第4話 「あ」

「悪の組織から市民を守ったヒーローでもいるのかい。この街には」

 佐賀は不味いコーヒーをちびちび飲みながら、千尋が食べ終わるのを待つ。


「Hero。愛称で、ヘロさんと呼ばれています、皆から」

 少し茶化して言ってみた佐賀だったが、その茶化しをかわし気味に気真面目な顔で千尋が答えるので、すかした佐賀は「ふうん」と静かに黒い汁を啜るほかない。


 街の英雄。


 Heroから取った「ヘロ」という愛称。


 市政を立て直した政治家か、それともこの街を拠点として活動する芸能人の類か。この街に越してきて二週間ほどの佐賀は、確かに少し生活区域が違うだけで認知されない、その地域特有の有名人もいるものだと考える。


「そのヘロさんがいつも来るのかい、この喫茶店に」

 ヘロさん、と言うのも、佐賀はあえて懐疑心を抑えずにそう言った。知らない人物をさん付けで呼ぶときはそういうトーンになるものだ。

「はい。いつも八時ピッタリに来るので。一緒にモーニングを食べるんです」


 佐賀は心臓がドキ、となる音を視界の端で聞いた。

「一緒に?」

 眼球に来る血の圧がグワンと高まる。


「はい」


 口に含んでいた黒い液体が、さらに不味くなる。

「そうか。おいくつなんだい、ヘロさんは」


 動揺を隠しつつゆっくりゆっくり糸を手繰り寄せるように佐賀が訊くと、「三十、くらいですかね。いや、二十九、だったような気がします」と千尋は返した。

「ああ、そうなんだ」


 少しだけ、心の中で胸を撫で下ろす佐賀。もし交際関係にあったら普通は相手の年齢くらい覚えている。

「一緒に食べるのなら、言ってくれればよかったのに」

 邪魔して済まないね、という含意で言ってみる佐賀。勘違いをわざとしてみせて何かの確認をする。


「いえ。残業、いや前業? も早く終わりましたし、佐賀さんがアズミセットをご馳走してくれるっていうことだったので。ヘロさんとはただ、ここを利用するときは時間がいつも重なるので顔見知りで、そのときに相席するというだけです」

 パク、パク、と一口サイズのフレンチトーストを口に運ぶ千尋。

「ああ、いつも八時に来るというから、ここで待ち合わせでもしているのかと」

 まごつきそうな口を筋肉で動かして、佐賀は喋る。


「ということは今日は来ないってことかい」

 微妙な間があって、確認をするように佐賀は言う。時刻は八時七分とか、その辺りだ。

「はい、そうだと思います。ヘロさんは、ピッタリに来るので」

「ピッタリ。会ってみたいものだね、どんな人間なのか」


 これは本心でもあるな、と佐賀は思った。というか俺は会わなければいけない、そんな気も佐賀にはする。


「ところで君はおいくつなんだい」

 言った傍から、野暮なことを聞いてしまったと佐賀は考える。「ちなみに俺は二十八」とせめて自分から年齢を言う。


「同じです」

 もぐもぐする口を、咳き込むときのように握った左手で隠しながら千尋は平生に答える。

「同じだ」

 適当に間を埋めていると、佐賀の座っている席からして後ろの方、入り口の扉が開けられて、チリチリン、と鈴の音が聞こえてきた。誰かが入ってきたようだった。




「あ」




 千尋がそう反応した。

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