第144話
◆
マーガレットは一人、学園を訪れていた。
学園は陸の孤島。部外者の侵入は基本的には許されない。
急な来訪は困りますと事務の人間に制されたが、予言に関わることだと伝えると相手は口を閉ざした。緊急で確認したいことがある、人類の未来に関わることだと伝えれば、学園長でも首を横には振らせない。
やってきたのは学園の書庫。
確認したかったのは、学園生徒の名簿。国に管理されている霊装使いたちの名前と能力の一覧。
今年のものから過去へと遡っていく。記載があるのが何十年前だったとしても、絶対に見つけてやると思った。
そんな覚悟とは裏腹に、目的の人物は意外と早く見つかった。
ハナズオウ・ツイバラ。
入学時期は五年前。リンクたちの入学の一年後だった。
霊装の能力は、”フライウイング”。
青と赤、二種類の羽根を手にして、片方からもう片方への移動を可能とする。移動元となる箇所に羽根で円を描き、場所を指定。その上にあるものが生物、無生物問わず移動の対象となる。もう片方の羽根を起動すると、眼前にそのものを召喚することができる。霊装の使用条件上、移動元に何が置かれているかはある程度把握できるらしい。
その後の追記で、土のように粉状のものは移動対象にならないと記載がある。移動対象は一つの個体として認識できるものに限るとのこと。学園の中で霊装の力をより詳細に把握する授業があるから、その一環で見つかったのだろう。
昔は煩わしかった学園のこういう仕組みが、今となっては有難い。
国に管理される霊装使い。学園に通っていれば、こうして過去の情報を確認することができる。何かあったとき、犯人探しに役立つのだ。
それを理解して学園の入学を拒否して行方をくらます存在もいるが、ごく一部だ。綺麗な学園、不自由のない生活、不具合のない未来、それらを手にできる学園に入らない選択肢は、腹に一物抱えている人間しかありえない。
ハナズオウ、ハナズオウ、ハナズオウ……。
マーガレットには聞き覚えのない名前だったが、頭の中で咀嚼した。その名前を忘れないように刻み込む。
もう一人、探さないといけない人物がいる。
それも、次のページに記載があった。ハナズオウの前年度に入学している。
ライ・エキザカム。
霊装は飛翔する箒。穂先から勢いよく空気が噴射されることで空中での移動を可能にしている。人を二人乗せても問題ないくらいの馬力があり、前方に打ち出すことで攻撃にも転用可能。箒自体には飛翔能力以外に特徴はない。
なるほど、あの棒状のものは箒だったのか。最初見た時は何かわからなかったが、これで得心がいった。
こちらも聞き覚えの無い名前だったが、名前を頭に刻む。
「……あれ。二人とも霊装使いなのに、なんで私が知らないんでしょう」
何度も繰り返した世界。魔物との激突の時に、名前くらいは聞いていそうなものだが。
今はそれは置いておくことにした。何より、時間が惜しい。
二人の進路も確認する。
二人とも学園卒業後には討伐隊に入って、王都の外で活動している。討伐隊基地はまだ街としての機能は十全ではない。小細工は王都よりも簡単に行えるか。
「……討伐隊の任務はどうしたんでしょう。流石に抜け出せば問題になっているはず。ここから基地まではそれなりに距離があるし、王都に顔を出すのは難しい……。ああ、二人とも移動に特化した霊装だから苦にはなりませんか」
いや、それも違う、と首を横に振った。
討伐隊の中には王都の応援に来ている人物も多い。ハナズオウとライだって、王都に応援で来て、常駐している可能性が高い。そんな身分で王都を荒し回っているのだ。
不届き者め。
だがしかし、これで黒の曲芸団の尻尾は掴んだも同然。
構成員の所在がわかった時点で、上手く泳がして拿捕だ。
まずはマリー女王に伝えて――違う。
リンクとマリーはどこまで信じられる? あの時執務室でアイビーを捕えられなかったのは大きな痛手だった。リンクの方は気にした様子はなかったし、マリーのあの狼狽だって演技の可能性がある。そもそも、リンクがアイビーに肩入れしていたのは間違いがないのだ。アイビーが犯人の一味であることは明らかだったのだから、その肩を持つ人物は怪しい。
――自分で動くしかありませんね。
討伐隊の宿舎を訪れて、聖女として私が二人を捕縛する。
私が、やるのだ。それでいこう。
「……あら」
資料を棚に戻して立ち上がると、女性の声が降りかかってきた。
顔を向けると、出入口にはシレネ・アロンダイトが立っていた。
