第9話
私は十歳になった。
あれから変わらない日々を孤児院で過ごしている。
十二歳になった子たちが孤児院を出ていって、代わりにまだ小さい子たちが入ってくる。年長組に分けられる私たちは、率先して運動や勉強に打ち込んだ。素敵な先輩の背中を見せる様に。
「……結末は決まってますけどね」
年長組になったことで、三人で一室になった。私とイヴァンとシクロ。三人で夜におしゃべりするのが私の楽しみだ。
ある日、シクロは苦虫を噛み潰したような顔で呟いた。
三年前、アンナの死骸を見てから、あれからシクロの精神状態は不安定だ。瞳が嬉しそうに輝くことも多いが、ふとした時に陰るときがある。
気持ちはわからなくもない。それくらい、衝撃的な光景だった。
私たちの未来だって、”ああ”なる可能性がある。
あの後ベッドに戻って三人で肩を寄せ合って、でも眠れなくて、二人の心臓の音がやたらと大きく感じて、ああ、二人とも生きてるんだ、なんて私は安心しながら、目を閉じた。イヴァンとシクロは結局あの晩は一睡もできなかったらしい。
「……なるようにしかならないよ」
イヴァンは大人だ。達観した様子で本をめくる。
シクロの顔は青いまま。
「このままじゃ、私も十二歳になったら、ああなるんです。ああいう目にあうところに送られるんですよ。私はそういう意味でここまで育てられたんですから……」
がたがたと震えている。
「そういう意味って?」
「私の見た目は普通ではないです。だから、人に対して抱くはずの罪悪感が少なくて、他の人より”そういった残酷なこと”を行う閾値が低いらしいんです。……アンナのようになるために、私はいるんです」
イメージがつかないから、シクロの怯える意味がわからない。残酷なことを行う人の真理がわからないからだろうか。
私個人で言えば、嬉しい。
シクロが、普通の人ではないことが。私と同じで、他の人と自分とを区別できていることが。
「うふふ」
真っ赤に染まったアンナ。私の網膜には彼女の姿がいまだに焼き付いて離れない。
私を不安と安心で塗り固める。
「どうしてあんなことするんだろう。アンナさんは笑っている姿が一番素敵なのに」
新しい親にやられたのか、帰る道中で名も知らぬ人にやられたのだろうか。
どっちにしても、綺麗な状態から汚くする理由がわからない。
「それが好きな人がいるんだろうね」
「どうしてかしら?」
「私もわからないよ。ただ、外にはそういう人がいるってこと」
イヴァンは眉間を寄せた。
「色んな人がいるのね」
あの時のアンナは人ではなかった。
化け物だった。
まごうことなく、”特別な姿”だった。
――私と同じかもしれない。
そう思うと、ぞくりと、不思議な感覚が肌をなぞる。
私も、アレなのかもしれない。他の人にはああ見えているのかもしれない。ぐっちゃぐちゃで、ぼろぼろで、だから皆”特別”だというのだ。
だとすれば。
少しだけ、残酷なことをする人の気持ちがわかった。
自分と同じ、化け物を生み出したかったのかもしれない。
「もっと話したかったわ……」
人ではなくなったアンナ。どんな気持ちだったんだろうか。人から人ではなくなるというのは、どういうことなのだろう。
いっそのこと、諦めがつくのだろうか。安心に浸れるのだろうか。幸せになれるのだろうか。
そうなるのなら、私も、同じ人に”買われたい”。こんな中途半端ではなく、完膚なきまでに化け物にしてほしい。
「ふふ……」
笑いが零れると、つん、とイヴァンに頬を突かれた。
「マリア。その顔やめて」
「え。カワイイでしょ?」
にっこりと音がするくらい笑う。
「……いや。その顔嫌い」
イヴァンの顔が真剣だったので、私は表情を落とした。
「……ごめんなさい」
「まあ、気づいてるの私だけだし、謝られるようなことじゃないけど、たまに怖いの。不安になるよ。……とにかく、アンナのことは忘れよう。もう彼女はいないんだから」
ぱん、とイヴァンは手を叩いて、再び本を読み始めた。
「……ねえ、マリア。十二歳になる前に、ここを出ましょう」
シクロは私ににじり寄ってきて、耳元で囁いてきた。
「私たちなら大丈夫です。もう大人も負かせますし、外の世界でもきっと生きていけます」
「シクロは頑張ったものね」
この三年間のシクロの努力はすさまじかった。何もできなかった少女は、本気になった。石にかじりつく勢いで勉強も運動も魔術も頑張って、私たち三人は孤児院の中でも、”特別”と称されるようになった。
三人とも。特別。
すごく嬉しい。
ただ、その特別にも種類があるみたいで、面倒くさい。
「えらいえらい」
シクロの頭をなでると、顔を赤くしてから、
「私にも、死にたくない理由ができましたので」
真っすぐな瞳で、私を見た。
きゅんきゅんする。
私は彼女に近づいて行って、その唇を奪った。押し当てる様に、ねっとりと。触れる位置を少しずつずらしていって、互いの唇の形を、身体に覚えこませる。
離れると、顔を朱に染めて、ぽおっと惚けたシクロの顔が見える。
「ええ。私も同じよ、シクロ。死ぬなんてことはできないわ」
言いながら、また、熱い情動に襲われる。それをなんとか抑え込んだ。
きっと他の子にはない感情。多分それが私の”特別”なのだろう。
正体は知れない。怖い。
二人に知られないように、身体を退いた。
「じゃあ……一緒に逃げましょう」
シクロが抱き着いてきて、耳元で甘い言葉。
そんなことをされたら、嬉しくて嬉しくて、滅茶苦茶にしたくなってしまう。でも、心地いいからやめてほしくないという、二律背反。
「やめといたほうがいいよ」
否定したのは、イヴァン。本に目を落としながら、
「私たち、もう何度か、お披露目会しちゃったでしょ。”客”が、私たちを”商品”として見てる。どこへ行ったって、見つかっちゃう。ずっと、見てるんだって」
「……イヴァン。貴方は怖くないんですか」
シクロは険のある目つき。
「怖いよ」
よく見ると、イヴァンの手は震えていた。
「私も、ああなるんだ。人としての形がわからなくなるくらい蹂躙されて、壊されて、玩具にされて、捨てられる。金持ちの狂った遊びに付き合わされて、人じゃなくなるんだ……」
イヴァンは十一歳になって、大人っぽくなった。銀髪は綺麗にうなじを流れ落ち、涙を浮かべた赤い眼は色っぽい。白い肌にはずっと触れていたくなる。
私はイヴァンと同じ布団に入り込んで、彼女を抱きしめた。
そのまま、口づけを交わす。
口を開き、舌先で彼女の歯を突つく。恐る恐る出てきた舌を、いつくしむ様に舐めていく。離れると、唾液が糸になって二人をつないだ。
「私たち三人なら、きっと、大丈夫」
「……うん。ありがとう」
イヴァンを抱きしめ、シクロに抱きしめられ、眼を閉じた。
最近、私は私のカタチがわかってきた。
年を経るごとに色んな知識が経験が頭を埋めていって、不安を押し流していく。
わからないことも多いけど、わかってきたこともある。
私自身に意味はない。
けれど、人の中にある私には意味がある。
きっと、二人の瞳に映る私こそが、私なのだ。
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