第24話 桜咲き、そして散る

 昭和のサラリーマンの話である。私は昭和56年、某機械メーカーに新卒で入社。人事関係の部署に配属された。2週間の新入社員研修が終わり、職場の机に座った次の日だったと記憶している。はじめてのお使いに出た。

「昨日、社内を案内したよね、4階の右側、設計部門ね。この人にこれ渡してきて。   退職手続の書類、定年なんだ」


 4階の右側、おそるおそるドアを開けた。しーんとしている。十数人はいらっしゃるようだ。製図台と事務机がL字型に並び、斜めに立ち上げた図面に隠れて顔は見えない。顔が見えても新入社員の私には全くわからないのだが。教えられた通り、受付に貼ってある座席表を確認して、小さな声で失礼しますと言いながら奥へと進む。1番奥の机にその方はいらした。


 話し声ひとつしない静寂の空間が緊張を高めた。私は言葉に詰まりながら所属と名を告げ退職手続の書類です…と差し出した。油気のない白髪混じりの髪に日焼けした肌、「退職?」と眉間に皺を寄せて私の顔と書類を見比べた。人を間違えたかと思ったが「あぁわかった」と受け取り再び図面に目を落とした。私は何も言えず頭を下げて引き返した。


 廊下の窓から風に散ち落ちる桜がみえた。この桜が咲き誇るなか、入社してきた新米が大先輩に定年退職を告げに行くのか。定年は60歳の誕生日だと聞いた。だから私より40歳年上、戦争を体験した方だ。どんな苦労をされてから設計の仕事に就かれたのだろう。その図面でこれまで何を作っていらしたのか、今、広げていた図面が生涯最後の仕事なのだろうか。


 もうひとつ新米の私でいいのかと思った仕事があった。創立記念日に永年勤続者の表彰式があり、その日の午後にOB会なるものを開催する。定年退職された方々に案内状を送り、出席率はどの位なのか、それほど多くはない数十人の方が食堂に集まる。その方々にお茶を出す仕事であった。


 単なるお茶くみであるのに、多くの方が私の顔を見あげる。これは若い子が入ったという興味本位の視線ではなく、顔を知っている女子社員を探しているのではないかと思った。旧知の社員ならば職場の様子でも聞いて、食堂を出てかつての職場へ行きやすいのではないか。自分の机という自分の居場所があった職場だが、退職後の今は自分がどう扱われるのか、なつかしげに迎えてくれるのか、それともけむたがられるのか、そんな不安があるのではなかろうか。


 そう思うのは私の生来の性格と、永年勤続の表彰式で聞こえてきた会話のせいだ。式が終わり三々五々職場へ戻る表彰者が同期入社の気楽さからか、話しているのが聞こえた。

「今日さ、OB会があるから直帰にして戻らない方がいいぜ。

前の課長が来て一席設けるなんてことになったら面倒だから」

「あぁ去年、つかまったよな。説教された。相変わらず偉そうにさ」


 会社を辞めたら元上司もただの人。それでも付き合いたい、話を聴いたり聴いてもらいたいと思える人なのか、それとも義理で付き合うのも面倒な人なのか。面倒だと思われてしまえば、会社で築いた人間関係は、定年退職という区切りで全て消えてしまう。残業や休日出勤も多く会社で過ごす時間が、おそらく生活の大半を占めていたであろうに…。上司とか同僚、協力先とかの役割を超えて、人としてのきずなをもたないと消えてしまうのだ。


 桜咲き、そして散り落ちる。全てのものに終わりがある。

私は若い日にこの情景にふれて、よかったと思っている。


 


 


 

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