「マーガレット様。こんなところでどうしましたの?」
「少し調べ事をですね……」
こんなところで出会うなんて、奇遇で済ませていいのだろうか。マーガレットはシレネすらも怪しく見えてきた。
リンクが怪しい行動を取っている以上、彼女もまた怪しい。彼女もリンクの傍にずっといるのだから。
「そうですか。調べもの……。ちなみに、何を調べていたか教えていただいてもよろしいですか?」
「別に大したことではありませんよ。逆に、貴方はどうしてここに?」
「私も調べ物をしに来ましたの。かぎ爪の霊装を扱う人物の情報がここにないかと思いまして。学園に入学していれば、名簿があるでしょう?」
「かぎ爪の霊装?」
シレネはマーガレットの横を通り過ぎて、棚の中の書類に手を伸ばす。
通り過ぎるときに、マーガレットを気にした様子はない。マーガレットを咎めに来たわけではなく、純粋な偶然の出会いのようであった。
マーガレットは少し緊張を緩めた。
「そこには載ってないと思いますよ」
「そうですか。やはり学園の生徒ではなかったと。……どうして貴方がそれを知っているのです?」
「私、誰がその霊装を扱ってるか、知ってますから」
マーガレットが言うと、シレネが素早く振り返ってきた。
「どこで知ったんですか? 誰です?」
――そういえば、シレネはリンクからトキノオリのことは聞いているんでしたっけ。
以前、教会に押し掛けたとき、そんな雰囲気だった。
では、それなりに正直に話してもいいだろう。
「両手に獣みたいな爪がつく霊装でしょう? 前世で会ったことがあります。使用者はウルフ。今、姿をくらませていて、巷で有名な騒動の一員とされていますよね」
「私が直近で会いましたわ。黒の曲芸団の中で、アクロバットと名乗っていました」
「え」
マーガレットは目を見開いた。
報告を受けてはいたものの、ウルフが噛んでいるというのは半信半疑だったのだ。
「……ウルフが死んで霊装が移ったとは考えづらいですし、それは本当にウルフでしょうね。名前だけうまく使われたのかと思っていましたが、本当に暗躍しているとは」
「こういうことに手を染めそうな人物ではないのですか?」
「以前は義を重んじる人でしたね。人の繋がりを何よりも大切にしているから、人望もありましたよ。どうあっても、王都を陥れるような人物には思えませんでした」
「お金でつられそうなタイプではないと?」
「うーん。私も懇意にしていたわけではないのでそこまでは。お金だけでは靡かないとは思いますけどね。ああ、それこそ、ザクロ・デュランダルに聞いてはいかがです? ウルフは彼のパーティーに入っていましたからね」
マーガレットの知るウルフという人物は、人情に溢れた人間だった。
以前の世界でも魔王討伐に尽力していた。ザクロと同じパーティーで、それなりに腕の立つ男だった。聖女として少し話したこともあるが、そのままの人物だった。
「ザクロさんは以前を経験していないでしょう。聞いてもわかりませんわ」
「ああ、そうでしたね。どうも頭がこんがらがります。私も過去では色々と動きましたからね。ウルフもずっとザクロのパーティーにいたかというと記憶が定かではありません」
「……でも」
シレネは何かを言いかけて、口を閉じた。
「なんですか。途中で止めないでください」
「いえ、なんでもありません。それで? 私はここに来た理由を話しましたけれど、貴方がここに来た理由はなんですか」
「ハナズオウとライのことを調べていたんですよ。黒の曲芸団に所属している二人をね」
シレネが息を飲んだ。
彼女らしからぬ、茫然とした顔になっている。
「お知り合いでしたか? ああ、ライと貴方は同じ学年でしたっけ。逆に聞かせてください。どういう人でしたか? 交友はあったんですか?」
「……ええ。それなりに話したこともありますわ。そんなことをする人物ではないと思いますが……。確認ですが、マーガレット様が直接霊装を使うところを見たのですか?」
「はい。この眼でしっかりと。魔物を転送しているのが、ハナズオウでした。ライは空飛ぶ箒を使って、ハナズオウの逃走に一役買っているようでしたね」
「このことは誰に? リンク様には伝えましたか?」
「いえ、まだ誰にも。知っているのは一緒にいたカストールくらいですね。しかし、リンクとマリーは最近怪しい行動が目立ちます。彼らに頼ってもいられません」
「……」
シレネはその場に立ち尽くしていた。
リンクのことを悪く言ったのが気に障ったのかな。
