第18話 老後生活を考える

 光陰矢の如し、月日が経つのは早いと言うがまさにその通り。昨年の12月末で仕事を辞め新米老後生活に入ってから、はや1年が経つ。仕事に行かなくていい生活。守り育てる人も介護する人もなく夫と二人で自由に暮らしていい生活。まぁ金銭的な制約はあるのだが…。自由に暮らす、24時間を自分たちで組み立てる、自由って贅沢だけど難しい。自由が心の安らぎや幸福感には簡単につながらない。


 二人とも家にいる生活については知人から色々とアドバイスを受けた。おおかたがマイナス方向。朝昼晩の3回、食事の支度をするのは疲れる、自分のペースを崩される、ずっと顔を合わせているとイライラするなど。少しでも働いていた方がいいと言われた。


 ふところの深い夫のおかげもあって、それは杞憂に終わった。朝は私が簡単なものを用意し、昼は夫が寒天ゼリーに木の実を入れたデザートを作ってくれる。それで済ませて早めの夕食を1週間交代でつくるようにした。日々のスケジュールはたいてい二人一緒、散歩に行ったりドラマを観たり。話はたくさんする。


 幸運にも順調なスタートとなったが、自由に暮らすこと イコール 心の安らぎとはいかない。最初は自分が仕事をしていないことへの後ろめたさがあった。寂しさや疎外感も多少あるのだが、後ろめたさが強い。1年経ってそれは薄れてきた。今は月日が経つのが早くて、今が1番幸せと思いつつ、これがいつまでも続かないだろうという不安があって、何かをしなければという焦りがある。


 いつまでも続かないと思う不安、と書いたが、ときに恐怖ともいえる感情に襲われることもある。天変地異から世情、食糧危機…病いもお金がなくなることも怖いが、最も怖いのは1人になってしまうこと、孤独のなかで死を迎えること。自由に暮らす日々のなかで幸せの裏に恐怖がある。


 自由な老後と対照的だったのは、私を育ててくれた祖母だ。父方の祖母で生まれたときから同居、ずっと家にいて共稼ぎの両親の代わりに姉と私を育ててくれた。祖母と私はちょうど50歳違い。祖母の50から80は私を育て寄り添い、70からは難病を患った嫁(私の母)の介護も加わった。


 祖母はぽつりぽつりと戦争を語り平和な日々に感謝しながら、目の前のこと、日々の暮らしに一生懸命だったように思う。やりたいことがあって勉強もスポーツも頑張り友達も多かった姉に比べて、泣き虫弱虫での私をずっと心配していた。祖母が自身の老後に幸福を感じていたかはわからないが、新しい世の中を生きる私がどうか幸せになってほしいと強く願っていたのは、はっきりとわかる。祖母は小学校もろくに通えず子守りとして働いた。食べること、生きることに精一杯で自らの未来を思い描く時代ではなかった。そんな祖母が、最後に育てたのが私だっだ。


 幸せな今を大切に丁寧に生きていきたい。目の前のことに向き合っていきたい。今、私が幸せに暮らしているのは祖母をはじめ沢山の人のおかげだ。このつたない文を書いていくことが、それらを振り返る時間となり、感謝の思いを忘れないことにつながるなら、それがいいと思う。


 いずれ私は孤独のなかで死を迎えるだろう。泣き虫弱虫の私がひとりぼっちで。最期のときまで私は…私が幸せに生きることを願っていた亡き人たちの思いを忘れずいたい。きっとそれが強さになって私を支えてくれる。守りたい人がいると強くなれると言うが、晩年の私は守ってくれた人がいたことを思い出して強く生きていこう。

 だから大丈夫。今は笑って楽しく生きよう。




 


 

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