第41話 最後の年賀状

 師走を迎えた。いつにもまして時の流れがはやく感ずる。年賀状を用意せねばと思う。初春にいただいた賀状を1枚ずつ見ていく。「毎年の年賀状ですが、時代の流れもあり今年限りと考えています」と書かれた年賀状じまいのものもある。アドレスを添えて、これからはメールにてという方もいる。時代の流れも気持ちも充分わかるのだが、どことなく寂しい。


 私が出す年賀状、数えたらわずか15枚。これも寂しい。働いていたころのように「旧年中はお世話になりました。今年もよろしく……」と書ける相手はもういない。日頃、顔を合わせない方ばかりで「お元気でお過ごしでしょうか。私は…」といったところ。相手も同じようなことを書いてくださって互いに一方通行。近況を受けて、電話をしたり手紙を書いたりすることはめったにない。年賀状は意味がないと言う人の思いもわかる。だか、やめるのはやはり…どことなく寂しい。


 ここに12年前の年賀状がある。干支がまわったが、捨てられずにある。仕事を教えてくださった先輩からの最後の賀状である。彼女は秋ごろから身体に異変を感じていたが、島の診療所は知り合いばかりで恥ずかしいと言って行かずに、ようやく12月の中旬に上京した。


 「ちょっと診てもらうだけだし、もしも、もしもよ」と彼女は苦笑いをしながら私をしっかりと見た。「もしも手術が必要な病気だったとしても年末年始、病院は休みだから一度帰ってくるね。年末調整は私がやるから書類だけ集めて揃えておいてね」 彼女を見たのはそれが最後だった。


 年が明け元日に彼女からの年賀状が届いた。文面から察するに上京する前に書いて投函しておいたものだろう。計画を立て諸々もろもろの準備をきちんとする、彼女らしいと思った。だが、彼女が思い描いた島に帰ること、それは一度も叶わず、その年の晩秋に亡くなられた。


 一方通行の年賀状と書いたが、それにも意味があると思えてきた。人はいつ死ぬかわからない。来年、どうなるかわからない。だが今、私はこの地でこんな風に過ごし新しい年にこんなことを思い描いているということを、人生でご縁をいただい方々に伝えること、年頭の誓いのごとく宣言をすること、自己本位かも知れないが、意味があるように思う。


 私の父は顔が広く、仕事以外にもスポーツや趣味での交友関係があった。現役のころは年賀状を2束も買いこんで、出始めのプリントごっご(家庭用の簡易印刷機)を使ってセッセと作っていた。時は流れて最後となる米寿の齢には、有難いことに義兄が父の原案通りに印刷、用意してくれた。枚数もかなり減っただろうに、プリントごっこ時代と同様に旧知の同僚、ゴルフ仲間、趣味の集まり用と幾種類かのパターンがあったそうだ。


 結局、父は最後の賀状を書き終えることなく、入院しそのまま逝ってしまったが、最後まで来たる新年に思いを馳せて準備をしていたように思う。松下幸之助氏が著作のなかで、「死を恐れるよりも死の準備がないことを恐れた方がいい」と書き、「来たるべき人生に備えていろいろと計画をするのも、これもまた死への準備にほかならない。生と死とは表裏一体。生の準備はすなわち死の準備」と結ばれている。亡くなった彼女も父もちゃんと生きて、ちゃんと準備をしていたんだと今、私は思っている。


※文中の著作は「道をひらく」 松下幸之助 著 PHP研究所 発行

 

 


 

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