第12話 謝罪と許し
イフは、元から細い目をさらに細めた。
その視線の先には、自分自身がいる。場所は学校近くの森の中だ。
そう、つまりこれは夢なのだ。それは、自分でもよくわかっている。
また、この夢か……
イフはこの先の展開を想像し、うんざりした。
視線の先にいる、もう一人のイフはにやにやと笑いながら、一心不乱に何かを踏み続けている。
ガツッ、ガツッ、ガツッ……
靴裏と硬い地面、そしてグリーンの石飾りがついたゴールドカラーのヘアピンがぶつかり合う音だけが、無機質に響き渡る。
もうやめてくれ……頼む……
イフはもう一人のイフに懇願するが、足を動かすことも楽しげに笑うことも、もう一人のイフはやめようとはしなかった。
その前で嘆き悲しんでいるのは、ルシェではない。一匹の兎だ。
毛色は白で、ピンと立った耳の先だけが黒い。
可愛らしい小さな前足で顔を覆い、兎はしくしく泣いていた。
イフの体から血の気が引いた。
で、出たっ……兎……やめろ、やめるんだ、俺!
だがもう一人のイフは、青ざめたイフの静止がまるで聞こえていないかのように、勝ち誇ったような笑みを浮かべてヘアピンをぐりぐりと踏みにじった。
兎が顔をあげる。
その黒くて艷やかな目玉がずるりと落ち、赤い体液が
「私は泣きすぎて、こうなってしまったの。責任、取ってくれるよね?」
にこりと笑う兎の手に、いつの間にか大きなハリセンが握られていた。
きた……!
イフはぎゅっと目を瞑った。瞑ったつもりだった。
だが、その光景はどうやっても目に入ってしまうのだ。
パンッ!
黒い目玉をぶるんと震わせ、赤い体液を撒き散らしながら兎はぴょんぴょんと跳ねた。
その度に、もう一人のイフの顔面にハリセンがぶつけられる。
兎からハリセンで殴られても、もう一人のイフはへらへらと笑っていた。
やめてくれ! 痛い、痛いよ!
次第にもう一人のイフの顔は膨れ上がり、識別できないほどになった。
もう……やめてくれ!
イフは崩折れ、泣き叫んだ。
「……これでもう五日だ……同じ夢を見るの……」
「お前もか、イフ……」
細目のイフとぽっちゃりのハンは、揃って俯き重苦しいため息を吐いた。
「なんだよお前ら、元気ねぇな」
そんな二人を見やり、ケンは眉根を寄せる。
学校が終わり、三人はいつも放課後を過ごす学校近くの森にいた。
「やっぱりさ! あのヘアピン、ただのヘアピンじゃなかったんだよ! だっておかしいだろ、オイラとイフが同じ夢を五日も連続で見るなんてさ!」
ハンは蒼白な顔面を引きつらせながら、ケンに向かって叫んだ。
「ほんとに気味が悪い……あの兎、いったいなんなんだ……」
イフも浮かない表情で地面を見つめ、ぶつぶつと呟く。
「だって、夢なんだろ? だったら痛くも痒くもないじゃないか」
ケンはため息混じりにハンに言った。
「そりゃそうなんだけど……」
「ルシェの奴に悪いことしたって思ってるからそんな夢見るんだ。悪いと思ってるんなら、本人に謝ればいいじゃないか。ほら、そこでこそこそ隠れてるから、ちょうどいいだろ」
ケンの言葉に、大木の幹に身を隠していたルシェはぎくりと体を強張らせた。
「え……」
イフとハンは、一斉に木陰から姿を現したルシェを見る。
イフ君もハン君も、本当にひどい顔色だ……リタさんが言ってたメンタル的指導の効果なんだろうけど……なんだか可哀想だな……
ルシェはイフとハンの二人をちらりと見、心の底から同情した。
休み明けから、二人は元気がなかった。
つまり、リタのメンタル指導は、ルシェがヘアピンを見せたその日から始まっているのだろう。
ぽっちゃり体型のハンの顔も、いつもより小さく見える。
「ご、ごめん、ルシェ!」
ハンは頭を下げ、叫んだ。それを見たイフも、深々と頭を下げる。
「あ、う、うん……」
ルシェは困ったように微笑した。
そこに、鋭いケンの声が割って入る。
「ルシェ! お前、そこは曖昧にするなよ! 許すなら、許すってはっきり言え……もしくは、許せないならちゃんと怒れよ!」
腕を組んだケンが険しい表情で言う。
うっ、と呻いたハンが地面に膝をついた。イフは黙ったままその横で俯いている。
ルシェはケンの言葉を噛み締め、大きく息を吸い込んだ。
「僕は! もう二人が意地悪なことをしないっていうなら、許すよ! ヘアピンも、壊れてないし……でも、また同じような事をしたら、その時は……」
「し、しないよ、もうしない!」
ハンが顔をあげ、慌てて叫ぶ。
「お、俺も……」
イフはちらりとルシェを見、小さな声で言った。
ルシェはほっとため息を吐く。そして、にっこりと二人に笑いかけた。
「良かった……僕は怒るの苦手だから、ほっとしたよ」
「許してくれるのか?」
「もちろんだよ、ほら、ハン君立って……」
ルシェは笑顔でハンを手を差し出す。
「あ、ありがとう……これでもうオイラ達、あの夢見なくて済むかな?」
ルシェの手を取って立ち上がったハンは、弱々しい笑みを浮かべて隣のイフを見た。
「だといいな……もう嫌だよ、あんな夢見るの……俺、しばらくは山で兎見る度に思い出しそう」
イフはげっそりとし、口元に手を当てた。
後でリタさんに電話で報告しよう……じゃないと今夜も指導しそうな気がする……
ルシェは笑顔の裏で、にこりと笑うリタの姿を思い出していたのだった。
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