第12話 昨日の出来事

(シオの奴、部屋に入るなり襲い掛かってきたりせんだろうな……)


 先ほど逃げ出したばかりの部屋の扉の前で、ヴェルキアは不安げにドアノブに手をかける。

 そして意を決して扉を開こうとした瞬間、背後から声をかけられた。


「入らんのか?」

「ひょえっ! ってなんだ、おぬしか」


 振り向くとそこには、昼間とは打って変わってリラックスした様子のディーンがいた。

 執務が終わったのか、正装を着崩しておりややだらしない印象を受ける。

 だがむしろラフな格好だからこそ色気が引き立つようだ。


(わしから見てもずいぶんと男前よな、こやつ。はぁ~、顔にピザでもぶつけてやりたいわい)


 ヴェルキアの考えていることが顔に出ていたのか、ディーンは小首を傾げる。

 その様子に、ヴェルキアは慌てて取り繕った。


「いや、入るさ、入るとも、はははは……」

(そうだ、こやつと一緒に入れば、あやつも手出しはできんのではないか?)


 ヴェルキアはそう考え、扉を開きディーンに中に入るよう促す。

 しかし、ディーンは部屋に入ろうとせず扉の前で立ち止まったままだ。


「なんだ?」

「いや、わしに何か用事があってきたのではないか?」

「そういうわけではないが……」


 歯切れの悪いディーンに今度はヴェルキアが首を傾げる。


「まあいい。お前の誘いを断る理由もないしな」


 そう言うと、ディーンは近くにいた使用人に耳打ちをし、ヴェルキアとともに部屋の中へと入った。

 部屋の扉を閉めると、2人はテーブルを挟んで向かい合うように椅子に腰かけた。


(よし、シオの奴はおらんな。あやつ、極度の人見知りなのかのう)


 そう考えるとシオのことが少し可愛く思えてくる。

 しばらくディーンと話していればシオもそのうち気が逸れることだろう。

 そうでない可能性も十分にあるが、悲観的な考えは頭の片隅へと放り投げた。


「いや~、今日は誰かさんのおかげで寿命が縮むような体験を2回もするハメになっての」


 開口一番、ヴェルキアはディーンへの文句を垂れ流し始める。

 ヴェルキアは筋金入りの高所恐怖症であり、地球では姉に無理やりランドマークタワーに登らされた時には腰を抜かして立てなくなったほどだ。

 そんなヴェルキアにとって抱きかかえられて空を飛ぶなどという経験は、まさに地獄のような出来事だった。


「ほう、それは気の毒な事だな」


 ディーンは愉快そうにくつくつと笑う。

 その笑みを見て、ヴェルキアは目の端を吊り上げながら怒りだした。


「他人事のように言ってくるな! わしはマジで怖かったんじゃぞ!」

「なんだ? 俺がお前に何をしたというんだ?」


 突然声を荒らげたヴェルキアに対して、ディーンは余裕のある態度で問いかける。

 対するヴェルキアは顔を真っ赤にしながら抗議した。


「ああ、アレか。子犬のように震えるお前はなかなか愛らしかったぞ」


 そう言ってディーンは再び笑う。

 女性であれば一瞬で虜になってしまいそうな甘い笑顔だ。

 だがヴェルキアは虜になるどころか鳥肌を立ててドン引きしていた。


(そうだ……こやつもわしのことを……)


 ディーンを部屋に入れたことを後悔し始めるヴェルキア。

 壁ドンされたことが相当に応えていたはずだが、シオのせいですっかり忘れていた。


 ヴェルキアが焦り始めると扉がノックされ、メイドが2人分のお茶を運んでくる。

 それを受け取ると、ディーンはそれを一口だけ口に含み喉を潤す。


「ハーブティーだ。飲まんのか?」


 ディーンはそう言って再びカップに口をつける。

 その様子を見たヴェルキアもまた、同じようにお茶を口にした。

 何の茶なのだか全くわからないが、幾分か気持ちが落ち着くような香りがする。


(そういえば、昨日こやつは宵闇トワイライツの眷属に襲われて、それをわしが助けたのだよな?)


 シオから聞かされた話を思い返しつつ、ヴェルキアはディーンの様子を窺う。

 ディーンは優雅にお茶を嗜んでおり、それが非常に様になっているのが腹立たしい。


(ゲームの中でディーンが死亡したのは昨日の出来事とやらが原因ではなかろうか)


 ヴェルキアは顎に人差し指を当てて考える。

 宵闇の眷属が相手となれば、まともに戦えるのは契約者ぐらいである。

 ディーンもそれなりに力のある魔術師であることには違いないのだろうが、宵闇の力は人類のそれを遥かに凌駕しているのだ。


(何があったか詳しく聞いてみるか。ディーンの死亡フラグがすでに折れているのならば、アスフォデルと敵対せずにすむかもしれんしの)


