夢見屋さんの不思議な秘密

雇用試験に合格し雇ってもらえる事になった。仕事は明日からで良いとの事で店の2階の一室を貸してくれた店主さんがゆっくりおやすみ下さいと言って……全く寝れないまま朝が来てしまった


然し仕事は今日から。初日は一番大切だ、張り切っていかなければと重たい身体に鞭をうつ。布団を畳んで身支度を整えてから1階へ続く階段を降りていくと、店に続くドアの前で店主さんと鉢合わせした


「おはようございます!」


「はい、おやすみなさい」


コーヒーカップを片手に陽介を見た店主はニコリと笑顔を浮かべて彼の背後を指差した


「ええええ!?!」


「そんな顔で接客されても困ります。寝ていてください」


「いや、でも、大丈夫ですよ!」


「仮に貴方が大丈夫なのだとしても目バッキバキの店員を接客させるなんてお客様に失礼です。良いから今日は休んでいてください。仕事は明日から頼みますので」


「で、でも」


「……ではせめてお昼までおやすみなさい」


中々引き下がらない陽介に店主は再び2階を指差した。時間になったら呼びに行くと条件を付ければ、それならばと陽介も納得し二階へ上がる。畳んだ布団をもう一度敷き直し、その上にゴロンと横たわった


「…うーん」


とはいえ、寝ろと言われて寝られる訳でも無い。窓にはカーテンがされているが隙間から差し込んでくる陽光が気になって仕方ない。シーンと静まり返った部屋の中、自分の心臓の音が聞こえてくる。これがまた気になって気になって眠れない。しかし!これで寝なければまた怒られてしまう。そうだ眠れない時は羊を数えると良いと聞いたことがある。そうだそうだ、羊を数えよう


「………」


掛け布団とかけ直した陽介は瞼を閉じ頭の中で羊を数える。一匹、二匹、三匹…と羊を数えていく彼の意識は暫くして深く深く沈んでいった














✲*゚✲*゚


「……それじゃあ後は頼みますよ」


陽介が眠る部屋に続く廊下から店主の声が聞こえてくる。彼の視線の先には、店内にあったうさぎのぬいぐるみ。常に閉じている筈のぬいぐるみの瞳はぱっちりと開いており、真っ黒な目は店主をじっと見つめていた


「昼時になったら起こしてあげて下さい。起こし方は分かりますね?」


問いかけた言葉にうさぎは頷き、短い綿の手足を動かし微かに開いた襖から陽介の眠る部屋へと入っていく。それを見送った店主は階段を降り店内へと続くドアを開けた。店の中は薄暗く静まり返っており客足もない


「…」


カウンターに戻った彼は、店の出入口から見える街の姿をじっと眺めていた。毎日毎日変わらぬ景色…人々は忙しなく店の前を通り過ぎてはいるが、ほとんどの者が店の存在に気付かない。だがそれはいい事だ、と店主は小さく呟いた


「……お客様が少なければ少ないほど、良いことはありませんね」


戸棚に並べられたぬいぐるみ達に視線を向けながら言うと、1つの人形が閉じていた瞼を持ちあげる。ギギギと軋む音を立てながら首を回し店主の方を振り向いた。開かれた瞳は蒼く、頭には金色の髪の毛が生えており、洋装を纏った人形…古風な店内には不釣り合いなフランス人形だ


「…おはようございます。今日はキミがお目覚めですか」


『…』


「久しぶりに起きましたね」


動じる事無く言った店主は頷いた人形に「おいで」と優しく声を投げる。その声に導かれるように棚から飛び降りた人形はぎこちない動きで手足を動かし、カウンターにて座っている店主の元へ辿り着く


「昨日見ていたので知っているとは思いますが、キミにもお話しておきましょう。1人新しい仲間が加わりました。名前は速水陽介くん、何時かちゃんと紹介しますが、あまり驚かせてはいけませんよ」


『……ド…ド…ウ…ド、ウ…』


「久しぶりに起きたので上手くおしゃべり出来ませんね……どうして、と聞きたいのでしょう?…それはですね、あの子がこの店で働く大切な仲間だからですよ」


固い身体を持ち上げ自身の膝に乗せて話しながら、埃を被り薄汚れた人形の顔面を袂で拭いていく。温度を感じないソレを、けれど優しく傷つけないように店主は拭き続けた


「昔と比べて、今の人間達は夢に楽しさを感じる事が少なくなってきてしまいましたね」


『………』


「…本当に追い込まれていても、この店に出会えずに居る方々もいるのです」


微かに瞼を伏せた店主の頬にヒヤリとした小さな手が当てられた。彼を見上げたフランス人形が、大丈夫?とでも言いたげに店主の頬に触れたのだ


「…心配してくれているのですか?…大丈夫ですよ、キミは優しいですね」


『……ヤ、ヤサシ…サ…サ』


ギギギと音を鳴らし首を動かすフランス人形に笑みを返し頬に触れている手を優しく退かす。もう少しでお客様が訪れる、これを見られては驚かせてしまうだろう


「お客様が来ますから、キミはここで大人しくしていてください。話したり動いたりしてはいけませんよ」


コクリと頷いたフランス人形が壁に凭れて数十秒後、店のドア鈴がチリンと鳴り響く


「……」


「ようこそ夢見屋【幻堂】へ。いらっしゃいませ、お客様。本日はどのような夢を御所望ですか?」


よれたスーツに身を包み目の下に濃い隈を作った女性のお客様。その瞳は微かに赤く充血しており化粧は落ちてしまっている。店主は優しく声をかけ、彼女に必要なアロマを数種類戸棚から用意するが、そんな彼に小さな声が投げられた




「………"白檀”…を」




ピタ、と店主の手が止まりドアの前で立ち尽くす女性へ目を向ける




「…白檀、ですか?」




「…はい…」




「……申し訳ごさいません、お客様。当店ではそのようなものは取り扱っておりません。その代わりに、白檀に近しい香りのするアロマを取り扱っております。其方で宜しければお渡し出来ますが、いかがでしょう」



カウンターの上に白いアロマをコトンと置き、極力刺激しないように言葉を選ぶ。それまで余裕のある接客をしていた店主はその日で一番緊張していた。頼むからこれで納得してくれと念を込めながら彼は暫く女性と対話を続ける。女性の声は震えており、時々言葉に詰まっていた。話すあいだに店主の方を見ることはなく、視線はあちこちに泳いでいる



「…お客様、此方のアロマは安らかな夢を見られるものなのです。眠らなくても、部屋でこのアロマを焚いて頂くだけでリラックス効果を得られます」



暫くの対話の後、女性客はようやく店主の言葉に頷きカウンターまで足を運んだ。震える手でサイフを取り出し、代金と引き換えにアロマを一つ買っていく




「ありがとうございますお客様……どうか良い夢が見られますように」





重たい足取りで店から出た女性客の姿が見えなくなるまで視線を逸らさなかった店主は、その背中が見えなくなるなりドサッとカウンターに座り込んだ


『……ダ、ジョ……ウブ?』


「えぇ、大丈夫ですよ。然し…久しぶりに緊張しました」


カクカクと口を動かすフランス人形に答えた店主は小さく息を吐き瞼を伏せた。どうかこの選択が間違ったものではありません様にと……願いを込めて。




「…それにしても…あのお客様は何処であの注文を知ったのでしょうか」




あの注文は、過去に一度だけ承った事のある…店主にとっては闇に葬りたい記憶なのだ

























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