第35話 『 繋がる噂と噂 』


「――くそっ」


 道端の小石を蹴り、ギルラは胸に湧く苛立ちに舌打ちする。

 他人から怖い顔と散々言われている顔が更に剣幕が増し、道行く人たちはギルラと距離を開けながら通り過ぎていく。

 そんなに怖い顔かよ、と更に不快感が募っていると、不意に目の前に大きな胸板が立ち塞がった。

 大きな胸板はひくことも避けることもせず、ギルラを通すまいとでも言うように動くことはなかった。

 だからギルラは、売られた喧嘩なら買おうぞと眉間に皺を寄せながら顔を上げると――、


「おやギルラ。そんな眉間に皺を寄せてどうしたのかな」

「……ゼーファドさん」


 顔を上げたギルラは、その人物を見るや否やギョッと目を瞠った。


 そんなギルラに対し、男は朗らかな笑みを浮かべていた。高身長かつ屈強な体躯な男は、頭一つ分低いギルラを見下ろしながら朗らかな笑みを浮かべた。

 ギルラより頭一つ分高く、岩かと見間違うほどに鍛え上げられた肉体。この地方の人間族に多くみられるブラウンの髪は、馬の尾のように束ねられている。

屈強な肉体には似合わぬ爽やかな笑みを浮かべる彼の名は、ゼファード。ギルラと同じギルドに所属しており、階位は冒険者より上、つまり『勇者』と呼ばれる存在だ。


 英雄、冒険者だけでなく街の住人からも慕われている歴戦の勇者であるゼファード。そんな彼をギルラも先輩として尊敬しており、目の前の岩男がゼファードだと気付いた瞬間、それまで外に漏れていた邪険もたちまち引っ込んで「ご無沙汰してます」と頭を下げた。


 そんな可愛い後輩の挨拶にゼファードはというと、


「そちらも変わりないようだな……と言いたい所だが、ああも露骨に不機嫌だとつい声を掛けたくなってしまう」


 はは、と笑いながらギルラの不機嫌を指摘するゼファード。それにギルラはバツが悪そうに視線を逸らすと、


「べつに……何でもないですよ」

「なに、言わずとも分かるさ。お前が不機嫌なのは……自由に外に出れないからだろう」

「……っ」


 笑いながら、ギルラが不機嫌な理由を言い当てたゼーファド。

 自分だけでなく他のギルドの者たちも同様の不満を抱えている、とはつい数分までユーリスが口酸っぱく言っていた事だ。故に、ゼファードは心を読むまでもなくギルラの心中を言い当てた。

ギルラは諦観したように乱雑に頭を掻くと、不貞腐れたように「……す」とゼーファドの指摘を肯定した。


「他の者たちもお前と似たように不満を抱えていたが、はは。それにしたってお前ほど邪険なオーラは放っていなかったがな」

「そんなに出してる覚えはないんすけど」

「ほぉ。自分がそれほど怖い顔しているか気にした風に周囲をチラチラと見ていたのにか?」

「アンタいつから俺を監視してたんだよ⁉」

「監視とは人聞きの悪い。遠くからこちらに向かってくる後輩を数分ほど眺めていただけだ」


 羞恥心に顔を真っ赤にして叫ぶギルラに、ゼファードはそんな後輩が可笑しくて腹を抱えて笑った。


「アンタが先輩じゃなかったら一発ぶん殴ってたところだよッ」

「冒険者としてはいい気概だ。街中で暴れるのはどうかと思うが、そのストレスは仕事でぶつけてくれ……っと、今は仕事を受けられないんだったな」

「べつに、ゼファードさんが謝ることじゃないんで」


 失敬、失敬とゼファードは自らの発言が不謹慎だったと詫びる。そんなゼファードに、ギルラは口を尖らせつつも気にしていないと返した。

 彼も〝勇者〟ではあるがギルドに所属している人間には変わりない。彼もギルラたち冒険者と同じで、ギルドから依頼クエストを受けられなければ稼ぐこともできない……ということはなかった。

