れる様だけど、だから僕が配置されたのだろう。セミノロフとヴィヒックが双眼鏡で前方を隈なく見渡している。二人共、目が良い。


「よう、御前等。来るとすれば東の林道を抜けて、前の道を真っ直ぐ通過だよな?」

「ああ、あの林を抜けずに西に向かうにゃかなり大周りになるからな……」

「僕モ、ソウ思イマス」


 片言のロシア語で答えると、ヴィヒックが笑いながら云った。


「マルコ、大分ロシア語が上手くなってきたじゃないか。其の内、ロシアの女の子も口説ける様になるぞ!」


 未だ二十代半ばの若い彼は何時もこんな冗談を云ってくる。調子が良すぎるのが玉に瑕だが憎めない男だ。何故か僕を弟分扱いするのだが、僕から云わせて貰うと兄貴分とするには一寸、頼り無いのだが。 

 歳の割に禿げ上がった頭を気にしてか常に鳥打帽を目深に被り、顎鬚をピンと立てている。口髭を伸ばさぬ処に若さを感じる。


「わっはっはっ‼ マルコは先ず、女よりも先に酒を覚えねぇとな――おっと、御前さんは割礼済みだから、やっぱり女が先か?」


 セミノロフが続け様に下品な冗談を被せてくる。もう、其れ位の言葉は聞き取れるのだが敢えて解らぬ振りをして無視をする。狙撃を行う前は集中力を高めたいのだが、セミノロフは何時もこんな調子で僕の気を散らす。ヴィヒックや他の若い団員達でさえ、僕が狙撃体制に入ったら口を閉ざしてくれるのに、セミノロフだけは何時までも喋り続けるのだ。前に静かにしてくれと怒って云った事もあったが、「おお、すまねぇ!」と軽い調子で流してしまうのである。

 まるで、僕の狙撃を失敗させようとしているのではないかと思う時が有る位だ。今日も未だペラペラと喋り続けているので僕は口元に人差し指を当てがい、黙っての合図を送ると、「はいはい、了解」と渋々ながらという感じで漸く口を閉じた。

 僕は地面に耳を押し当て遠方の音を探る。


 ――聴こえてきた……東の方角……排気音――単車だ。


 間違いない、聴き慣れた音――ドイツ軍使用のBMW・R75――僕の獲物だ。

 僕は身体の向きを整え、東の林道の入口に銃口を構えた。後ろで二人も身を屈める。距離は約、二百二十メートルといった処だな……全く問題無い、僕の射程圏内だ……音が近づく……数秒もすれば視界に入る……。


 来た‼


 予想通りの位置に――目標捕捉、スコープの正面に捉える、狙うは――心臓。

 引き金を引く。ターン、と乾いた音と共に放たれた銃弾は狙い通り心臓に当たり、敵の身体は大きく後ろに弾かれた。主を失った単車はフラフラと二十メートル程、進んだ後に右脇の草むらに突っ込み、倒れこんだ。


「よしっ! 命中だ‼ 流石、一撃のマルコ」

「御前さんは本当に外さねぇな」


 後ろの二人が感嘆の声を上げ、僕は一呼吸吐いて「ドウモ」と答える。後は敵の鞄を奪えば作戦完了だ。ヴィヒックが浮かれた調子で、之で御前が落とした単車兵は何人目だと訊いてきた。

 六人目だ。今日――又、僕は人を殺した。

 僕が殺した敵兵は単車兵だけではない。もっと多くの歩兵を此の手に掛けており、其の数は既に三十人を超えている。最初に人を殺めた日――其の夜は吐いた。でも二人目、三人目と人数を重ねていく内に何時しか感覚も麻痺していき、今では人を撃つ事に――敵を殺す事に抵抗は無くなった。


 僕は此の歳で一寸した連続殺人鬼だ。


 勿論、戦時下において敵兵を殺す事は国際法で認められているが、考えてみれば可笑しなものだ。平時において人を殺せば重罪に問われるのに、戦時になると敵兵を殺せば殺しただけ褒め讃えられるなんて。

 時と場合によって殺人という最大の悪事も賛辞に変わる。人間とは都合の良い様に解釈し直すのだ。やっている事は同じなのに。

 前に僕が敵を狙撃した時、「あんなに遠くの敵を討ち取ったんだ。もっと嬉しそうな顔をしろよ」と云われた事があった。

 父と狩猟に行って獣を撃ち捕れば喜びもしたが、人間を撃って喜べる訳はない。

 其処迄はイカレてはいない、イカレたくない。もし僕が敵を撃った後、笑顔を浮かべる様になったら……。

 止めだ、駄目だ、余計な事は考えるな!

僕はパルチザンの戦士だろう。ならば僕が敵を殺す事は――そう、義務だ……。


「よし! じゃあ早速、敵さんの鞄の中身を探りに行こうかい」


 セミノロフの言葉に、はっと我に返った。そうだ、未だ任務は終わっていない。敵の情報を収集しなければ。セミノロフが立ち上がり、僕も続いて立ち上がろうとした時に、ヴィヒックが叫んだ。


「おい、未だ生きてるぞ‼」


 セミノロフが慌ててしゃがみ込み、僕も再びスコープを覗く。生きている? 馬鹿な⁉ 確かに心臓を撃ち抜いた筈。いや、撃ち抜けていない? 胸部からの出血量が少ない。一瞬間に様々な考えが頭の中を廻った。


 心臓を外した? 外してない。


 射角が悪い? 悪くない。


 射程が遠すぎて威力が落ちた? 


 そんな訳ない。ライフル弾で撃ち抜けぬ異常に丈夫な筋肉の持ち主――雅か、人造強化人間……。     

 違う、あんな華奢な身体じゃない。ならば硬い物に当たって威力が落ちたのか?

 防弾衣、又は其れに準ずる何か胸当ての様な物だ。伝令兵は狙撃から身を護る為に支給される防弾衣の他にも、手製の鎧もどきを着込む者が少なくない。今の奴も其の口だろう。ならば話は簡単だ。次は地肌が露出している部分を狙う。顔面のゴーグルとヘルメットの隙間――眉間を撃ち抜けばいい。

 僕は再度、狙撃体制に入る。後ろでセミノロフが生け捕れないかと云うが、僕の選択肢に其れは無い。スコープに捉えた相手には確実な死を与えるべく、眉間に狙いを定める。


 ――しかし、一寸まて……。


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