第30話 その反応が嬉しい

 知人から「毎日、何をしているの?」と聞かれることがある。夫婦で無職、介護が必要な老親はすでに亡く、子どももいない。暇で退屈では?寂しいのでは?と心配される。


 ほぼ毎日、散歩に出る。住まいの団地を通り抜け、小さな川に沿って歩道を少し歩くと川は海に出る。その河口は引き潮になると底が見えるほど浅い。その浅瀬に白い破片がゆらゆらと動いている。白い破片を英訳するとホワイトチップ。ホワイトチップシャーク4,5匹が遊泳しているのだ。和名はネムリブカ。150センチ位の灰褐色の身体に背びれと尾びれの先端が白いペンキをぺシャと付けたように白い。おとなしく人は襲わないらしい。


 このサメはサンゴ礁や岩礁の比較的浅い海にいると聞いたが、こんなお腹がこすれるほどの浅瀬に来なくとも、と思う。真偽のほどは定かではないが、かつてこの近くにあった飯場のおじさんが餌付けをしたという話がある。


 サメを餌付けなんて豪快で面白いと書くといまや批判されるだろう。猫や鳩への餌やりは批判されながらもなかなか無くならない。餌をやる行為とは何なのだろう。退屈でやることがないからなのか、孤独や寂しさのなかで自分が必要とされているという承認欲求を満たしたいからなのか。飯場のおじさんも私たちも、こんなふうに思われて心配されているのだろうか。


 先日の連休に知人家族が遊びに来た。夫の同窓生の息子さんだから、働き盛りで子育て真っ最中のご夫妻と5歳のお子さんだ。楽しんでもらえたかなと心配しつつ見送ったところ、折り返し御礼の手紙が来た。そこにはお子さんが滞在中3回も行った海がめの保護施設に「また行って餌をやりたい」と話していると書かれていた。

そうなんだ。子どもは…大人も人は皆、餌やりは楽しい。


 餌やりが楽しいのは反応してくれるからだ。反応してくれれば何も餌やりでなくてもいい。実家にいた頃、マルチーズを飼っていた。白い小さな犬で目にかかるほどの前髪(毛)を結びリボンで止めていた。こんな犬は外では暮らせないと思って、ふと見ると石油ストーブにくっついて仰向けに寝ていた。燃えちゃうよ、と白いお尻をどかすと火がつきそうに熱かった。


 およそ野生の本能を忘れた犬だったが、私が調子外れに歌いながらワォゥと言うと犬もワォゥと返した。おお遠吠えができるんだと見直してワォゥーと叫ぶと、あごを上げてワォゥーと応える。毎日繰り返して私はとても楽しかったが、身内は友人もおらず家にいるばかりの私を心配していた。


 島に来た当初、夫が唐突にヤギの瞳は横長で四角いと言った。夫は山の上にある施設でメンテナンスの仕事をしていて、山はというか、島全般なのだが、野生のヤギがいる。その頃、施設内に入り込んだ子どものヤギを一時的につないでおいたそうだ。夫は桑の葉を集めてヤギのもとへ行き、メェーと言った。ヤギは夫の目を見据えメェーと力強く鳴いた。横一線の四角い瞳で何回も繰り返す。訴えかける子ヤギは哀れだが、我が夫も慣れぬ仕事と閉鎖的な人間関係で苦労しているんだと思った。


 自ら動いたことに対して反応が返ってくる。たとえもの言えぬものでもあっても、植木に水をやれば新緑の葉が陽光に輝く。開いたばかりの葉はこんなにも初々しい色をしているのかと驚く。ヤモリがキュキュキュと鳴いているから、こちらもキュキュキュと返す。ヤモリと交信したい訳ではなく窓の外の戸袋で泣いているのか、それとも家の中にいるのかを確認するために耳を澄ませて泣き返す。


 人間相手に仕事をしていた頃は、その反応は次工程へ進む合図であったり、新たな仕事の発生を知らせる警報であったりした。たいていは対応に追われるばかりで心が動く空間は小さかった気がする。それこそ寂しいことだったと思う。今は小さな反応を楽しもうと思っている。


 

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