 勇者ともなれば実力は折り紙付きなので、ギルドの方から冒険者では受注不可の依頼や生態調査を頼まれるのだ。報酬は上級クエストを成功させた時とほぼ同等かそれ以上か。


「それで、どうなんすかゼファードさん。リドラの方は……」


 ゼファードがギルドから直接リドラ大森林、その中にある魔境・ノズワースの調査を受けたことを知っているギルラは、試すように双眸を細めて尋ねた。

 勇者としての技量を試されているような問いかけに、ゼファードは困ったと言いたげに後頭部を掻くと、


「調査内容は部外者に開示してはならないんだがな……」

「俺は部外者じゃないっすよ。冒険者には森の状況を知る権利がある」


 言っても聞かぬといった固い意志をみせるギルラに、ゼファードは大きくため息を吐くと、周囲をきょろきょろと窺った。

 やがて小声で、


「ここでは話づらい。……少し、付き合ってくれないか。ギルラ」

「――っす」


 諦観を悟ったゼファードの誘いに、ギルラは短く頷いた。



 ******



 ゼファードに誘われてやって来たのは、路地裏にある居酒屋だった。


「やぁ、マスター」

「おやゼファードさん。こんな朝早くから珍しい」


 丁度コップを拭いていた店主が来店を告げる鐘の音に顔だけ振り向かせると、店主はゼファード……ともう一人の存在にわずかに目を見開く。

 そちらも珍しい、とでも言いたげな表情の店主に、ゼファードは気にしないでくれ、と目配せした。


「好きなところに座っておくれ」

「そうさせてもらうよ。それとテキーラをロックで頼む。二つ分な」

「もう仕事は終わったのかな?」

「意地の悪いことを言わないでくれよ」


 店主の軽口にゼファードは微苦笑。そんな微笑ましいやり取りを傍らで見ていたギルラは置いてけぼりを喰らったように目を瞬かせていた。

 そんなギルラにゼファードは気付くと、


「この店のマスターとは昔からの付き合いでね。お互いによく金や物を貸し借りした仲なんだよ」


 まさかゼファードにそんな友がいるとは知らなかった。

 ギルドでは誰ともパーティーを組まず、一人で『勇者』に上り詰めた孤高の努力家と呼ばれている男。そんな男が、まさかこんな路地裏でひっそりと店を営んでいる店主とそんな親友のような関係を築いていたとは。

 世の中まだまだ知らないことは山ほどあるものだ、と痛感させられながら、ギルラはゼファードに誘導されて奥の席に座った。


「あの、それで話って……」

「あぁそうだな。こんなおっさんの昔話はどうでもよかったな」


 それもそれで気になるが、今は本題が優先だろうと声を噤む。

 丁度注文したテキーラも目の前に置かれた所で、ゼファードは声音を潜めてギルラに言った。


「お前も、もう既に噂は届いているだろう」

「……噂?」

「――ノズワースに、再び『魔王』が誕生したという噂だ」


 ゼファードの言葉に、ギルラは「……まぁ」と曖昧に返答した。


「でも、それはあくまで噂じゃ」

「いや、実は案外そうでもないかもしれないんだ」

「……っ⁉」


 ゼファードの意外な返答にギルラは思わず目を剥く。

 この街に隣接するリドラ大森林。その中にある魔境・ノズワースに再び『魔王』が誕生した、という噂は今この街で密かに広まっていた。しかし、そんなものは眉唾物だと大勢の冒険者たちが一蹴していたのだが、


「前から、噂はあったんだ。魔界城に生息する魔物たちが何やら怪しい実験をしている、という噂がな。誰もが眉唾物だと笑っていたが、一部のギルドの組員たちはその可能性を否定できないとも冒険者数名を調査に向かわせようとした。しかし、結局『魔王』・アシュトを討伐したことで残った魔物たちが俺たちに復讐しようと動いているだけでは、という結論に至ってたな」

「それはそれで問題な気がするんですけど」

「確かにそうだ。だが、どの魔境も『魔王』を失えば魔界城にいる魔物たちは次なる主君を求めて他の魔境に向かうか自然界へ帰るかでちりじりになる。統率する者が亡くなれば指揮系統が崩壊するのは人間も魔物も同じ」


