12 プリン……。
「あ、改めまして~。小声の姉の小春でーす!」
唐突な姉峯の襲来だった。
そんな姉峯こと伊十峯小春さんは、赤みがかった茶髪のショートボブカットが印象的な、スラリとした体型の女性だった。
服装も、白のストライプシャツにジーンズという、清涼感漂うデキる女、バリバリのキャリアウーマンのような雰囲気が漂っていた。ただ、小春さんは伊十峯とそこまで大きく年齢が離れていないはずだ。
それに、いきなり妹の部屋に突撃してくるあたりはデキる女っぽくない。
「初めまして。月村です」
「ご、ごめんなさい、月村君……」
伊十峯は、ぺこぺこと何度も申し訳なさそうにその頭を下げている。
何も謝ることはないような気もするけどな、伊十峯。
「まぁまぁ! お二人さん、ほらっ、ここにおいしいプリンがありますよ~?」
小春さんは、プリンの入った紙袋を俺達の前でぶらぶらと揺らして見せる。
妹と違ってずいぶんと茶目っ気たっぷりだな、この姉。
もうしゃべり方とかで性格違うなってわかるし、妹とは正反対。明るく弾ける陽キャタイプ。カルピスとか三ツ矢サイダーとか似合いそう。
「プリンは、ありがとう」
冷淡に伊十峯が謝辞を述べるが、あくまで「プリンは」という事らしい。
「いえいえ。プリンは、どういたしましてっ」
対する小春さんも、あくまでプリンについての礼は不要だと強調する。
そんな姉妹間の意地の張り合いを見せられる俺。なんだこの構図。
でも仲が良いなこの姉妹、などと俺が呑気に観察していると、不意に小春さんが俺の方に向き直り、思わぬ話題を持ち出してきた。
「あなたが月村君かぁ~。よく小声から聞いていた『同級生の男の子』っていうのはあなたの事かなー? ふふっ」
「え?」
「おっ、お姉ちゃん!」
「ごめんごめんっ! あ、でも今日来てくれたのって、小声が悩んでる事についての相談なんだよね?」
悩んでる事? 相談?
それは初耳だった。伊十峯は何か悩み事を抱えていたのか?
俺は、そんな話聞いてないんだけど? といった困惑の視線を伊十峯の方へ向けた。
俺の鋭い視線を感知したのか、伊十峯は不自然に視線をそらす。
「ま、まだその話は……月村君にはしてないんだよ、お姉ちゃん……」
「あれ? そうなの? じゃあこれからだね。私タイミング悪かったみたいっ。じゃあね、月村君。ゆっくりしてってねぇ~」
小春さんは話を自己完結させると、伊十峯の部屋から早々に撤退していった。
赤茶色の髪を少しばかり揺らして消えるその姿に、俺も伊十峯も、ただただ茫然とするのみだった。
あっという間の出来事。台風みたいな姉だった。
小春さんが部屋を出てからすぐのうちは、まだ小春さんの香りがそこに残っていたような気がした。爽やかな石鹸のような香りだ。
ちなみにプリンも一緒に部屋の外へ持っていかれたのだが、そんな事を指摘するような気分でもなかった。ああ、京弥のプリン……。
「……」
しばしの沈黙を挟んでから、
「伊十峯、何か俺に相談事があったのか?」
「……実は、そうなの……」
またしても膝の上で握りこぶしを作っていた伊十峯は、そこからしばらく言いづらそうにしていた。そうして、一つ決心したように語り始めた。
「じっ、実は私……最近誰かに後ろからつけられているような気がして……」
「っ⁉」
衝撃的な告白に、つい言葉を失ってしまう。
それから伊十峯は訥々と自分が最近感じていた視線について話し始めた。
「二週間くらい前……からだと思うんだけど……。学校の帰り道とかに、そういう視線みたいなものを感じるようになってきて。日曜日とかは平気なんだよ? でも平日の学校帰りの時だけ……」
「そ、そうだったのか……」
なるほど。ただ余った炭酸水を渡すという目的以外にも、悩み事相談をしたかったのか。
伊十峯がそんなほいほい男子を自室に招くような女子だとはとても思えなかったから、ようやく腑に落ちた。
学校帰りにそういった視線を感じるという事は、犯人は学校内にいる誰かなのか、もしくは学校外で、近隣に住む誰かなのか。
