02-03 まもりがみ


 翌朝は、純佳は当たり前に起こしてくれた。


「ありがとう」と言うと、「どういたしまして」とそっけない。

 結局昨夜もあまり眠れなかった。


 周囲にまぎれて学校までの坂道を歩きながら、今日のことを考える。

 

 もっと楽しんだほうがいい、と瀬尾はいうけれど、どうすればそうしたことになるのかがよくわからない。


 真中のこと、ちどりのこと、考えることが、たくさんあるような気がする。


 そういうのを全部放り出して、眠っていられたらそれで幸せなはずなのだけれど。


 と、そんなことを考えながら歩いていると、前方を歩くひとりの女子生徒に目がとまった。

 

 更に前方を歩く男女一組の様子を、うかがっているように見える。

 二人組の方は、ずいぶんいい雰囲気だ。


 横恋慕だろうか。


 と、考えた瞬間、ストーカーっぽい女の子がこちらを振り返ってじとっと睨んできた。


 彼女は俺が追いつくまで、ずっとこちらを睨んでいた。

 そして、声が届く距離まで近付くと、


「失礼なことを言わないでください」


 と不服げにつぶやいた。


「……何も言ったつもりはない」


「でも、考えたでしょ」


 俺は驚いた。

 昨日の朝、桜の木の下で見た女の子だ。

 昼休みの屋上で見た女の子だ。


「……守り神さんか」


「なんです、それ」


「いや。違うのか? そういう話を聞いたんだけど」


「気をつけた方がいいですよ」と彼女は言った。


「他の人にはわたしの姿は見えませんから、あなたはいま通学路の途中で突然立ち止まって独り言をつぶやき始めた危ない人です」


「……厄介なもんだな」


 俺は溜め息をついた。いったいどうすりゃいいんだ。


「どうすりゃいいと聞かれましても、わたしは放っておいてほしいんです」


 考えただけでわかるのか。便利なものだ。


「まあ、近くにいる人だけですけどね」


 しかし、昔から疑問だったのだが、心を読むというのは不思議な話だ。

 というのも、人は普通、普段行動するとき、「言葉」で考えているのだろうか。


 ああ、忘れ物をしたなとか、あれを持っていかなきゃなとか、そういうことを考えるとき、

 少なくとも俺は言葉ではなく映像やイメージで思い出している、考えている気がする。


 それなのに、フィクションに登場する読心術者というのは、言葉を読んでいる気がする。

 まさに今がそうなのだが。


「そこらへんはご都合主義ですからね」


 と彼女は言う。


「わたしに見えるのは上澄みだけですから」


 よくわからないことを言う奴だ。心を読まれていなかったら、電波扱いしているところなのだが。


 しかし、こうなると俺の方もどうするべきか迷う。


「あ、へんなのの相手してたら前方のカップルを見失いました」


「やけに説明台詞だな」


「わたし、親切なので。あなたが邪魔だってはっきり言ってあげないとと思って」


「そういう親切さは配慮とかオブラートで丁寧に包装してようやく親切って呼べるんだ」


「無関心と善意を履き違えてるような人に親切を説かれたくないです」


 耳に痛いことを言う女だ。ちょっと嫌いになってきた。

 見た印象よりも、よく喋る奴だ、という感じがした。


「とりあえずわたしはさっきのカップルを追います」


「出歯亀か? あんまり良い趣味とは言えないな」


「違います」と彼女は言う。


「彼らは厳密に言うとまだカップルじゃないんです。今日が彼らの天王山」


「天王山」


「わたしは彼女の背中を押す義務があります」


「義務」


「そういうわけで、あなたに付き合ってる暇はないです」


「それ、俺に言ってよかったのか?」


 しまった、という顔を彼女はした。


「じゃ、邪魔だけは。決して邪魔だけは……」


「しないよ……」


 なんでこんなに嫌われてるんだ、俺は。


「あなたは信用できません。なんか、へんな気配がするから」


「へんな気配?」


「正直、この世のものとは思えません」


 人間に対する形容じゃないだろ、それ。

 真顔で言われるとさすがに傷つくものである。


「わたし、あなたのこと好きじゃないんです。あなただけは手伝ってあげません」


「なんで嫌われてるかな、そんなに」


「ていうかあなたが周囲に嫌われていないことの方がわたしには不可解です。人の心は複雑怪奇の摩訶不思議」


「失礼にもほどがある」


「正直あなたみたいにスカした態度で斜に構えてる人間があんまり好きじゃないです。わたし、甲子園とか好きなタイプなので」


「どうでもいい情報ありがとう」


「いいんですか?」


「なにが?」


「さっきから見られてますよ」


 俺は慌てて周囲を見回した。

 何人もの生徒が、立ち止まって俺を見ている。

 

