第36話 036 黒色のルガール1


 地下2階の探索は南東の一部の区画を残しあと僅かとなった。


 3階以下は2階までと比べより広く、棲息する魔物も手強くなる。

 リナが参加するのは迷宮上層、地下2階までなので3階以下に降りるためには早く代わりの魔術師を見つけ出さなければならない。


 今日は運良く会敵する事無く残りの区画まで辿り着いた。

 この区画は玄室は無く通路のみなので左程苦労はしないだろう。


 カルが20エール程先行する。

 既に皆2階の魔物にそれなりに慣れ、危険なのは罠くらいだがそれでも慎重に進む。



 カルが戻る。


 『危険・逃げよう』


 声を立てず手話で伝える。


 『剣・おそらく・狼人ワーウルフ


 2階に棲息する、剣を持った獣人ならば大抵は小型の鼠人ワーラットだが狼人だという。

 カルの表情は恐怖に満ちている。明らかに普通ではないカルのその様子から、ギルは即断する。


『逃げるぞ』


 ギルの指示と同時に俺達は逃走を開始する。

 狼人は耳と鼻が良い、既にこちらを捕捉してるだろう。それでもなるべく音を立てず来た道を慎重且つ早足で戻る。たとえコボルドでも強敵に追われる所に遭遇すれば最悪だ。


 数十エール進んだ所でチャチャチャッという、獣人特有の裸足の爪と床が合わさる音がした瞬間、後方で殿しんがりに回っていたガイが小さな呻き声をあげてよろめく。


 ガイのその背中からは、刃が突き出ていた。


 ガイは振り絞るように手を上げ剣をふるうが、曲刀を持つその影は大きく退がり闇に消えた。俺とギルは後方に向かって走り出し、よろめくガイを支える。急所は避けてるがすぐに治療せねば致命に至る重傷だ。即座にレノスが回復の呪文を詠唱し始める。


 パーティにかつてない緊張が走る。


 ガイは前衛として俺とギルより一枚上手だ。元々ギルに仕える諜報を担う家系に生まれたガイは幼少より武芸を嗜み、訓練所でもトップの成績でその課程を終えた。地上任務の時から手落ちなどはほぼ無く、このライナスの迷宮においても皆がその力量に全幅の信頼を置いていた。

 奴はそのガイを、一撃で戦闘不能にしたのだ!


 やがてその曲刀使いの狼人は暗闇から、ゆっくりと姿を現した。


 距離は目算で7~8エール。手に持つ曲刀、黒い毛並み、真っ赤な瞳、憎悪にまみれたその表情。明らかに尋常ではない様子。こいつは、俺達二人相手に真正面から打ち勝つつもりなのだ。

 そして実際そうなる公算は高い。ガイは正面から攻撃を受けていた。逃走中とはいえ後ろ足で警戒していたガイのその体を、真正面から貫いてみせたのだ。


 リナが呪文の詠唱を始める。それと同時に、その異様の狼人は俺達に向かって走り出す。奴の初太刀を俺が受け止める。切り結んだ一合目でわかる、凄まじい剣技だ。ギルも斬りかかるが奴は左手に付けた鉄甲でいなす。

 俺もギルも既に、こいつに勝つ気は無い。俺達が今為すべきことはリナの詠唱が完了するまでこいつの刃を防ぎ切り、魔法で牽制して逃走し、パーティ全体の生存確率を上げることだ。明らかな上手の相手に感情で動けば…全滅に直結する!


 俺は奴の刃に弾かれ体勢を崩し、距離が生まれた。奴はその僅かな隙にギルに斬りかかるがギルは盾で受け止める。


「左手だ!」


 俺がそう叫ぶが遅かった。ギルの横腹、鎧の隙間に奴の左手が突き刺さる。狼人の爪は猫型や熊などの獣人と比べ小さいが、それでも人にとって十分鋭利な刃となる。


「ぐうっ」


 ギルは声をあげるがその右手は剣を放し、己の体に突き刺さる奴の左腕を掴んでいた。俺の剣は奴の右手の曲刀で弾かれるが、それでも絶え間なく斬りかかる。危険な状況だ。詠唱時間は稼げるが俺の剣が一瞬でも遅れれば、奴はその曲刀で即座にギルの首を刎ねるだろう。


「【大炎】!」


 リナの詠唱が完了する。瞬間、奴はギルに膝蹴りを放ち、ギルの手から離れ大きくのけぞるが、俺とギルをかすめて炎が奴に直撃した。


「ぐおあおおおお」


 狂気で満ちた叫びと共に奴が通路の闇の、その先に消え、ギルが叫ぶ。


「逃げるぞ!」


 獣人の自己回復力は凄まじい。今受けた傷も5分10分程度で完治するし、間違いなく奴は追ってくるだろう。

 レノスとギルがガイに肩を貸し、俺達は逃走を再開する。

 ガイ程ではないだろうがギルの傷も決して軽くないはずだ。


「無茶しやがる」


「浅い、大丈夫だ」


 そう言ってギルが先頭に回り俺が殿しんがりを務める。状況としてそうするしかなく、ギルを信じるしかない。


 カルが戻ってくる。


『広場・小鬼ゴブリン・5匹』


 迷う時間はない。


「逃走している、下がれ!手加減はせぬぞ!」


 小鬼がたむろする10エール四方の小さな広場に踊り出て、ギルが叫ぶと同時にリナが詠唱を開始する。同時に小鬼たちは悪意ある表情で戦闘態勢を取ったため、俺達は安堵する。やるべき事が時間のかからない、単純なものに帰結したからだ。

 俺は通路で背後を警戒しつつ広場の成り行きを見守る。リーダーと思しき小鬼が呪文を詠唱し始めたため、カルがナイフを投擲とうてきするが別の小鬼に阻まれる。それを見たガイがすかさず長剣を投げつけ、さすがに防ぎきれず二匹の小鬼は転倒し、詠唱が止まる。無理をして苦しむガイにレノスが再び回復を始める。


「【渦炎】!」


 リナが自身が使用できる最高位の呪文を放ち、小鬼達は猛火に包まれ即座に絶命した。皆良い判断だ。今は小鬼相手でも出し惜しみをしてる状況ではない。1秒でも早く、奴と距離を取らねばならない。


 1階への階段まで、まだ200エールはある。

 いや、奴はおそらく1階まで追ってくる可能性が高い。


 俺達の全滅に繋がりうる危機的な撤退戦は、まだ始まったばかりだった。

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