伊十峯は人気のあるASMR配信者だ。まさかとは思うが、名前も知らないリスナーが、という可能性もわずかにある。というか、それが一番危ないかもしれない。
いずれにしても、それを確かめておくに越したことはないだろう。
うちの高校の生徒なら、もしかしたらただの注意で納まってくれるかもしれないしな。
「ストーカー被害か。伊十峯も大変だな……」
「ううん。でも、正直ストーカーって呼べるのかも怪しいんだよね。そもそも、まだ私自身に何か被害があるかって言われると、別にそういうわけでもないし。ただ視線を感じて、嫌だなって……」
「嫌だなって感じ始めてるなら、それで十分被害なんじゃないのか?」
「!」
俺の言葉に、伊十峯は何か新しい価値観をそこに見たというような顔をしていた。
当事者にしかわからない精神的な被害というのは、大なり小なりあるものだ。
それを実害が無いからといって放置しておくのは、十分リスキーな行為だと思う。
対策を早めに打てるなら当然打つべきだ。
「……そうだけど、どうすればいいの? こういうの、私初めてで、よくわからないんだよね」
悩ましげな表情で、伊十峯ははぁと大きく溜め息を吐く。
眼鏡のブリッジの向こうの眉間に、小さなシワが寄る。
「何か証拠があればいいけど、そういう物もないんじゃな……。後は、ストーキングしている現場を抑えて現行犯逮捕的な手段が一番手っ取り早そうだけど……ごめん、それは俺もちょっとだけ怖い……」
相手がどんな人間かわからない以上、俺だって怖いもんは怖い。許して伊十峯。
「ううんっ。そうだよね。月村君だって怖いと思う。だから私も、積極的にはこの話をしたくなかったんだし……」
伊十峯は自分のふとももの上で指先をくるくると回していた。
ああ、そんなに回したらスカート状になってる裾がズレてエッチなことに……。
なんて不埒な想いもよぎったが。
「現行犯で問い詰める方法以外に、ついてきてる人が誰なのか確認する方法って無いのかなぁ……?」
俺が伊十峯の指先くるくるに気を取られている間も、彼女は話を進めていた。
「あ、ああ……そうだなぁー。じゃあ、ベ、ベタだけど……恋人のふり……とか?」
「えっ⁉ こ、恋人のふり⁉」
伊十峯は目を少し見開いて驚く。
「は、はは恥ずかしいよ! そんな事! だって、それってあれでしょ⁉ 手を繋いだり、腕を組んだりとか……、い、一緒にどこかオシャレなカフェに入って「はい、あーんっ♡」とか、そ、そういうのやるって事だよね⁉」
「え……? ぷふっ、あはははは! それはやりすぎじゃない? あーんっまでやる必要ないと思うんだけど?」
伊十峯の想像力が豊か過ぎる。
想像っていうか、妄想っていうか。
「あ、そ、そうなんだねっ! わ、私てっきりそういう事するのかと思ってたんだけど、違うのね?」
あわわと慌てる伊十峯の質問に、小さく首肯する。
「っはぁー、そうなんだぁ~……うーん……でもデート……」
それでもまだ他にも懸念があるといった様子で、伊十峯は快諾できなさそうだった。
「それなら、距離を離してみるか……」
あまり気の進む作戦じゃないが、実はもう一つ、俺の中で妙案があった。
「距離を離す?」
「ああ……。これは、下手をすると俺も同罪になってしまいかねないんだけど……」
「何?」
「……」
俺の方をじっと覗き込んでくる伊十峯。
いや余計に言いづらいから! 伊十峯さん! あんまりじっと見つめないで。
「そ、それは……」
「それは……何?」
俺は重々しくその妙案を打ち明けていった。
引かれるかもと思うような案だったけど、よく考えたら、俺はもう十分変態だと認識されていたはずだ。
だからかは知らないが、この案を知った伊十峯は特別不快そうな顔を見せなかった。
むしろ内容からすると俺がただただリスキーなだけだからな。
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