第11話
私には、価値がある。
周りから聞こえてくる声は、教えてくれる。
人より聞こえる耳はその声を拾ってくる。
他の子たちが霞むほどの、価値があると。
どこに? 誰が?
嬉しさと恐怖と悲しみと虚脱感が、ごちゃまぜになって私を震わせる。
なんで?
なんで私はそんなに価値があるの? どうして他の子と違うの?
二つの目がついて、鼻が一つあって、紅い唇が良く動いて、両手両足を扱えるだけの、人間なのに。どこにでもいる、人間の姿をとっているはずなのに。
大人たちはそうは扱ってくれない。
宝石?
琥珀?
私は、もしかして化け物ですらないのだろうか。
石も同じ。ただ所有欲を満たすだけの、伽藍洞な、モノ。
「ふふ……」
面白い。
そうなれば、私の生に意味などないということになる。息をする必要も、食事も運動も睡眠も必要ない。皆が欲しいのは私の外側だけ。
おまえは空っぽでいい、そう言われているのだから。
生きることを求められていないのだから、動かなくてもいいのなら、それは死と同義だろう。
こんなに色々考えても、それは必要のないものなのだ。
だったら、求められるままに笑っていればいい。
笑うだけのモノ。それが私なのかもしれない。
「マリア!」
イヴァンに頬を挟まれて、我に返った。
今日やることを終えて、今は自室。イヴァンの話をにこにこして聞いていたら、イヴァンが真剣な顔で私を見つめていた。
「どうしたの、イヴァン」
「そんな顔で、笑わないで」
泣きそうな、吸血鬼。
私はまた、不安になる。
また笑顔が違ったのか。人として笑えていなかったのか。
イヴァンとシクロだけには、そんな顔をしてほしくない。
「……カワイクないかしら?」
「可愛い。可愛いよ。でも、そんな作り物の笑顔、私の前で見せないでよ」
作り物の笑顔。
がらがらと私が音を立てて崩れていく。
見破られていた。
羊の皮の下を覗かれた。
とっても恥ずかしくて、死にたい。消えてなくなりたい。
なんで他の人のように、笑えもしないのか。
「ち、違うの。私は、私は……」
声が震えてしまう。
笑顔で着飾った、カワイイワタシ。
みんなが好きだと言ってくれて、価値があるワタシ。
「ごめんなざいごめんなざいごめんなざいごめんなざいごめんなざいごめんなざい」
化け物が人の真似をしてごめんなさい。
人になれると勘違いしてごめんなさい。
人間達の輪に紛れ込んでごめんなさい。
一丁前に生きてしまってごめんなさい。
私は、結局、人の真似すらできない紛い物。
「違う、違うって!」
イヴァンは私の目を離さない。
離さないで、いてくれた。
「どうでもいいの。どっちでもいいの。マリアはマリアだから。だから、人でもモノでも化け物でも、マリアらしく笑ってよ。私はなんでも受け入れるから。どんなマリアも、好きだから」
胸が、熱い。
凍った心に熱湯がかけられるような、不思議な感覚。
熱すぎて、麻痺する。嬉しすぎて、痺れてくる。
「……イヴァン。私は、きっと、他の誰とも違うの。貴方に、認めてほしい。貴方にこんなにも歪な感情を持ってしまっている」
抱きしめたくて。
一緒になってほしくて。
「化け物なの、獣なの、悪魔なの」
抑えようの利かない感情は、溢れて零れて、何になる?
解放したとき、私は私のままでいられる?
すべてを壊してしまうんじゃないか。
人間もどきとして、笑えている?
「怖い……。怖いよ、イヴァン」
イヴァンに抱き着いて、しがみつく。
人間に、しがみつく。
イヴァンは暖かく、抱きしめ返してくれた。
「私だって、怖い。私が吸血鬼だって、見れば誰だってわかるんだよ。外に行ったら、きっと皆が私に石を投げる。化け物だって罵られる。きっと、アンナよりもひどい目に逢う」
ぞっとして、思考が止まった。
脳の表面をざらざらした何かで撫でられているような、とっても嫌な気持ち。
「いや。いやだよ、イヴァン。そのままの、綺麗な貴方のままでいて」
「そういう世界なの。だから、せめて、マリアは心から笑って。私の前では、嘘をつかないで。化け物の、マリアを見せて」
潤んだ瞳。
吸い寄せられてしまう。
キス。
甘くてしょっぱくて、ぞくぞくする行為。
私はベッドの上にイヴァンを押し倒していた。かつてシクロを押し倒したときの様な、不安はなかった。
代わりにあるのは、底冷えするような安心。
冷えて冷えて固まって、だから自覚できた自分の本性。
「イヴァン。貴方が好きよ。愛しているわ」
「私も愛してる。マリアなしの人生なんて、もうあり得ない」
少女二人は見つめ合う。
「貴方だけがいればいいわ、イヴァン」
かつてないくらい、私は落ち着いていた。
常よりあった黒いもやもやは鳴りを潜め、代わりにピンク色の感情に支配される。
そうだ、私は、彼女の瞳に映る私。
それ以外は、きっと皮なのだ。どうでもいい服なのだ。
◇
私は化け物だ。
人じゃない。
それでもいい。
私は、人を愛するために生まれたのだ!