「あ、リンクのことは私が思ってるだけですよ。証拠は何もありません。一番尽力している人ですし、気のせいだとは思いますけど」
「いえ、そういう、わけでは、いえ、それも、なんですけれど」
「……大丈夫ですか?」
マーガレットも流石に心配になって尋ねてみる。
どうも話に出た名前の方が気にかかっているようだ。
はて、ハナズオウとライと、シレネに繋がりはあったのだろうか。学年は近いし、それなりに仲が良かったのだろうか。過去を振り返ってみても、シレネの周りに二人がいた覚えがない。
返す返すも、どうも二人とも、聞き覚えの無い名前だから判然としないのだ。どうして今回になって現れたんだろうか。
「大丈夫です、わ。お気になさらずに」
シレネは振り返って笑みを向けてくる。
彼女らしからぬ、引きつった笑みだった。
「まあ、とにかく、こうして犯罪者の尻尾は掴んだんです。後は捕まえるだけ。シレネも動いてくださいね」
マーガレットは背を向けて、書庫の外に出た。
一歩一歩、着実に進んでいる。
この世界を平和にするのは、私なのだ。
◆
シレネは悩んだ。
手にした黒剣で、眼前、背中を向けて隙だらけのマーガレットを斬り殺すかどうか。
――阿呆か。
結局、剣をしまった。
こんな判然としない状況で動いても、どうにもならない。
そもそも、マーガレットの方が正しい行動をしているのだ。自分が今しようとしていたのは、それに反逆する行為。誰にとって正しい行為になるのかもわからない。
マーガレットが何の気なしに放ってきた情報に押しつぶされそうになる。
彼女はわかってて言ったのか。いや、そんな風には見えなかった。
ハナズオウとライが黒の曲芸団に所属している?
二人とも、自分に近いところにいる。ライなどは傍付きだったのだ。なんでマーガレットはそのことを指摘しなかったのか――と思って、過去の世界ではライはすでに死んでいたのだと思い至った。リンクが動かなければ、ライは早々に死んでいて、マーガレットの目に入ることもなかった。
ハナズオウもほとんど同じ。アイビーが死んでいた世界では、ハナズオウが魔王として潜伏していたのだと本人から聞いた。
なんで二人が?
どうして、黒の曲芸団に?
そして、ウルフが以前、ザクロのパーティにいた?
ということは、当時のパーティーメンバーは当然、彼の霊装を知っているはずだ。かぎ爪という霊装で、ウルフが該当することはすぐにわかる。
ウルフはザクロのパーティーにいたという。そして、リンクは、ザクロのパーティーにいた。
二つの情報は、一人の人物像を浮かび上がらせる。
ライとハナズオウは、誰に唆されて黒の曲芸団なんていう組織に協力したのだろう。
なんでリンクは、かぎ爪の霊装の報告を自分がした時に何も言わなかったのだろう。
かぎ爪の霊装の話は以前に出した。
その時彼は何も言わなかった。
ザクロのパーティーには、彼も所属していたはずなのに。だからザクロのことを尊敬していると、口に出していたのだ。
「……なんで」
なんでそんなことをしたのか。
なんでそういった判断をしたのか。
そうじゃない。
それはどうでもよかった。
シレネを苦しめるのは、向かう先じゃない。
向かうための、お供の存在。
「――なんで、私に言ってくれないの……」
シレネはその場に崩れ落ちた。
暗躍する黒の曲芸団。差し迫る魔物の大軍。消息を立ったアイビー。
それらの情報は、一つの思惑をシレネに想起させた。彼と一緒にいたからわかること。彼の考えがわかった。中途半端に賢くて、リンクと同じ打算に塗れた自分はわかってしまう。
あの時相対したのは、やっぱり、彼だったのだ。いくら過信していたとしても、慢心したことはない。シレネは簡単に負けるような女じゃない。
だとしたら、おかしいのは敵の方。自分の行動をあそこまで読めるのは、一人しか思い当たらない。
対峙したのは、彼。隣ではなく、眼前にいた。
だからこそ――ひどく哀しかった。
”選ばれなかった自分が”
”共に戦えない自分が”
ただただ、その事実が哀しくて。
核心に至ったマーガレットはここで止めた方がいいのだろうか。彼の脳内では、どこまでが計算なんだろうか。自分は彼に対して、できることはないのだろうか。
もう、わからない。
わからなくなって、蹲って。
昔の自分に戻ったように、ただただ泣いてしまう。部屋の隅で一人、泣いてしまう。
弱い弱い自分は、彼にその真意を聞きに行くことすらできなかった。
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