第31話 大惨事! 店の中で交通事故ッ!? そして、復活のあのオヤジ!?

 勇者がスナックに来てから、早一か月――。


「グラスは、水拭き用の布と仕上げ用の布で二回拭けばいいのか?」

「そうだ。自分の指紋を忘れずに拭き取れよ。ちょっとでも汚れていると、メイがキレるからな」


 戦いしか知らない戦闘狂である勇者だったが……この俺の『時に厳しく、時に優しい教育的指導』により、曲がりなりにもスナックの業務を遂行できるまでに更生していた。


 今では、面倒な仕事を勇者に押し付けて休日に釣りを楽しむなど、順風満帆に隠居生活を送れるようになっているのだ。


「世界の果てにある場末のスナックで雇われ店長として働く魔王と、同じくホステスとして働く勇者か……状況と言うのは、変われば変わるものなのだな」


 営業前のスナックで雑用をしている勇者が、物憂げな顔でなんか言っている。


 ――が、相手するのは面倒なので無視。


「おい、魔王! 私を無視して、お店の酒を勝手に飲むなーっ!」

「知っているか、勇者よ? 酒というものは、とかく夜に飲まれがちだが……『なぜか昼に飲んだほうが美味い』のだ」


「だからなんだ!? その酒は没収するっ!」


 メイに躾けられているせいか、勇者は前にも増して生意気になっていた。


「お前も飲め。ホステスなら、酒の味を覚えなきゃ仕事にならんぞ」


 俺はグラスを取って、勇者に酒を注いでやった。


「あなたに一杯、私に一杯――こうして、なあなあで酒を飲ませるのが、スナック稼業の基本よ」


「なぁ……お前はどうして、仕事に対するやる気が一切なく、万事が適当なのだ?」

「んなもん……労働なんてのは、偉大なる魔王様のすることじゃねぇからだよ」


 酒の入ったグラスを渡してやるなり、勇者が再び物憂げな顔をした。


「……外の世界と隔絶されたこの島で、のんびりと働くうちにわかったことがある」

「あん?」


「勇者をやっていた頃の生活は、ろくでもなかった――と」


 勇者はおもむろにグラスに口をつけ、琥珀色の酒を一口飲もうとしてから……軽く目をつぶって、そっとカウンターに置いた。


「怪我や病気なんて当たり前で、いつ死んでしまうかもわからない危険で過酷な仕事なのに、上からの援助は手薄で意見も言えない。仲間との人間関係は嘘と悪口と愚痴ばかりでギスギスしていて、背中を預けるのが怖かった。仕事で失敗したときは邪険に扱われるけど、手柄を上げても誰かに横取りされてしまう。おまけに、苦労の対価であるお給料は……ない」


 隙あらば自分語りをする勇者だった。


 だが、隙を見せた俺も悪いので、黙って聞いてやる。

 スナックってのは、そういうところだからだ。


「自分だけが不幸みたいな顔をするな。ただの一兵卒の貴様の仕事なんぞ、ガキの使いよりも気楽なもんよ。幾万の魔族どもの運命を導かねばならぬ重責を負っていた俺とは、苦労の質が違い過ぎる」


 勇者などしょせんは、他よりも暴力を使いこなすのが達者なだけの雑兵。

 そんな俗物が、世界の命運を背負うこの魔王様を殺してしまうとはな……。

 道理が崩壊したこの世界は、もう終わりよ。


「そんな偉大なる魔王様が、今では世界の果ての場末のスナックで凡愚どもと戯れ、世知辛さに身もだえている……すべては、貴様のせいだッ!」


 恨みがましく、勇者を睨み付けてやる。

 しかし、なぜかやつは、俺を憐れむ目つきで見つめてきた!?


「魔王よ……今の苦しい状況は、『自らがそう望んで生きてきたことの結果』だぞ?」

「こんなしょっぱいこと望むわけあるかいッ! 貴様のせいじゃ、バカたれッ!」


 キレぎみに真実を教えてやるなり、なぜか勇者がため息をついた。


「やれやれ……自分の不幸や辛さの原因が自分のせいではない――と本当に言い切れるのか? よほどの例外的な理由がない限り、醜悪で劣悪な環境にいるやつは自分に責任があるものだぞ? 特にお前は、人間の敵である魔族の王だったのだからな」


 はわわ……な、なんて奴だッ!

 他人の嘆きを一切許さず、とにかく危害を加えたい、揚げ足を取りたい、いじめたい、貶めたい――という陰湿で邪悪な嗜虐の欲望に満ちているッ!


 勇者のくせに優しさ皆無の人間の屑である! と高らかに断言するほかないッ!


