夢占いの館にて ――1――

 話を受けてから二日が経った。

 笹良に話を聞くまでもなくわかっていたけれど、凍の返事はやはりというか決まっていた。『夢占い』に魔眼が関係していると直感したのだろう。


 ぼくと凍の返事を確認した笹良が、八重霧へ折り返して連絡を取ったところで、ふたつ返事で夢占いの館行きが決まる。予約を取ることすら困難だと紹介されていたものの、どうも剣野義さんの付き添いで、という話で三人分の予約を入れることができたらしい。

 二人ではなく、追加で三人分、だ。

 未成年ふたりだけで旅に出すわけにもいかない(それも訳アリのふたりともなれば)と笹良が判断したのは当然と言える。保護者監督として大人の同伴が必要。ともなれば、八重霧でもついて来るのかと思ったけれど、どうも彼は警察のほうで別件に着手したところで旅行する暇もないらしい(本人は『残念ですが』なんて電話越しに言っていたが、残念でもなんでもない)。

 笹良も足桐医院を空けるわけにはいかないとのことで、普段から凍の世話をしてくれている看護師、御石みいし 志摩しまさんがついてきてくれることになった。ぼくとしては心強い。凍の包帯をきれいに巻けなくて、惜しむ心配も必要ない。


「シートベルトたしかめてね」


 荷物を詰め込んで乗り込んだ車、いざ出発というタイミングで、後部座席に座ったぼくと凍をバックミラー越しに確認する御石さんがそう言った。

 ハンドルを握り運転に先駆けて、座席の高さをたしかめるようにしている彼女の姿は、病院の中で見る白衣を纏ったものではなく、ラフなジャケットにおしゃれなシャツを合わせたパンツスーツ。童顔でかわいらしくも見えるのに大人っぽい。肩口で揃えられた黒髪にヘアピンを止めて、薄めの化粧をした目をぱっちりと、ぼくを見て片目でまばたき。ちょっとした大人の色気を感じてドキドキもしてしまうのだけれど、それもまあ、仕方ないと思ってほしい。


 ぼくと御石さんのやり取りが見えてもいないだろうに、横に座る凍はクスッと笑って、「大丈夫です、志摩ちゃん」と返事をしている。

 今日の凍は少しお洒落をしている。遠出、それも泊りがけのお出かけともなれば、気合も入る年頃だろうか。

 黒を基調とした服装に、顔に巻いた白い包帯はいつも通り変わりないのだけれど、白いフリルのあしらわれたふわりと広がるスカートに、同じようなフリルのついた袖が広がっているシャツを着ている。いわゆるゴシックドレスに近いものだろうか。ただ、スカートが広がりすぎている印象もない。着飾り過ぎないように、と心がけているらしい凍の配慮が見える。

 目は見えなくとも身だしなみには気遣いたい。凍も女の子であることを再認識させられる。対してぼくはと言えば、いつもと変わらず動きやすい服装を選んだために、横に並ぶものとして似つかわしくないかもしれないけれど。


「なに? 視線を感じるんだけどー」


 と、ボーッとその姿を眺めていたことを悟られたのだろう。凍はこちらに顔を向けて口を尖らせる。


「いや、長時間の移動だろ? 具合悪くなったりしたらすぐ言うんだぞ」


 見惚れていたなんて口にはできないけれど、凍に嘘をついたところですぐにばれるのが関の山。県をふたつほど跨ぐ長距離の移動になると聞いた。そう心配している気持ちに嘘はない。ただまあ、誤魔化し切れもしないのだろう。凍はなにか言いたそうに頬を膨らませてから、「ふっ」と息を吐く。


「大丈夫だよ。蒼起こそね」


 逆に心配されてしまう始末。まあそれもそうか、と納得できてしまうのが情けないところではあるのだけれど。

 凍は目が見えないとはいうけれど、日常生活を送る上でそれほど不便を感じていないのだろう。彼女が持つ超感覚がそうさせている。

 一度認識さえしてしまえば、だいたい見えているようなものだ、と彼女はよく言う。音を、においを、形を。どうにかして知ってさえしまえば、部屋のどこになにがあるか、どう置かれているかまでわかるらしい。言っていることが到底ぼくには理解ができないのだけれど、そうやって過ごしている彼女の姿は、幾度となく見てきている。現に、シートベルトをひとりでかっちりとしめて見せた。


「心配はかけないようにするよ」


 とは言え、ぼくが凍に心配をかけるわけにもいかない。ぼくもシートベルトをしめてそう返事をしたところで、御石さんがアクセルを踏み込んだようで車が動き出した。


「ふたりともわたしを頼ってね! さて、じゃあ、いざ出発!」


 ハンドルを握る御石さんが笑顔でそう言う様子は、ぼくや凍なんかよりもこの旅を楽しみにしていそうなものだった。


 足桐医院を離れて公道へ、そして、高速道路に乗って、見慣れない景色が窓の外を過ぎて行く。目的地である夢占いの館までは、車を走らせて三時間ほどだと御石さんは語っていた。出発したのは朝も早い七時過ぎ。車内にあるカーナビにも、到着予定時刻として十時三十五分と表示されている。

