第17話 : 暖かい朝食
「ふわぁ~」
このソファは眠ることに関してベッドよりも相性が良いのかも知れない。熟睡というより爆睡して寝坊寸前に目が覚めた。
目覚めればキッチンからバターの香りが漂ってくる。
「ゲン君、お早う。悪いと思ったけど冷蔵庫の食材を使わせてもらったわ」
碧が朝食を用意してくれていた──いつもの俺はトースト一枚とその日の気分のシリアルだけなのだが──流石は碧だ。
その昔、とある河川敷でデートをした時に彼女はお弁当を作ってきてくれた。サンドイッチとスパゲッティサラダだったのだが、それが無茶苦茶美味かった。
特に玉子サンドが絶品中の絶品で、マヨネーズの隠し味にオリーブオイルとマーマレードが入っていた。いくらでも食べられる味で、あっという間に完食して笑われたのを覚えている。自家製だというコロッケサンドも薄味のコロッケと塗ってあるソースに混ぜてあった醤油が醸し出すほんのりした香りに食欲をそそられた覚えがある。その位碧は料理が上手いのだ。
目の前にあるのはスクランブルエッグと両面焼かれた目玉焼き、それとベビーリーフと炒めたみじん切りベーコンを和えたサラダだ。
目玉焼きは両面焼きの方が好きだと言うことを覚えていてくれて感激した。
「お母さんおはよう。それと後輩君も」
「柔、後輩君じゃなくて栗原さんでしょ」
「いいよ。学校のままの方が俺も学生気分が出るから。直さなくても良いよ」
「甘やかさないでくれる」
「そういうつもりじゃないけど、呼び方をいちいち変えるのは面倒くさいだろ」
「はい、後輩君の勝ち」
いつもはネットニュースを見ながら黙って食べる朝食だったけど、誰かと食べるとこんなにも暖かく感じるものなのか。
外食以外で誰かと一緒に食事をするなんて一力の奥さんにご馳走になって以来──味は圧倒的に碧の方が美味しいが──数年ぶりのことだ。あの時も家族って良いなぁと思ったのだが、歳を取ったせいか目の前のやり取りがとても羨ましく見えてしまう。
俺にもそんな家族がいる人生があったのだろうか。
「今日は夜勤なの。帰りは明日の昼近くになるわ」
「わかった。昨日の今日で疲れているだろうから無理はするなよ。それと差し出がましいようだが休日のパートを少し減らしたらどうだ。無理が利かなくなってきたことはお互いわかるから」
「そうもいかなくて」
「家賃だとか生活費だとか、暫くは心配しないでくれ」
「でも」
「そうしてくれないと俺の気が済まないから」
生活基盤ができればあとは碧の身体を少しでも楽にすることだ。
「後輩君、行くよ」
碧を置いて柔先輩に促されて学校に向かう。物騒じゃないかと言われそうだが、彼女は信頼を裏切るような人間じゃない。まして俺と娘が一緒にいれば尚更だ。
「矢口先輩お早うございます。それと栗原、おはよう」
校門を過ぎたあたりで蒼衣から声を掛けられた。彼女と同じ講義を受けているから会うこと自体は不自然ではないのだが……
「随分仲が良いんですね」
「仲良しというわけでもないさ。ちょっとした事情で一緒に通学しただけさ」
嘘は言っていない。物事の大小なんて主観だからな。
「私には恋人どうしみたいに見えますが」
「恋人!」
柔先輩が真っ赤な顔をして蒼衣を睨んだが、彼女は全く意に介していない。
「同伴通学ですか」
「人聞きが悪いな。ま、同伴は事実だ。詳しいことは昼に話すよ。もうすぐ講義が始まるだろ」
どこかで見られていたのだろう。恐らくはロビーにでもいたところで、俺達の姿を見たのではないか。あのマンションにはちょっとしたホテル並みのロビーがあり、ソファがいくつか置かれているからそこにいたとしても不自然ではない。
「あたしはここで失礼するよ」
柔先輩が去って行く姿を見送り、急ぎ足で教室へ向かったのだった。
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