第35話 「ご自愛」を考える
「残暑厳しき折ご多忙の日々とは存じますが、ご自愛のほどお祈り申しあげます」 ご自愛とは、自分の身体を大切にしてくださいという意味。相手を気遣う言葉で目上の方や取引先にも使える…と教わり、仕事では数えきれないほど使ってきた。酷暑や台風のニュースがあふれる昨今、ふと「ご自愛」の文字が浮かんできた。ご自愛とは何をすればいいのだろう。自分に対してである。私が私にご自愛を…について改めて考えてみようと思った。
疲れている、風邪をひきそうだと思ったら、温かいお風呂に入って栄養のある物を食べて早めに眠る。心が疲れていると思ったら愚痴を聞いてもらう。その相手がいなかったら気持ちを書きだしてみる。身体を動かしたり音楽を聴いたり映画を観たり、好きなことをする…といったところだろうか。
そんなことはわかっているのだが、なかなかできない。温かいお風呂や栄養のある物を用意するのが面倒、というか気力がない、時間もない。早めに布団に入りたくてもやらねばならぬことがある。早く寝ても疲れているはずなのになぜか眠れない。休みたくとも人に迷惑をかけたくない。愚痴を聞いてもらうのは負担をかけるし、書く気力はない。身体を動かすのは苦手だし、音楽や映画も面倒、好きなことってなんだっけってことになる。
時間がないとか、人に迷惑をかけるから休めないとかは働いていたときの言い訳だ。今はそれがないはずなのになぜか同じようなことを考える。辛いのだけれど、そのうち治るだろうからとごまかしながら、やることはやっておこうと思う。自分で決めた1日のスケジュールに自分が縛られているのかも知れない。忙しがる癖がぬけないのかも知れないし、逆に自分のことを考える癖がついていないのかも知れない。
自分をいたわるより○○したい、○○しなくては、と思っているけど、そう思っている自分が出発点なのに。自分あってのことなのに。そんな自分が元気をなくしているのなら、元気を取り戻すのが最優先だと思う。最優先、つまり優先順位第1位。仕事ならば真っ先に取り組まなくてはならない。どうしたらいいかを全力で考えて、何があってもやり遂げる優先順位第1位だ。
自分の身体と心を整えることが最優先だと、言葉にしてはっきりと言われた記憶はない。他人への気遣いができぬ幼い心には利己主義につながる言葉だからかも知れないし、明治生まれの祖母と青春時代が戦争だった戦中派の両親は、そう思っていなかったかも知れない。この教えはきっと人生を歩きながら自分でつかむものなのだ。
自分を大切にしよう。それが出発点。猪木さんも言っていたではないか。元気があれば何でもできる! 解決せねばならぬ問題も、どこから手をつけたらいいのかがわかる。人にも優しくできる。じっくりと話を聴くことができたら、何をどう手を差し伸べたらいいのかがわかる。ヨレヨレの自分を叱咤激励してヨロヨロと迷路を歩いていくよりずっといいではないか。
皆さまもどうかご自愛ください。
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