第145話




 ◆



「ねえ、リンク。私に何か秘密にしていることはない?」


 マリーは執務室でリンクにそう尋ねた。


「ないよ」


 即答が返ってくる。

 気負ったわけでもなく、緊張しているわけでもない、普段通りの反応。


 ――嘘つき。


 マリーは口の中でそう呟いた。

 こいつは結局、嘘つきだ。いつまでも変わることのない、ほら吹き。偽りと共に生きているから、虚飾の一言に心が揺れることもない。


「前に私に嘘はつかないと約束したわよね」

「嘘は言っていないよ」

「秘密にしていることがないと言ったじゃない」

「そんなものないんだよ。だからこれ以上言う事もない」


 リンクは変わらない。

 今まではそれが誰かのためだから許してきた。


 でも、いや、きっと。

 今回もきっと、誰かのための嘘なのだろう。この男は真実を言わないことが優しさであると勘違いしている節もある。


 自分だって馬鹿じゃない。ここまで一緒にいれば、何が怪しいかくらいはわかる。

 ずっと、見てきたんだもの。


「……さてと、作業もひと段落したな。少しトイレに行ってくるわ」


 彼は欠伸と共に立ち上がって、扉に向かう。


「待って」


 マリーはそれを呼び止めた。


 この行動に意味がないことはわかっている。彼だって用くらい足す。それすら咎めるのは、人としてどうなんだろうか。四六時中拘束なんてできやしない。今までだって、トイレに立っても常識の範囲内で帰ってきていた。だから何もしていないと思っていた。


 でも、きっと彼は、ボロを出さずに物事を進めていくのだろう。


 少しだけ、プリンツの気持ちが分かった。

 何かをしているのかはわかるのに、何をしているのかがわからない。

 指摘したいことは沢山あるのに、指摘できることが何一つない。


 自分から離れたように感じて初めて、この男の恐ろしさの神髄を知った。


「……アイビーのこと、知ってたの? あの子が黒の曲芸団にいるって」

「知らないさ。俺だってあいつの考えまで全部読めるわけもない。ずっと、驚きっぱなしだよ。なんであいつはあんなことをしたのか。聖女として、人類を救おうと思ったんじゃないのか。少しくらい考えを打ち明けてくれてもよかったのに」

「嘘よ。あの子は絶対に貴方だけは裏切らない」

「そんなことないさ。なんでわかる?」

「わかるのよ」


 根拠なんかない。

 リンクのように理路整然とは話せない。


 でも、


「アイビーはね、絶対に、貴方は裏切らない。だからあの子が裏切ったということは、貴方が指示を出したのよ」

「俺にそんな権利はないよ。ただのどこにでもいる餓鬼……いや、今はもう大人か。精神としてはただのガキンチョのままだよ」

「茶番はもういいの。お願い。教えて。貴方は何をしたいの?」


 なんで、教えてくれないのだろう。

 どうしてこの人は、下らないことは話すのに、大事なことは話してくれないんだろう。


 私にそんな価値がないからだろうか。

 話してもしょうがないと思われているのだろうか。


 それが優しさだと言われても、素直には受け取れない。がむしゃらに傷つけてくれた方が、いくらか優しさだと思える。


 蚊帳の外で大切に包み込まれるなんて。

 とっても、寂しかった。


「……俺はさ、何も持ってなかったんだよ」


 リンクは滔々と話し始めた。

 尿意など、きっと最初から存在していなかったんだ。

 ほら、また、嘘をついていた。


「今は多くの大切なものがある。だから、それを守りたいんだ。おまえもその一つだよ」

「そう思うのなら、ちゃんと言葉にしてよ! もう何年も一緒にいるじゃない。私のこと、好きなんでしょう? 私だって貴方のことが好きよ。だから、――教えてよ。貴方の抱えているもの、私にも背負わせてよ!」

「それはできない」


 マリーの思いは簡単にはじき返される。


「……なんでよ」

「おまえには生きていてほしいからな。俺がここまで頑張った意味を残させてくれよ」


 ひゅ、と変な音が鳴った。

 自分の喉から出た音だとわかったのは、数秒後だった。


「なによ、それ。私は生きるって……。まるで、……。貴方は、どうなるのよ」

「さてな。どうなるんだろうな」


 いつものように皮肉たっぷりに肩を竦めている。


「何を、したの? 何をしているの? 何をするつもりなの?」

「もうわかるだろ。ピースは整った」

「わからない……。わからないのよ、貴方のことは、ずっと、ずっと……」


 視界が滲んだ。

 リンクの顔がぼやけていく。


 ずっと、この執務室の中で一緒にいると思っていた。

 くだらないやり取りをして、国の未来を考えて、暇ができたら遊びに行って、魔物の軍勢だって、一緒にやっつけていこうとしていたのに。


 なんで、こいつは、先に行ってしまうのだろう。

 どうして何も言わずに置いていってしまうのだろう。


「……悪いな」

「謝らないでよ。謝るようなことなら、最初からしないでよ」

「それもそうだな」


 マリーは王冠を頭に乗せた。

 涙で滲む視界で、リンクを睨みつける。


「ここで貴方を拘束するわ。いいわよね?」

「なんで許可をとるんだよ。おまえのしたいようにすればいい」

「――それは、卑怯だわ。とっても卑怯」


 それができているのなら、もっと早くそうしていた。


 リンクの背中から羽根をむしり取り、鳥かごの中に閉じ込めておきたかった。霊装ティアクラウンの能力を借りて、彼を自分の傍から離れられないように、したかった。

 貪欲で意地汚い自分は、リンクを檻の中に閉じ込めておきたくて仕方がない。


 でも。

 それをしてしまったら、すべてがこわれてしまうきがして。


 この王の霊装に頼ってしまったら、自分はマリーではなくなってしまう。リンクが助けてくれた、リンクが愛してくれたマリーとは、外れていってしまう。


 王冠が頭から滑り落ちる。

 ごろごろと床を転がる、王の証。


「王冠なんかを使って言う事を聞いてもらっても、何も嬉しくない。貴方の意志を曲げてまで一緒にいてほしくなんかない。私は、私は――ただ」


 リンクの顔色は変わらない。

 覚悟を決めた男の目だった。

 女の涙なんかで変わるような覚悟ではなかった。


「……この王冠に人の気持ちを変えるような力があったのなら良かったのに。そうしたら、私は貴方が私のことを好きで好きで離れられないようにするわ。ずっとずっと、私の傍にいてくれるようにするのに。

