第一話 終わりの始まり③

 凛太郎に「ひーちゃん」と呼ばれたのは氷室美奈ひむろ みな

 将来の夢は歌手になりたい、アイドルを目指したいと凛太郎とは違い極普通で煌びやかな夢がある。


 そんな彼女のビジョンを聞いていると、凛太郎は自分に課せられた宿命にうんざりするのだ。


 ––––俺の前でそんな話をしないでくれ。聞きたくないんだよ––––


 耳栓をしたくなるぐらい、最近彼は彼女から離れつつあった。


 「ひーちゃん……やあ」


 「凛太郎〜今日も頑張ってるね!」


 「そんなことないよ。普通。いつものこと。あと仕事中でお客さんいる」


 「お客さんって……あ、この女の人?」


 「そうそう」


 美奈との会話の中で、ようやく凛太郎は日和の方を振り返った。

 目線を合わせても怒っている様子はない。


 日和は突如現れた美奈を見て友達だろうと思って軽く会釈をした後「初めまして」と。


 今は名前までは名乗らなかった。

 

 「(綺麗な人)」


 「ひーちゃん? どうしたの?」


 同じ性別として、美奈は無意識に憧れた。

 歳は若く見えるが自分も成長したら目の前の女性のようになれるかなと不安になる。


 歌手になりたいが、彼女はお世辞でも上手い方ではない。


 日和の言葉には「初めまして」の一文字ずつに品があり、さらに得体のしれない温かみがある。

 勝てない。この人は何者なんだ? 

 警戒心を強めた美奈は創作に付き合って欲しいという本来の目的を忘れた。


 「……凛太郎、お仕事の邪魔してごめんね。また今度!」


 「え、いや。そんな」


 「急に飛び込んで、お客様もすみません。これで失礼します」


 「ちょ、ちょっと、ひーちゃん? なんか用事だったんじゃないの?」


 深々と下げる頭を見て、凛太郎は驚く。

 天の助け、天照の加護は現実世界ではやはり発動しないようだ。

 おそらく創作の手伝いだと思っていたが、咄嗟に考えを変え退散した美奈の後ろ姿を目で追う。

 賑わいのある陽芽神宮の参道の中でたった一人取り残されたような感覚だった。


 「……行っちゃったね。凛太郎君、何か用事でもあった? 

  私悪いことしたかなあ?」


 「大丈夫、そんなことないよ! 

  あいつは、いつもあんな感じなんだ。気にしなくていいよ! 

  あれだよ! あいつは幼馴染だけど昔から結構変わったやつなんだよ! 

  だから気にしなくていい!」


 咄嗟に嘘をついた。格好をつけた。


 「実はあいつは歌手になりたいみたいで、歌詞を作るのを手伝ってと言われるんだ。あんまり進まないけどね」


 「そうなんだ。凛太郎君は頼りにされてるんだね」


 「頼りとかそんなんじゃねーし。昔から幼馴染だから手伝ってやってるだけで。あ!」


 「どうしたの?」


 「俺が今言ったこと、あいつには言わないでね! 