この私という存在は、人を愛するために生きている。
そうであれば、化け物でもいい、悪魔でもいい。
愛しい人が幸せそうでいてくれれば、それでいい。
今まで悩んでいたことなど、全てがどうでもよくなった。
私は、化け物。
でも、それでいい。
私は朝日を浴びて目を覚まし、隣で寝息を立てるイヴァンの頬を撫でる。寝ぼけているのか、口は私の指をくわえて、甘噛みしてくる。
「ああ、可愛い……」
心の雲がきれいさっぱり晴れるくらいには、心地が良かった。
小鳥の囀りの綺麗なこと。朝日の暖かいこと。隣の少女の可愛いこと。
全部全部、初めて見た景色かのように、色彩を伴って私を迎え入れてくれる。
「うふふ♪」
鼻歌と共にベッドから出る。今日着る服を用意する。水場に行って軽く体を洗う。
洗面桶に水を入れて、スキップと共に部屋に持ち帰る。並々と水の入った桶を床に置くと、ちょうどシクロが目を覚ましたところだった。
「シクロ、おはよう。水を持ってきたから、顔を洗ってね」
「……うん」
寝ぼけ眼をこすりながら、シクロが水音を立てる。
ああ、可愛い。
シクロも可愛い。
眠そうにしているところや、欠伸を噛み殺しているところや、子猫のように背を丸めているところも。
食べちゃいたい。
ワタシがどれほど貴方のことを好きか、伝えたい。
「どうしたんですか、マリア」
じっと見ていたからだろう、不思議そうな顔でシクロは首を傾けた。
私は近づいて行って、彼女の唇を奪った。押しつける様にして、離す。
「シクロは可愛いって、そう思ってたのよ」
「ふぁ!」
シクロは肩を震わせて後ずさった。
「あら、逃げるなんてご挨拶ね。私、貴方のことが大好きなのに。私の愛から逃げるの?」
でも、わかってる。照れてるのよね。貴方の事、なんでもわかるもの。目を見れば、全部わかる。
私は貴方の瞳の奥にいる。だから、全部わかるの。
思いを伝えてにじり寄ると、面白いくらいにシクロの顔が真っ赤になっていく。ゆでたタコのようだ。
「ま、ま、まりあ! あ、ああ朝っぱらからどうしたんですか!」
「ふふ。私、生まれ変わったの」
もう何も怖くない、不安ではない。
好きな人に好きと伝え、愛を伝える。その過程で出る、甘美な快楽。
それを得るために、私は生まれてきた。もしくは、それが私の生きがいで、生きる意味。
悩んでいたあれこれが馬鹿らしくなる。
私はもう、化け物でいい。
愛する人に愛していると言ってもらえれば、化け物でも幸せになる。
「ねえ、シクロ。貴方は私の事、好き? 愛してる?」
シクロの髪を撫でる。指通りのいい髪は、私の指の間をすり抜けていく。
「す、す、す」
「何度でも言うわ」
シクロの耳元に口を当てる。昨晩、イヴァンにこれをしたら、ぶるぶると可愛らしく震えていた。振動を鼓膜に直接伝えると、「ふぁぁ」なんて蕩けた声がシクロから溢れ出た。
「私は、貴方が好きよ。愛しているわ」
だから、応えて。
ワタシに、貴方の愛を教えて。
ワタシが、大切にしてあげる。愛を教えてあげる。
シクロは私に抱き着いてきた。
「わ、私も、マリアが好きです。大好きです。愛してます」
ぞくぞくぞく――。
背を何かが這って、脳を刺激した。脳の内側を優しく舐められているかのような、倒錯的な快感。
「ふふ――」
ああ、気持ちいい。たまらない。
身体が予期しない形で震えてしまう。制御できない。
「愛の形を、オシエテあげる」
私は、化け物。
愛の形をした、化け物。
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