 そう考えたヴェルキアは口を開く。


「のう、ちょっと聞いてもよいか?」

「構わないぞ。何が聞きたいんだ」


 ディーンは持っていたカップを置き、正面からヴェルキアの目を見る。


「実はわし、昨日何があったのかよく覚えておらんのだが――」


 そう切り出すと、ディーンは険しい顔をしてヴェルキアを睨みつけた。

 その表情の変化に、ヴェルキアは思わず身構えてしまう。


「昨日何があったか覚えていない、だと」

「う、うむ」


 ディーンの剣幕に気圧されるヴェルキア。


「……他におかしなところはないのか?」


 続けて放たれた質問の意図がよくわからず、ヴェルキアは訝しげに答える。


「い、いや、よく覚えていないこと以外に問題はないが?」


 ヴェルキアが困惑気味に返すと、ディーンは額に手を当てて深くため息を吐いた。

 そして安心した様子で表情を和らげた。


「そうか、ならいい」


 だが、明日医者を連れてくるというディーンにその必要はないと断りを入れるが、押し切られる形で了承させられてしまった。

 それからディーンはヴェルキアに昨日のことをかいつまんで説明してくれた。


「昨日、俺はガルクスとの国境近くのネヴァの森で魔物の対処をしていたが、魔物の掃討が完了した後に無数の腕を持つ巨人と遭遇した」

(無数の腕を持つ巨人か……それならアイガイオンだの)


 ヴェルキアはゲームで相対した敵の名前を記憶の底から引っ張り出す。


「あの威容は一度見たら忘れられぬ。そしてその力もだ」


 大きさはディガディダスよりも遥かに小さいが、それでも成人男性の何倍もの大きさはある。

 そして宵闇の力ゆえに、契約者以外で単独で対抗できるのはこの世界においては片手で数える程度だ。


「まさかこの俺が敵を前にして、戦意を喪失するとはな」


 苦々しく吐き出された言葉に、ヴェルキアは少し驚いた。

 何事も自信満々に見えるディーンが弱音を吐いたからだ。

 相手が相手とはいえ、この男であればどのような相手にでも臆することなく立ち向かっていくだろうと思ったのだ。


(いや、無理もないのう……アイガイオンはクラス7、ディガディダスがクラス5で仮にディーンがクラス6だとしても、10倍以上も魔力に差がある相手に勝つのは難しい)


 ヴェルキアの魔力はシオ曰く融闇ポゼッション時に380万を超えるらしく、ゲーム内の基準で言えばクラス7.3にカテゴライズされる。

 アイガイオンは100万オーバーでクラス7.0、ディガディダスはあれだけ巨大であっても魔力は4万前後でクラス5.3だ。


 クラス5以上の魔物であったとしても単独で戦えるのは世界に100人といない。

 ディーンとて十分すぎる力を持つ魔術師ではある。

 プレイヤーという枠外の力を引き継ぐヴェルキアが例外なのだ。


「そして、圧倒的な力を前に為す術もなく立ち尽くす俺の前に、お前が現れた」


 そこまで言うと、ディーンは再びヴェルキアをじっと見つめた。

 その瞳には熱がこもっているように感じられる。


「お前の姿を確認した巨人は、すぐさま一本一本が柱のような巨大な腕を一斉にお前にめがけて打ち付けた」


 ヴェルキアはそのシーンを想像し、思わず身震いする。


「俺は次の瞬間にはお前がミンチのように潰されてしまうだろうと思った、が」


 そこでディーンは一旦言葉を区切る。

 ヴェルキアとしては自分のやったこととはいえ全く覚えていないので、ディーンの話に相槌を打つことしかできない。


「その巨大な腕はそのことごとくが、お前に届く前に斬り飛ばされていた。いつの間にかお前が持っていた巨大な戦斧によってな」


 その言葉に、ヴェルキアは目を丸くする。

 巨大な戦斧というのには覚えがあるが、それで腕を斬り飛ばすとはやはりゲームとは違うのだなと驚いてしまう。


「腕を斬り飛ばされた巨人は、痛み故か、咆哮を上げて残った腕でお前に襲い掛かった」


 ディーンは先ほどから少し話に熱が入っているように見受けられる。


「お前の持っていた戦斧が奴の腕に絡めとられると、今度はお前自身の手で奴の腕を引きちぎっていた」

(おいおい、戦い方がめちゃくちゃワイルドすぎんか……)


 内心で突っ込むヴェルキアだったが、ディーンはその光景を思い出したのか身振り手振りをまじえて熱く語っている。

 それはまるで英雄譚を語るかのような語り口だった。

 ひとしきり語った後、ディーンは大きく息を吐く。


「呻き声をあげる巨人を蹴り飛ばした後、お前はようやく俺に気づいたようだった」

(こやつを助けに行ったわけではないのか……)


 自分の事であるはずなのに何一つ思い出せないことに、ヴェルキアはもどかしい気持ちを感じていた。

 そんなヴェルキアの気持ちなど露知らず、ディーンは言葉を続ける。


「月明りに照らされて、巨人を蹂躙したお前の姿は、今まで見てきたどんなものよりも俺の心を捕えた」


 まるで愛の告白のような台詞を口にするディーンに対して、ヴェルキアはどう反応すればいいのかわからないまま固まった。

 だがそんなヴェルキアの様子を見て、ディーンはふっと笑った。

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