第4話 それはありえない

「げほっ、ごほっごほっ」

「おい、大丈夫か?」


(おぬしのせいだっつーの!!)


 心の中で叫ぶが、声に出して非難することは咳き込んでいたためできなかった。

 ディーンはヴェルキアのもとへ駆け寄り、背中をさすっている。

 ヴェルキアはキッとディーンを睨みつけた。


「まったく……急に何を言い出すのだ」


 ヴェルキアはまだ少し喉に違和感を感じ、紅茶を流し込んで喉を潤そうとした。

 その目には涙が浮かんでいる。

 ディーンは再びヴェルキアの前に跪き、視線をあわせる。

 そして真剣な表情で先ほどの続きを口にした。


「言っておくが俺は本気だ」

「おい、おぬしは先ほど自分のことをなんて言っておった? ガーディアスと言えば帝国でも有数の大貴族ではなかったか?」


 そう、ガーディアス家は広大な版図を持つ帝国のアル・マーズ侯爵である。

 ヴェルキアも連合では実はそれなりに家格が高い家の養女なのだが、連合と帝国は過去、そして今後未来において戦争をするような関係だ。

 婚姻関係を結べるような間柄ではない。

 そもそもヴェルキアの中身は日本人の男である。


(帝国やら連合やらの前に、男と結婚などありえんわい……)


 ヴェルキアとしては受け入れる選択肢など存在しない。

 しかし、ディーンは引き下がらない。


「お前が何者でもあろうと俺は構わん」

「いやいや、構うべきだろう! わしのようなどこのものとも知れん馬の骨に何を言い出すのだ……」


 そこまで口にしてヴェルキアは1つの考えが頭に浮かんだ。


(お前が何者であろうとも構わん。これはつまり――)


「いや、なるほど、理解したぞ」

「理解? どういうことだ?」

「おぬしは要するに、契約結婚をしたいのだな?」


 ちょっと前に流行っていた、契約期間中は夫婦として過ごして離婚する契約を結ぶものだ。

 なぜヴェルキアをその相手にするのかはよくわからなかったが、そういうことであれば腑に落ちる。

 ディーンも沈黙したままだった。


(ふむ、やはりわしの推測通りか。しかし契約だとしても男と結婚するなどありえぬがな)


 理解したことで少し得意になったヴェルキアは、残りの紅茶を一気に飲み干そうとする。

 だが――。

 ディーンに突然腕を掴まれる。

 ヴェルキアはカップを口につけた状態で動きを止める。


「誤解するな。俺はお前を真実妻にしたいと言っている」


「ぶふぁーー!!」


 その言葉に口の中にあった紅茶が勢いよくディーンに吹きかけられた。

 それはまるで噴水のように勢いよく噴き出した。


 ディーンの整った髪から雫が落ちる。

 彼はそれを手で拭うと、音もなく立ち上がった。


(ま、ま、ままずいーーーー!! 口の中の茶をぶちまけてしもうたーーー!!)


 焦るヴェルキア。

 自分のやらかしてしまったことに冷や汗を流す。


(いやいや、こやつがわけのわからんことを言うからこんなことになったのだ! わしのせいではない!)


 そして心の中で責任はディーンにあると言い訳をする。

 しかしそんなことを言っても目の前の現実は変わらない。


「なあ」

「な、なんだの」

「今のが返事という理解でいいんだな?」


 ディーンはどこまでも冷静に問いかける。

 その表情からは感情を読み取ることはできない。

 普通に考えれば、いきなり紅茶を吹きかけられて怒らずにいるほうがおかしいだろう。

 彼の表情は一切変わらない。

 いや、正確に言えば口元だけはかすかに緩んでいるようにも見える。


「すまんかった! わざとではないのだ!」

「まあいい、俺は寛大な領主ということで通っている。この程度の無礼には目を瞑ってやろう」


 ヴェルキアがすぐさま土下座すると、ディーンはそう答えた。

 もちろんヴェルキアも本気で謝罪しているわけではない。

 とりあえずこの場を乗り切るためにやったことだ。


「ところで、俺の領内の魔術師団に欠員が出ていてな」

「ほ、ほう……それがどうかしたのかの?」

「何、たまたま実力のある魔術師が近くにいてな。彼女なら心よく協力してくれると思うのだが、お前はどう思う?」


 そう言いながらディーンはゆっくりとヴェルキアへと手を伸ばす。

 その手から逃れようと後ろに下がるものの、すぐに追いつめられてしまう。


「では、魔術師団の本部まで案内させてもらおう」


 そう言うとディーンはヴェルキアの腕を掴む。

 そのままヴェルキアは部屋の外へと引きずられていった。


 車庫へとやってきたディーンは助手席の扉を開け、ヴェルキアに乗車を促す。

 ヴェルキアは渋々といった様子で車に乗り込む。

 ディーンはそのまま運転席へ座りエンジンをかける。


(え? 領主が自分で運転するのかの?)


 驚くヴェルキアだったが、ディーンは手慣れた様子で車を発進させる。

 操作系統はマニュアル車に近いようだが、それを難なく操作する姿に感心してしまう。


(いや、わしだってこのぐらいできるはずだ……免許取ってから運転したことないがの)


 この世界は内燃機関もあるが、魔晶石を動力とした機関も存在している。

 今搭乗している車は後者のようであり、電気自動車のようにエンジンの音が静かだ。


(それにしても、文明のレベルは地球の100年ぐらい前のはずなのに、道路はちゃんと舗装されておるし、車の振動があまりないのはすごいのう。さすが魔法のある世界)


「飛行魔法で移動したほうが早いが、領内での移動は緊急時を除き車などの交通手段を使え」

「事故防止かの?」

「そうだ、飛行魔法を使えるものは限られているが、無秩序な飛行を許可すれば必ず問題が起きる」


 ゲームの中でもせっかく飛行魔法という便利な移動手段があっても自由に使うことができなかった。

 魔術師は魔力を纏う。

 高位の魔術師であるほど纏う魔力は大きく、それが何かに衝突したりすると現代での交通事故などよりはるかに大きな衝撃が発生する。


(しかし、ヴェルキアはその高位の魔術師ではあるが、わしは今何にもわかっておらんのだがなあ……)


 座席に深くもたれかかり、窓の外の景色を眺める。


(どういう状態なのか、あのアホに確認したいのだが)

「おい、シオ。聞こえているなら返事をせんか」


 ささやくような小声で呼ぶが、ヴェルキアの声に応えるものはない。


「なんだ? 何か言ったか?」

「いや、なんでもないぞ」

「そうか。しかし、不思議な気分だ」


 ディーンはハンドルを握りながら言う。

 その表情はどこか愉し気だ。


「この俺が助手席に女を乗せて運転する日が来るとはな」


 その言葉を聞いたヴェルキアは紅茶をぶっかけられたにもかかわらず、ディーンの好感度が依然高い状態であろうことを察した。

 むしろ上がった可能性すらある。


(確かにヴェルキアはゲーム内でも割と男に言い寄られていたような気がするが……小さくて可愛いがどこか凛々しさもある。その魅力にやられたプレイヤーも多くロリコンホイホイなんて言われておったな……)


 ちなみに己もそのプレイヤーの1人だった。

 だが今はその美少女に自分自身がなってしまっているのだ。

 ヴェルキアはディーンに気取られぬように小さなため息を吐いた。

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