第29話 そろそろ奴らが来る

 暑くなってきた。ムシッと湿度も高い。そろそろ奴らが来る。

羽が生えて飛びまわる奴ら。光に集まり乱れ飛ぶ。街灯が白い大きなうずで覆われていく。道には捕食者。ヤモリが集まる。カエルはどこにいたのかと思うほど無数に這い出て、車はけ切れずに轢いてしまう。


 正確にはイエシロアリの群飛ぐんぴというらしい。巣の中の個体が多くなると羽アリになり、急に暑くなった日の夕刻、数万匹が飛びまわる。飛翔距離は100m程だというから、その範囲に本巣もとすがあるのだろう。きっと至るところに…。私達のようなヤドカリ族はそう思うだけだが、島まで大工さんと資材を運んで家を建てようと思う方は気をつけたほうがいい。島のことは島の人によく聞いて。


 島に移住して2カ月ほど経った5月下旬。羽アリの洗礼を受けた。話は聞いていた…はずだった。今日あたり来るぞ、雨が降った翌日は来るんだ、光に集まるから電気を消しておいて、と。早々に夕食を済ませ電灯を消した。暗くなるとテレビが煌々こうこうと光を放っている。消した方がいいかな、おばあちゃんの空襲警報の話を思い出して毛布でもかぶって観る? 暑いよねぇと呑気に話していた。


 その時だった。うす暗い部屋のなかに何かが飛んでいる。7ミリほどの茶色の身体に薄茶色にもみえる透明な羽が生えている。十数匹いる。あわててテレビを消す。皆、電気を消しているのか外も暗い。暗闇のなかに虫がいる。地に落ちると羽を落とし這いまわると聞いた。身体がゾワゾワして肌が過敏になっていく。まだ来ていないのに必死に振り払う。


 夫は冷静に、どこから入る? 全部閉めたのに、と言いながら暗闇を歩きまわる。うわぁ…閉め切った窓のサッシの下から、羽を落としたシロアリがあふれるように湧き出てきた。すでに壁を床を這いまわっている。たくさん…。


 羽のある奴はどこから? ええぇ…顔を見合わせる。中からだ。家の中から飛んでいる。社宅は中央に古い木の階段、2階は両側にかつて単身者用だった部屋があり、造り付けの木製ベットや棚がある。そこからだ。そう言えば、いくら掃除をしても木屑のような粉が落ちていた。


 私はあわてて殺虫剤を持ってきた。蚊やハエ用のスプレー式殺虫剤だ。島は洗剤やラップとかの雑貨が定価売りで高いと聞いて、ドラックストアで買い込んで箱に詰めて送っておいた。サッシの下にスプレーする。撒いても撒いても湧き出て来る。殺虫剤は3本あった。それを全部、私達はその夜に使い切った。


 明け方、激しい頭痛で目が覚めた。夫も頭が痛く気持ちも悪く、ひどい二日酔いのようだと言う。多量の殺虫剤を撒いたせいだ。社宅は古く隙間があるから入り放題、でも隙間があったから良かった。そうじゃなかったら俺たち死んでかも、と夫は力なく笑った。夫はその日、休みをもらった。…サッシの下から? あぁレールのところに水を撒いておくんだよ…と言われたそうだ。


 あれから20数年が経つ。おかげさまで公営住宅に入ることができた。サッシの下からシロアリが湧くことも、家の中から羽アリが飛ぶこともなくなった。落ちるシロアリを待つカエルは道にはいるが、我が家のドアまでは来ない。社宅時代、ドアを開けたときにカエルが入ってきたのを知らずにいて、廊下で見つけて絶叫した。人生最大のデシベル値が出たと思う。(17話参照) 


 だが、ヤモリはいる。閉め切っていても、ドアの開け閉めに細心の注意を払っていても、どこからか入って来る。そして見つけては今日も私は叫んでいる。夫はタオルでヤモリを包み外へ逃がすのだが、それにはヤモリ以上の俊敏さが必要で、寄る年波に限界が近い。いつのまにか、どこにでもいる。炊いたご飯の中にいたとか、素麺を茹でていた鍋に落ちたとか、洗濯機で洗っちゃたとか、色々な話が聞こえてくる。

ヤモリは害虫を食べるので家守とも書くそうだが、守ってくれなくていい。


 島のことは島の人に聞かないと。死んじゃうかも知れないんだから。

その教訓のもと、私は聞いた。

「家のなかにヤモリ、出ませんか? あれどうやったら防げますかね」

「ヤモリを防ぐ?ムリムリ。あれは家族だから。同居だよ」

私達、同居はしたくない。

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