 誰もが欲しがる王冠。結局私は、こんなもの、一切欲しくはなかった。こんなものは私の望みを何も叶えてはくれない……」

「おまえはティアクラウンに人の気持ちを変える力があったとしても、それは使わないよ」

「そうね。そんな気持ちに意味はないわ。貴方が貴方の意志で一緒にいてくれたこの数年間が、私にとっては宝物だったんだもの」


 涙は収まらない。

 今までこの手の質問をのらりくらりと躱してきたリンクが、どうして今になって向かい合って思いを口に出してくれているのか。


 この男は全て計算している。

 きっと、”もう全て済んだ”から、話したのだ。

 もう話しても何も変わらない段階まで来たから、伝えたのだ。


「お別れなの?」

「ああ。もう終わりだ。俺はもう、人前に姿を見せることはない。次は断頭台の上だ。そういう道を進んだんだ。リンクという人間は大勢の人に恨まれて、憎まれて、死ぬよ」

「……なんでよお……」


 弱弱しい声が自分の声だとは信じられなかった。

 母親が殺されたときだって、こんな声を出さなかったのに。


「黒の曲芸団の死をもって、最後の計画は完遂される。人類のためなら安いもんだ」

「でも、その人類に貴方はいないんでしょう?」

「俺ごときがいなくたって、何も変わらないよ」

「……その自虐をやめて。貴方は素敵な人よ。私が惚れたんだから間違いないわ。シレネだって、アイビーだって、多くの素敵な人が貴方に想いを寄せているの。そんなこと、二度と言わないで」

「はは。そう言ってもらえると嬉しいよ」


 駄目だ。何を言っても結末はもう変わりようがない。

 今目の前にいる彼が、最期の彼かもしれない。


「……キスして」


 リンクは黙って近づいてきて、唇を奪ってきた。

 貪るような、艶やかなキスだった。


 離れる。

 離れたくなんかないのに。


「……私も連れていって。私も黒の曲芸団にいれて。行き先が地獄でも断頭台の上でも構わないわ。ほら、女王が人類の敵だった、なんて、良いストーリーじゃない? なんでもいいの。貴方がそこにいてくれるのなら――」


 縋る様に彼の服の袖を掴んだ。


「駄目だ。おまえは人類の王だ。人々の支えとなって、魔物を屠れ。王としてのおまえの責任だ」

「そんなものいらない。貴方がいてくれるから王になっただけなの。貴方がいないのなら、王なんかいらない」


 馬鹿なことを言っているのはわかっている。

 これではただのわがままな小娘。

 王というポジションには能わない。だからこそ、目の前の男についていくことができる。


「アホか。おまえはとっても優秀だよ。おまえは最初から、王になるべくして生まれたんだ。おまえだから皆がついてきたんだ」


 届かない。

 何を言っても、駄目。

 わかってる。でも、諦めたくはなかった。


「いやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいや!」

「わがままだな相変わらず」


 困ったような笑顔が好きだった。

 自分が困らせていると思うと、それは心地いい時間だった。


 だから私は貴方の前ではわがままなの。

 貴方の前だけ、わがままでいるの。


 そんな幸せな時間は、唐突に終わりを迎える。


「リンク!」


 マーガレットが部屋の中に駆けこんでくる。

 至近距離の二人を見て眉を顰めたが、改めて声を荒げた。


「ライとハナズオウ、アイビーが黒の曲芸団に所属している裏がとれました。つい先ほど、斧の霊装を使用する人間も現れました。彼はレドですね」

「そうか。それは大事件だな」

「それ以上、何も言う事はありませんか」

「ないな」

「……」


 マーガレットは顔を伏せた。


「四人とも、誰かの意見を聞いているような話しぶりでした。彼らをまとめている真犯人がいる。狡猾で、計画的で、大胆な、黒幕が他にいるんです」

「そうなのか」

「――貴方ではないのですか。貴方しか、考えられない」


 リンクは答えなかった。


 代わりに、マリーの身体を離す。


 マリーが伸ばした手は空ぶった。


「それはおまえがその目で確かめろ。魔王はきっとすぐに現れる」


 リンクの姿が消える。

 霊装フォールアウトの力であることは明白だった。


 きっと今までだって、トイレに行くという名目でこうやって移動していたのだろう。


 残されるマリーとマーガレット。

 マーガレットはマリーの顔を見ると、唇を噛んで、背を向けた。


「……私はリンクの動向を追います。貴方は――少し、休んだ方がいいでしょう」


 扉が閉まる。

 一人になる。


 四年以上を過ごした執務室なのに、なぜだか初めて来た部屋のような気がした。

 一人がもう帰ってこないだけで、ひどく無機質に感じられた。


 言葉は出なかった。

 ただ、嗚咽と涙しか出なかった。


 青い顔をしたレフが入ってくるまで、マリーはただただ泣き続けた。



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