016【動搖】
スパークは帰る前、セレステが慌てて阻止したが代わりに食器を洗って、食洗器に入れた。
「大丈夫さ」スパークはウィンクしながら、「今度はお願いするね」と言った。
スパークの口から「今度」という言葉が出て、セレステは少し呆気にとられた後、小さく微笑みながら「うん、今度ね」と言った。
オーロラたちを見送った後、セレステはまだドアのそばに佇んでいた。鳥肌が立つほどの夜風が屋内に入っていた。セレステはたばこを吸っているイヴァンを眺めていて、薄いシャツの下の首筋にも少し鳥肌が立っていることに気づいた。
セレステは無意識のうちに手を伸ばし、イヴァンのももに置いている左手を掴んで、両手でぎゅっと握った。
温かった。
「どうしたんだ?」
イヴァンがそう尋ねると、セレステは彼が自分を感じていると思った。だが実際、イヴァンが下に目を向け、握られた手を見た後、自分の手と指でセレステの手を握り返そうと決めたことにセレステは気付いた。
「私……イヴァンさんのように自然体でいられる……かな?」セレステはいつも自分の言葉が何か足りないような気がしたが、一瞬どう表現すればわからなくなる。
「時間が経てば慣れるさ」
イヴァンは肩をすくめて、口からたばこを取り出し、指の腹で押してたばこの火を消した。
何も感じなかった。心の中に無限の苦痛が残っただけだった。
近いうち、彼女もそんな存在になるんだな?
「わかったわかった、お嬢さん。あまり深く考えなさんな」イヴァンは手を伸ばしてセレステの車いすのハンドルを掴み、セレステを部屋に戻して入口のドアを閉め、裏口へと向かった。「行きたい場所があるんだ、少し付き合ってくれ」
セレステは行き先を聞かなかった。この男がどこに行こうとも、影のように一緒についていこうと願った。
見慣れた道だなと思い、両側の景色が見えるようになった頃、セレステは次の曲がり角を曲がるとどのような光景かさえも予測できる。この道は、学校帰りに必ず通った道だった。
あの赤レンガの家の前の庭で咲いている薔薇はいつも淡い黄色をしていて、母が大好きだったが、もう長い間、満開の様子を見ていない。
セレステは艶やかな薔薇の花を見た後、階段、正門、ドアノッカーに再目を向けた。セレステは両手を震わせながら手すりにつかまって起き上がり、前に進んだら、脚がすくんで倒れてしまった。だが、セレステはお構いなしに、表面がざらざらしたコンクリートを手で這っていき、上半身を押して前に進んだ。
かつての自分の家に力なく這って進むセレステの姿を見て、イヴァンは制止も手を差し出すこともせず、ただ黙って見ていた。その顔は何か考えがあるようだ。
突然、庭からカラフルな小さなボールがセレステのそばまで転がったとき、セレステと同じ色の髪をした男の子がドタドタ走ってきた。
セレステを見る男の子のその目には少しの恐怖と好奇心があった。男の子はボールをじっと見ていたが、近づこうとしなかった。
しばらく躊躇った後、セレステのそばにあるボールに指を差して言った。「お姉さん、そのボール、僕に返してくれる?」
男の子を見たセレステは、唾を飲み込み、言いそうになったその名前も飲み込んでしまった。そして、ボールを拾い、そっと投げた。
「はい、次から気を付けるのよ」セレステが微笑んだ。
男の子がお礼を言う間もなく、家から怒気をはらんだ女性の声が聞こえてきた。「ディーン!夜中に遊んだらダメって何回言えばわかるの!」
ディーンは母親の叱責を聞いた後、ボール抱えて急いで家に入っていった。ドアを閉める前、こっそりセレステに手を振った。
全ての音が静まり返り、街道が再び寂れて、セレステに向かって響く革靴の音はひときわ大きかった。イヴァンは頭を低くして見たセレステは、家の正門をじっと見て、一センチたりとも動かなかった。
「入りたいのか?」イヴァンが聞いた。
「イヴァンさん」セレステは少し間をおいてから口を開いた。「なぜ……私を家に連れてきましたか?私を動揺させるため?」
そう話すセレステは嗚咽しながら言葉に詰まり、涙が早くこぼれないように、悲しさを紛らわすように、わざと頭を上に向けた。イヴァンが家に入りたいか聞いたとき、一瞬、心の底から自分の欲望を口に出しそうになった。だが、セレステはそれができないと知っていた。そうする術がなかったのだ。何事もなかったように生きていくことができなかった。
ここ数日の間、セレステは率直に自分の心を分析した。そこには何もなかった。自分の人生は、蚊の羽音さえ大きく聞こえるほど虚しい。イヴァンと暮らしたこの六日間は自分の人生に終止符を打つのには十分だったさえ思った。そう、死神と共に。セレステはそれ以外に、この世界のどこにも自分の足跡、自分の生きる場所を残さなかった。
この数日間で、セレステの心の奥には確実に何かが少しずつ芽生えていた。だが、それは十分には程遠いものであり、心にとどめておくだけだった。気が抜けると、また心の奥底の空虚に引き込まれそうだった。
それは、底なしだった。
『家族のため』というのは完璧で感動的な言い訳だった。
「自分のことがずっと嫌いです……こんなに退屈で、こんなに矛盾していて、こんなに気まぐれな自分が嫌いです」嗚咽が小さくなり、話す声がだんだん速くて、大きくなってきた。「何事にも情熱が持てず、最後にはこんなに無気力になりました。神様が与えてくれた道がこれしかないと思ったことさえありました。だから教えて、私は誰?私はなぜ、何のために生きていますか?どうすればいいか……わからない……」
静かな闇夜の中、寂しくて、悲しい少女が大声で叫び、自暴自棄になって地面の石ころを拾って、自分の膝を殴った。骨にぶつかる音がしても誰かに制止されるまで殴り続けて、痛みが全く感じなかった。
セレステはイヴァンが同情の顔を見せてくれると思ったが、目の前で跪くイヴァンは一言も言わず、力強くセレステの体を自分に寄せて、背中と頭を撫で、眉を顰めた。
自分の泣き声を聞いたセレステは、さらにわんわん泣いた。
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