第11話 目がまわって思い出した

 それは突然起きた。或る朝、起き上がると目の前の本棚の棚板がぐわんと斜めになって、えぇ本が落ちるぅと思うとすぅと元に戻った。再び横になる。天井を見る。四隅がうようよと動いたかと思うとぐわんと廻った。慌てて目をつぶる。これがというものか。なまあくびが出る。気持ちが悪い。時計を見る。朝食の支度をしなくては。


 と大げさに書いたが、夜には回復した。病院には行かず素人判断ではあるが、吹き荒れた台風が急速に遠ざかるときの気圧酔いだったようで、酔止め薬1錠で治った。夫が食事を作りパソコンで色々と調べてくれて、家にあった薬でことなきを得た。

有り難い。今のところ再発もない。


 めまいで苦しんでいる人は沢山いるのだろう。私のように起きられない、何もできないと言っていられず、病いをおして動いている人も沢山いるのだろう。だが、実際、経験するととても動けない。この状態では何もできない。トイレに行く、顔を洗う、食事を作る、洗濯物を干す…毎日やっている何でもないようなことを何でもないようにできること、動けることがいかに有り難く幸せなことかを実感した。


 この実感、この悟りは前にも経験している。私の母は小脳が委縮するやまいにかかり仕事ができなくなり、家事ができなくなり、身の回りのこともできなくなった。足が前に出にくく転びやすくなって転ぶと起き上がれなくなった。自分で食べることも気管切開をしてからは話すこともできず、寝返りも打てなくなった。


 母からは大切なことを教えてもらった。母に手を貸し介護をする大変さよりも、介護されながら生きていく母の方がよほど辛いのだということを覚えた。できるならば自分で動いて何でもやりたい。身の回りのこと、自分の世話はもちろん、家族の世話をしたい。人の役に立ちたいと思いながら母は気の遠くなるほどの時間を過ごした。だから、だからこそ、それができることが幸せなんだ、できることに感謝して暮らしなさいと母は無言で教えてくれた。


 母が逝って20数年が経つ。病いのなりゆきは書けるが、その時々の思いは未だに書けない。向き合えない。だが、母が教えてくれた大切なことは書き残したい。覚えておきたい…と思っていたのに忘れかけていた。空気がなければ死んでしまうのに、ここは空気があって有り難いと思わないのと同じように、いつしか動けるのが当たり前になっていた。


 有り難いと思うこと、大いなる恵のなかにいる自分に気づくこと…よかったな、ありがたいな、きれいだな、いとおしいな、という思いが自然に沸き起こることが大切なんだ。それは宗教でもなく、こう生きるべきという倫理でもなく、それが私自身が幸せに生きていくみなもとだから。母が私に遺してくれたものだから。


 忘れていた。大切なことを忘れていた。台風で目がまわって思い出した。


 


 

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