第23話 歩道はのんびり歩きたい

 今、住んでいるアパートの隣は工事中だ。我が家と同じ公営住宅を作るそうだ。向かいも同じアパートが3棟並び、その間に車道が通っている。幅4m程の道だが、ここに住んでいる人が全員使う大事な道。そこがもう2か月も通行止めになっている。


 コンクリートを砕く爆音が響き、どうやら車道の下に新しい住宅のインフラをまとめて通すようだ。車はまわれ右ならぬ、まわれ後ろで山廻りの細い道を走る。歩行者は車道からアパートの階段に向かうレンガ敷きの道、普段はそこのアパートの住民しか通らぬ道を沢山の人がわさわさと横切って通行止めの反対側に下りる。


 人が通るための道、歩行者通路である。なのにバイクも自転車も通る。「歩行者用通路につきバイクと自転車は降りてください」の大看板の横を走り去る。まあ降りるのが面倒なのはわかるのだが…交通誘導員に雇われているバイトさんがバイクで走りぬけるのをみて、こりゃだめだと思った。


 私の母は運動機能を司る小脳が委縮する病いだった。徐々に進行していくので、車椅子になる前は必死にバランスを取って歩いていた。ころぶと怪我をするし1人で立ち上がるのは大変だから、ころばぬように痛々しいほど必死に歩いていた。母だけではない。病気や事故で半身が不自由になったり、膝の不具合や骨折など、危なっかしい足取りでリハビリに励む人がいる。そういう人達はたとえその身に触れなくとも、近くをサァーと通りすぎるだけでバランスを崩してしまうのだ。


 無法化している工事中の通路だけではなく、ガードレールで守られているはずの歩道も自転車が怖い。近づく音を察知する間もなく、すぐ横をサァーと通りすぎる。ひどいときは2列のまま来て5センチ横を走り去る。もっとひどいときは後ろからも前からも来て、歩行者は細く長くなって(なれないよ)立ち止まってしまう。


 どうしてなんだろう。どうして人の横を走り抜けるときに少しスピードを落としたり、すみませんって言ったりできないのだろう。忙しいのかも知れないが、ロスタイムは1、2秒だと思う。


 怖いとは思わないのだろうか。すぐ横をそんなスピードで走り抜けて。身体の事情で触らなくても倒れる人がいるとは書いた。だが、そもそも人がどんな動きをするかわからないではないか。携帯が鳴る、前から人が来るなどで急に横に動くかも知れないし、話しながら身振り手振りでぐわっと手が伸びるかも知れない。酔っぱらいかも知れないし、強面こわもての兄さんかも知れない。私なぞはいきなりカエルが出てきたら50センチは飛びのくだろう。ここはカエルもカニもオカヤドカリも歩道を歩く。


 こんな走り屋とはつきあいたくない。想像力がない。危険を予知して避けようとする能力がない。人を思いやる心もない。こんな上司の下では働きたくない。人生のパートナーもビジネスパートナーも遠慮したい。親も…親は選べないが、こんな親は嫌だ。自転車の後ろに子どもを乗せて走り抜ける。親はこちらを見もしないが、子どもは見ている。親がスピードを落としたり声をかけたり頭を下げたら、その背中を子どもは必ず見ている。


 それに…ずるいと思う。本来、自転車は歩道を走ってはいけない。自転車専用道路がなければ車道の端を走る。車道の端を走ると、車が近くをサァーと通りすぎるから怖いんでしょ。歩行者だって同じ。


 あぁ歩道はのんびり歩きたい。

カエルは遠慮したいがオカヤドカリと並んで、のんびりと。

えぇー東京は電動キックボードが走っているのぉ。


 


 

 


 

 


 


 

 


 


 

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