  お願い! 言わないでね!」


 仮に日和がアルバイトの面接を受けて不採用ならば、美奈と出会うことはもうないだろう。


 だが、凛太郎はつい日和に懇願した。

 学校内では美奈が歌手を志望していることは何人かは知っているが、彼は美奈から周りに言ってもいいと許可を得ていない。


 大した内容でなければ漏らすことは問題ではない。

 でも凛太郎は言ってはいけないのではないかと錯乱した。


 「はい! わかりました」


 「(良かったー……)」


 大人の余裕というわけではないが、凛太郎の様子を見て日和は彼に合わせた。小さい子供ならば珍しくないだろうという経験も添えて。


 紆余曲折を経て、二人は草薙家の前まで辿り着く。

 日和は感慨深く玄関を眺める。


 日本家屋。

 玄関の作り。

 周りの木々。匂い。

 全てを脳裏に焼き付ける。

 だが口には言えない。

 何も言わずに凛太郎の後ろについて玄関に入る。

 靴を揃える動作だけでも、人の家に入る以上に不思議と緊張した。


 「どうぞ」


 「ありがとうございます」


 日和は居間へと通された。

 面接の場とはいえ一般家庭にあるようなチャブ台やテレビ。

 畳の部屋。正座して待つ時間が好きになれた。


 面接担当の草薙政子はまだ家にいない。

 ぎっくり腰で仕事を休む祖父が別の部屋で寝ているらしい。

 政子はおそらく業務中だ。


 凛太郎は日和に、政子を呼んでくるのでここで待っていて欲しいと伝えて了承した。


 凛太郎が自宅を出た後、待っている時間でどうやって志望動機を伝えようか、現実に戻り日和も緊張する。

 練習してきた通りに言おうか、誠実さでアピールしようか……少し掌に汗が出た。


 「緊張してきた……一回落ち着かないと。あれは––––」


 落ち着こうと思っていた日和は、部屋に置いてある物に注目した。

 神主や巫女が業務で使用される大麻だ。

 木、紙、シンプルな作り方だが、彼女は勝手ながらそれを握る。


 大きさでは子供用か。

 先程の凛太郎の物だろうか。

 何度も握った感触を確かめる。

 ささくれなんかは気にしていない様子だ。


 「ふふ」


 日和は笑った。

 巫女になったつもりではない。だが、この手で握れたことに。


 その刹那。

 日和は凛太郎が普段使用する神々の代行者としての大麻を握っていたことで現実世界と切り離された。

 術者による結界術、


 日和が発動してはいないが、正宮の方角より解き放たれた空色の波動が陽芽神宮を覆う。

 それをアルバイトの面接として来ていたが、日和にも視認できていた。


 「ふー。懐かしいな。天照か。

  さっきの凛太郎君じゃあないみたいね。

  でも、どうしよう。いきなり私が天照の中にいたら変だし……」


 日和は独り言を呟いた後、思案する。

 現実世界と切り離されたことは理解できている。


 だが、この後の行動だ。

 外へ出れば戦争が始まっているだろう。

 もしも自分が外へ出たら怪しまれる。

 どうして草薙家ではない、神々の代行者ではない一般人が天照の結界内にいるのか、と。


 「……なんの為に、私はここにきたの? それを忘れてはいけない。行かなくちゃっ!」


 だが、日和は立ち上がった。

 覚悟と決意を胸に。大麻を持ったまま外へ向かう。

 例え目の前で戦争が行われようとも彼女は––––。

 靴を履き、引き戸の玄関を開くと、そこには大麻を取りに来た凛太郎が息を切らして立っていた。


 「ああ! さっきのアルバイトの面接の人! 

  すみません、その大麻を取りに来たんです!」


 凛太郎は感謝の意を述べて、日和が持っている大麻を貰おうと手を伸ばした。

 日和も、彼の物だと分かった上で「それなら返さないと」と思い渡そうとした。


 凛太郎は手を伸ばして受け取ろうと思ったところである違和感に気がつく。

 目の前にいるのは誰だ? 

 先程のアルバイトの面接できた神宮日和だ。

 いや、何がおかしいんだろうと考え出た答えが、草薙政子が発動した現実世界と切り離される「」の結界内に、どうして彼女がいるのか。


 日和も決意をしたのも束の間、彼の異変に気がついて言い訳をつこうとするが、もう遅い。

 

 「あ、ちが、これはね……」


 「いや、これは神々の代行者として悪魔祓いをするのに必要で……ん?

  ちょっと待って?

  ……ね、ねね、ねえちゃん!? 

  なんで天照の中にいるの!?」


 驚愕のあまり初対面である神宮日和のことを「ねえちゃん」と叫んでしまった。

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