 出発は三人で。凍を誘ったという剣野義さんは現地で集合することになっている。そこにどういった思惑があるのか、是非ともたしかめなければならないところではあるけれど、今のところ気にしていても仕方がない。


 八重霧も部下をひとり寄越すとは言っていた。仲介した手前、無責任にも放っておくことはできないのだろう。そこにまだ事件性はなかったとしても、凍を外へ連れ出すということにはリスクが伴う。秘見弥から追放されているとはいえ、凍は歴としたその血筋を引く、魔眼を持つものだ。だから念には念を入れる必要があるらしい。


 しかし、よく予約が取れたものだ、と他人事ながらに感心してしまう。夢占いの館は、今となっては知る人ぞ知る観光地になっている、と雑誌では紹介されていた。雑誌で紹介されるほどにもう知る人ぞ知るものではない。一度に見られる人数にも限りがあり、予約を取ることは困難。そうとも書いてあったはずだ。

 笹良からの伝言を聞くところによれば、ちょうどひと組分のキャンセルがあって、たまたま彼の部下の分の予約を入れられたとか。それを「よかった」とひと思いに安心できないのはなぜだろうか。どうにも違和感が拭えない気はした。

 ただ、そこにどんな不安や違和感があったとしても、今さら中止にもできないだろう。車はぼくの思考の巡りとは関係なしに、御石さんの運転で高速道路を進む。風を切り山並みが窓の外を過ぎて行く。ちょうど県をひとつ跨いで、県境の看板が目に入り、『ようこそ』だかと無責任な歓迎をされている。


「サービスエリア寄る? トイレとか休憩とか」


 走る車の台数は少なく道は空いているらしい。御石さんは運転をしながらもバックミラー越しに、ぼくと凍の顔色をうかがっていた。

 ぼくとしてはどっちも心配はいらなさそうなところだけれど、凍はどうだろうか。そっと凍の顔をうかがうと、彼女も首を横に振る。


「大丈夫です。志摩ちゃんこそ、運転任せちゃって。休みたくなったら寄って」

「ううん、わたしはね、運転も大好きだから、いいのよ」


 笑顔でこたえる御石さんに、凍も微笑んでこたえている。仲良さそうに話すふたりには姉妹のような印象を覚える。御石さんがたしか二十五歳とか。少し年の離れた姉妹といったところか。もうずっと長い時間、凍が『本家』を追い出されてから世話をしてくれているという関係上、そういうものなのかもしれないけれど。


「蒼起くんは?」


 ぼくは凍の付属品のようなものであるからして、特別こたえようともしなかったのだけれど。御石さんは黙っているぼくのことも心配したのか、改めてそう聞いてくれた。


「ぼくも大丈夫です」


 これはこの前、真夜中のハイウェイへと八重霧に連れ出されたときにも思ったことだったけれど、どうも車に揺られることに慣れそうにもない。とっとと目的地についてしまいたいというのが本心だった。嫌なことはとっとと終わらす。嫌いなものから食べる、それがぼくという人間らしい。

 車酔いというやつか。もやもやとする胸のうちが、考えれば考えるほどに自覚できた。ふと、窓に顔を寄せて、横目に流れる風景を眺め続ける。流れ過ぎて行く風景が覚える間もなく次から次に飛び込んでくる。その速さがどうにも心地よいのか、目は自然と薄く閉じてゆく。


「眠かったら、寝ちゃってもいいよ」


 運転をしてくれている御石さんは、そんなぼくの様子まで見守ってくれているのか、そう言った。


「いえ、まあ……」と体を起こして返事をしたものの、すぐさま元の体勢に戻って外を眺めた。

 運転を任せているだけに、寝てしまうのも申し訳なくは思えた。ただ、眠かったのも事実。遠足を楽しみにして眠れない子供でもなかったのだけれど、どうも昨日は寝つきが悪かった。


 不安か、心配か。目を閉じるとどうしても考えてしまうのだ。

 記憶のないぼくが凍の横に並ぶ理由。凍がぼくの手を取ってくれる理由。魔眼に纏わる真実を追うという目的、彼女の想い。それらをぼくは知っていたはずなのに、思い出すこともできない。

 今回、凍に白羽の矢が立った意味も必ずなにかある。だから、彼女が選んでくれるというのならば、ぼくはそばにいようと決めている。


 夢占いの館に宿の予約を取るにしても、凍の名は足桐 凍として予約した。それほどに秘見弥の名には力がある。わかる人が見てしまえばわかるだけの意味がある。ぼくが足桐姓を名乗っているのは、『そのほうが、都合がいい』ということだったけれど、凍の場合もそういうことだ。

 それで凍自身の力が抑えられるわけでもないけれど、できるだけ目につかないほうがいいのはたしかだ。


 ボーッとそんなことを考えて、流れる景色を見送っているとまぶたが重くなってきた。

 目を閉じると真っ暗な世界が広がる。投げっぱなしにする空いたぼくの右手を、凍がそっと握ってくれて温かかった。その感触を最後にぼくの意識は途絶えている。寝るなんてことは冗談程度に考えていたのだけれど、どうも本当に眠ってしまったらしい。

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