第22話 手鏡を買う

 手鏡を買った。化粧用にひとつ持っているのだが、半身が映る洗面所の鏡の近くに置こうと思って買った。髪をとかし顔をそれなりに整える。ひと呼吸して手鏡を持ち、くるりと後ろを向く。ウチで1番大きな鏡に映る自分の後ろ姿が手鏡のなかに広がる。頭のてっぺん、つむじから下へ幅20、長さ50ミリ、地肌が見えているではないか。えぇーハゲ、禿げはじめてるの、私。


 薄々気づいていた。だから手鏡を買ったのだ。現実を直視しなければ、と思って。ぽやぽやの白い毛から透けて見える桃色地肌、これはあれだ。かつて実家で飼っていたマルチーズ(犬)。最初は姉とふたり、うわぁと声を上げて迎えたほど、真っ白なふぁわふぁわの毛の犬だった。ぬいぐるみが動いているぅと思った。ところが時は流れ、姉はお嫁に行き15年も生きてくれたころには犬は禿げはじめた。


 艶のある白い毛は抜け落ち、前髪リボンも所在なく、桃色の地肌に灰色のシミが浮かんだ。それでも祖母は変わらずに可愛がり、ヨタヨタ歩く犬に歩調を合わせ周囲に目を配りながら、ゆっくりと家の周りを散歩した。


 或る日のこと、近所の子どもたちと話している声が聞こえてきた。大切そうに抱きかかえながら、部屋に戻った祖母は…

「最近の子は犬も知らないのかねぇ」と言った。

「知ってるでしょ犬くらい、なんか言われたの?」

「おばあちゃん、これなぁに?って聞くんだよ」

「犬に見えなかったんだよ。そういう時はワンワンと吠えてやらなくちゃ」と私は

犬に言った。


 犬の思い出話はいいんだ。問題は私の後ろ頭が桃色地肌になっているということ。このまま禿げちゃうのかな。育毛剤から養毛シャンプー、かつら、黒い粉のふりかけまで様々なCM映像がかけめぐる。だが、と考える…きっと私はこのあと必死に商品検索をして何かを買い、ポンポンかシャカシャカか、キュキュをがんばるだろう……

だが、それでいいのか。薄毛市場に多大なる貢献した後、私に何が残るのか。


 前話で書いた眠れぬ話だが、ここに書かせてもらったら眠れるようになった。

というか、眠れるか眠れないかが気にならなくなって卒業できたように思う。

ならば今度の桃色地肌も、ハゲるかハゲないかが気にならなくなって卒業?…それは無理だ。気になる。たいそう気になる。あるがままを受け入れるってむずかしい。

 

 むずかしい、むずかしいのだが、せめて犬に見えなくなったマルチーズとゆっくり歩いていた祖母の姿を思い起こそう。よくぞここまで長生きしてくれた、本当にありがとう、と家族で看取ったあの子を忘れぬようにしよう。今頃は天国でおばあちゃんの膝にちょこんと座り、私たちを見ているかも知れない。


 おばあちゃん、見える? 私の後ろ頭。帽子でも買おうかな。


 

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