第40話 新米映画生活のすすめ

 深夜、ふと目を覚ました。働いていた頃の夢をみていた。マスクをしたまま、皆、立ち上がって、はるばる海を渡ってきた青年に向かって自己紹介をしていた。コロナ渦と言われた3年間のいつだっだか、彼が入社してきた。3箇月ほどいてくれただろうか、職場にも島にも合わず辞めて行った。彼の名前が思い出せない。暗闇に目をこらし必死に思い出そうとするが、何も浮かばない。何ひとつ気遣いの言葉もかけなかったことを申し訳ないと思っているから、夢に出てくるのだろうか。


 コロナつながりで、島の第1号患者となった方の名前を思い出そうとするが、それも出てこない。小さい島ゆえ、誰もが第1号にはなりたくない戦々恐々の日々。なってくれたのは島の重鎮というか、実力者というか、誰もが名を知る人だった。あの人なら誰も文句を言えない、良かったねと皆で話したものだった。その方の名前がどうしても出てこない。


 名前が出てこない…つながりで十数年前に観た映画を思い出した。渡辺 謙さんが主演で若年性アルツハイマーを扱った映画。題名は出てこないが、これならパソコンで検索できる。たしか広告代理店のやり手営業マンが約束の時間を忘れたり、何度も通った客先への道がわからなくなったり、それでも大きな契約が決まって社内のスタッフに電話を入れようとするが、スタッフの名が出てこない。長年の相棒の名前が。最期は自分が入る施設をひとりで見に行く…。もう一度観たいと思った。


 早速、夫とふたりで観た。今は気軽に家で観られる媒体があって便利である。観て驚いたことは観る年齢によって、こんなにも印象が違うものかということ。前回は先に書いたように、客先との約束を失念したり、電話をつなぎながらの道案内で、必死に渋谷の街を走るところで共に冷汗をかいた。早期退職を余儀なくされ、部下たちに見送られるシーンでは涙した。


 だが、今回は病との対峙を存分に見せつけられた。そんなはずはない!という否認の感情、どうして俺が!という怒り、何もできない、自分が重荷になるという自己否定、無力感。妻にあたるようになる。


 ひとりで施設を見に行って、帰り道に心配してやって来た妻と会う。里山の1本道で長年一緒に暮らした夫婦が向き合う。ほっとした表情を浮かべる妻に夫は反応しない。私のことまで忘れてしまったのかと呆然とする妻に「どうかしましたか? 駅はこっちですよ。ご一緒しましょうか」と声をかける。わからない振りをしているのだろうか、本当は妻だとわかっているのかも知れない…と泣きながら思った。

 

 若いときに観た映画を再び観ること、お勧めします。視点が変わっています。新たな気づきがあります。脇役や衣装、時代背景と画面の色々なところに目がいきます。もちろん、まだ観ていない映画も沢山ありますよね。


 我が家では、月水金が夫の日、火木土が私。その日観る映画を決めます。夫の日は銃弾が飛び交い、殴って蹴って人が飛んで、カーチェイスが始まり車も飛んで、ヘリコプターが墜落し、ゾンビが出てくると大変ですが、それはそれで楽しいです。私の日に夫は「これは絶対観ない映画だなぁ」とつぶやくことがありますが、交代で映画生活!は楽しいという意味だと受け取っています。皆さまもよろしかったら。


※文中の映画は「明日あしたの記憶」 2006年東映 荻原 浩 原作(山本周五郎賞受賞)



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