 たしかに、とギルラは深く頷く。


「でも、ノズワースの魔物たちはまだ居座ってるって話ですよね?」

「そうだ。あそこの魔界城に生息する魔物たちはどの前例を辿ることなく、皆が例外と言わんばかりに城に居座り続けている。魔王妃・メルルアの影響もあるかもしれないが」


 魔王妃・メルルア。ギルラも名前だけは知っている。実際に遭ったことはないが、なんとも魔物らしからぬ美貌の持ち主なんだとか。

 彼女が『魔王』・アシュトの後を継いで『魔王』になったのでは、と思案するものの、そうなれば夫を殺した自分たちにすぐにでも報復を始めるはずだと前の考えを一蹴する。

 魔物側の事情も案外小難しい、と眉間に皺を寄せていると、


「俺も単独でノズワースを調査していたんだがな。だが噂を確かめることはできなかったよ。俺が調査した途端、魔界城の魔物たちが一斉に城に引きこもってしまったからな」


 それでも嫌な予感は収まらなかったとゼファードは言った。


「魔物がゼファードさんにビビったとかじゃないっすか」

「それならそれでいいのだが……」


 少し場の空気を和ませようと冗談を言ったのだが、しかしゼファードからの反応は思った以上に芳しくなかった。

 思わず頬を固くすると、ゼファードはグラスに注がれたテキーラに視線を落として呟いた。


「……実はな、ノズワースに依頼に出たシグレがまだ帰ってきていないんだ」

「シグレって、あの勇者の?」


 ギルラより後輩のくせに才能に恵まれ勇者となった男だ。ユーリスと似て正義感の塊のような男で、魔物は【成体】のみ討伐するという謎のポリシーを抱えていた変わった奴でもある。


「あぁ。シグレは数日前、鬼族オーガの討伐に出て以来帰って来ていないそうだ。何人かが心配で行方を捜索したようだが……」


 その先は言わず、首を短く振るゼファード。それだけで答えは出ていた。

 ムカつく奴ではあったけど、いざ行方不明になると心配だ。柄にでもなく後輩に想いを馳せていると、更に声を潜めてゼファードが続けた。


「それだけじゃない。……もう、ギルドから通達があっただろ。近頃、魔界城近辺で魔物が活発化していると」

「……っす。でもそれって、魔物たちがただ単に繁殖期になっただけじゃ」

「それにしては動きが不自然すぎるんだよ。繁殖期であればわざわざ城の周囲に固まる必要はないと思わないか」


 ゼファードの言い分にギルラは確かに、と深く顎を引く。

 嫌な予感がする。

 ゼファードの言い分では、ゼファードが調査に出た時期とほぼ同時に魔物たちが城に引きこもったこと。そして一年後の今、再び城から出てきて動きを活発化させたこと。

 怪しい実験の噂と、『魔王』が誕生したとされる噂。そこに魔物の活発化が加わって、噂が現実味を帯びていく。

 背中に、すーっと怖気が走った。


「魔物の活発化する現象。それは歴史書でも記されていたが、『魔王』が誕生後に頻繁に確認されているらしい」

「……それじゃあ、まさか本当に」


 ごくりと生唾を飲み込むギルラ。そんなギルラにゼファードは一瞥をくれると、


「まだ、噂の範疇だ。俺たちも原因を解明すべく今ノズワースを調査している。焦らずとも、次期に結果は出る。だからそれまで、もう少し辛抱してくれ、ギルラ」

 ゼファードはそう言って、後輩の頭を撫でた。

 不安なのは、ギルラだけではない。仮に『魔王』が再び誕生したとなれば、その不安は冒険者のみでならず街の市民にまで伝播する。自分たちより更にか弱い人たちの不安は計り知れない。だからこそ、ゼファードはこの話を人前ではなくこの裏路地の店で、さらに友人の店に限定して教えてくれたのだろう。不安を抱く後輩に、少しでもそれを和らげるように。


「分かりました」

「ありがとな、ギルラ」


 ならば自分にできることは辛抱だと、そう自分に言い聞かせて頷いたギルラに、ゼファードは唇に弧を引くのだった。

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