 やっばい。


 例の女は心底おかしそうにくふくふ笑っている。

 非常に腹立たしい。


「……せんぱい」


 と、声をかけられて後ろを振り返ると、真中が怪訝げな顔をしてこちらを見ていた。


「あ……」


「なにやってるの、さっきから」


 ……一部始終を見られていたらしい。


「いや……あの、真中」


 俺は、一応、試しに、例の女を雑に指さした。


「ここに、なにか見えるか?」


 真中は、不可解そうに眉を寄せた。


「……何かって?」


「人とか」


「見えないけど……」


 女を見ると、ドヤ顔でうんうん頷いていた。

 非常に腹立たしい。


「ならいい……」


「じゃあわたしはこれにてドロンしますね」


「なんだドロンって」


「せんぱい?」


 ああ、厄介。


「さて、わたしは急がないといけませんね」


 とたとたと走り始めた後ろ姿に、俺は声を投げた。


「おまえ、昼休みに屋上に来い、説明しろ」


「えー? 気が向いたらそうしますー」


「せんぱい、大丈夫?」


 心配そうに見上げられて、さすがに溜め息が出る。

 とっさのことに冷静さを失った俺が悪い。


「……ちょっと疲れてんのかもしんない」


「……そっか」


 真中はそれ以上何も言ってこなかった。少しすると、周囲にいた生徒たちも校門に向かって歩き始める。

 変な噂が立ったら厄介だが……いや。


 どうせ遠巻きに見られるくらいが関の山だろう。気にするだけ無駄かもしれない。


 それから真中は、俺に気をつかったのか、いつにもなく必死な雰囲気で話題をつないでくれた。

 昨日のテレビとか、ネットで見つけた猫画像のこととか、そんな話だ。


 俺は真中と別れるまで二ワードくらいしか喋れなかった。





 教室につくと、クラスメイトに「おまえなんかしたのか」と声をかけられる。


「なにが」


「校門で一人エチュードをはじめたって聞いたけど」


「エチュード」


 練習曲。


「たぶん、おまえが想像してるやつじゃない。即興劇の方」


「ああ、ああ……」


 遠巻きで眺められるだけでは済まなかったらしい。


「いや、気にしないでくれ、寝ぼけてたんだ……」


「盛大に寝ぼけたな……」


 同情のまなざしで見られる方が、奇異の視線よりはだいぶマシだという気がした。


「で、なんだけど……あれ、おまえのお客さんか?」


「あれ?」


 彼の視線に従って自分の席を見ると、誰かが俺の椅子に座っている。


 誰かと言うか、市川鈴音だった。


「や」と彼女は手をあげる。


「……おはよう。どうした」


「ん。ちょっと伝えたいことがあって」


 市川は、そうとだけ言うと立ち上がって、俺の方を見た。


「文芸部、今日からわたしも出ることにしたから」


「……ホントに?」


「なんで不思議そうなの」


「いや」


 そりゃあ、俺が誘ったのだけれど。

 こんなに急に、出るなんて言うと思わなかった。


「部誌、出すんでしょう? わたしも参加する」


「……まあ、そう言ってもらえると助かる」


 正直、突然そういう話になるのは意外だったが、出るというならそれでかまわない。

 瀬尾がいちばん喜ぶだろう。


 せっかくだ、顔合わせも兼ねて、大野がいたらと思ったが、どうやらまだ教室に来ていないらしい。

 俺よりも早く来ていそうなやつなのにどうしてなのだろうと思ったが、ひょっとしたら委員会かもしれない。

 

「今日の用事は、それだけ」


「……そっか。わかった。わざわざ悪いな」


 しかし、たかだかそれだけのことを伝えるために、人の教室の他人の椅子に座って待っているものか?

 俺が瀬尾に言ったことだが、本当に変わり者らしい。


 瀬尾は喜びそうだけれど。


 じゃあね、とだけ言い残して、市川はそのまま去っていった。

 

 残された俺は、なんだか夢でも見ていたような気分になる。


 さっきのクラスメイトに「いまの美人誰?」と聞かれたので、

「部の奴」とだけ答えた。


「いいよな。この学校の文化部美人多くて」


 隣の席の女子(運動部)が、「なにをー!」と不服げに声を張り上げた。


 朝からみんな騒がしい。

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