「勇者よ。それは、自分自身に向けて言っているのか?」

「なにぃっ!」


「理由があっての他責を責め立てる仕草は、自分に非があることを知っていてそれを誤魔化したがるやつの卑劣なやり口よ。今のお前のようになァッ!」

「なんだとぉっ!? 私に非があるわけないだろーっ!」


 フン。愚かな小娘よ。

 ただ運が良かっただけの存在にすぎないのに、『自分の努力だの才能だの実力だので、ここまで生き抜いてきた』――と勘違いしているのだろう。

 人様のことをあーだこーだ言う前に、自分を顧みろッ!


「愚かな勇者様はどうやら、この世界は『因果が応報する公正な場所』だと、思い違いをしているようだな」

「何を言っているのだ? この世の理は、因果応報だろうが。だから、悪である貴様は、正義である私に滅ぼされたのだーっ!」


 わおっ! スゲーバカ!


「公正で秩序だっているこの世界においては、全ての正義が報われ、全ての悪は罰せられ、すべての労苦に成果が実る――と、勇者様は、そのように考えているのか?」

「そうだっ! この世界は厳しいが、公平な場所だ!」


「そんなことを考えるのは、物事を知らず世の中の道理がわからないバカだけだ。非常に幼稚で愚かで甘ったれた考えかただな。しょせんは、チンピラ勇者よ!」

「なんだとぉっ!? 私は正しい! 間違っているのは、お前だーっ!」


 本当に、ものを知らない小娘だな……。


「いいか? バカなお前でも、わかるように言ってやる――『この世界は混沌であり、何があるかはなにもわからん』。この世界で公平なものは、『誕生と死』だけだ。『何の理由も原因も前触れもなく、自分を取り巻く自分以外のすべてが生み出す事象に翻弄される』のが、この世界なんだよ」


 でなければ、この魔王様がこんなバカの極み勇者に殺されるかっての。


「そんなわけがあるかぁーっ!」

「そんなわけがある。なぜならば、この世界では、悪は成敗されないし、善は報われない……お前のような罪人が裁かれていないのが、何よりの証拠だよ」


「誰が罪人だっ! 私は裁かれるべき悪人ではない、報われるべき善人だっ! 世界を救った勇者なんだぞーっ!」


 真実を告げてやったのにもかかわらず、勇者は感心するでもなく生意気に反抗してくる。


 ドガッシャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアンッ!


 それと同時に、店に馬車が突っ込んで来たァッ!?

 早速、予想もつかない事態が大発生ッ!


「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああーっ!」


 驚いて椅子から転げ落ちた勇者が、パンツ丸見えでひっくり返る。


「言っただろ。この世の中、何があるかはなんもわからん。なんの理由もなく、善人が不幸に巻き込まれるのだ。わかったら、服を直してパンツを隠せ」


「そんなことより! なんで、店に馬車が突っ込んできたのだああああああーっ!?」


 普通であれば勇者のようにパンツ丸見えで取り乱すものだが……。

 魔王様は違った。


「なんでもなにも、ただの『交通事故』だろ?」


 魔王様の何があっても冷静な態度は、予期せぬ厄介事に巻き込まれがちな不幸体質の奴ならば、明日からでも真似したくなる態度だろう。


 それはそれとして。


 他人が交通事故に巻き込まれていてもなんとも思わんが、自分がやられるとむっちゃムカつくやないかいッ!


「おいッ! 店がぶっ壊れちまったじゃねぇかッ! ちゃんと弁償しろよなッ!」


 事故った馬車は、スナックのドアを突き破る形で店内に横転している。


「……いや、待てよ。妙だな……?」


 馬車による交通事故だってのに、どこにも『馬』がいない。

 馬車だけが、店に突っ込んできている……。


「おい、ばかたれ! うちの店は、馬車でのご入店はできねぇんだよッ!」


 不可解な『馬無し馬車』で店に突っ込んできたバカは、どこのどいつなんだ?


 とりあえず、細かいことは置いておいて……。


「わかったか、馬鹿たれッ!」


 犯人を蹴り飛ばすべく、店の外に出る!


「はあああ~? 誰もいねぇじゃねぇか?」


 しかし、店の前には誰もいなかった。


 この衝突事故だ。馬車を運転してた御者は、路上でのたうち回ってるはずだぞ。


 ……妙だな。馬も御者もいねぇ。


「うわっ! メイちゃんの店、馬車突っ込んでんじゃん~!」

「まーた、借金取りの嫌がらせかしら?」


 いや、やじ馬はいた。

 なんだか、面倒なことが起こりそうな予感がしやがるぞ……。


「ちきしょーッ! ぶっ殺しそこなかったかッ!」


 不意に、通りの向こうから、汚ねぇダミ声が聞こえてきた。


「げぇーっ!? き……貴様はあああああああああああああああああああああーっ!?」


 脂ぎった顔に嫌らしい笑みを浮かべ、豚みたいに肥え太ったあの人影はっ!?


「豚オヤジッ!? 貴様、娼館で死んだはずではッ!?」


 俺の目の前に突如現れたのは……ッ!

 娼館で『勇者にぶっ殺されたはず』の豚オヤジだったーッ!?


「死んだァ~? わしのようないい男が、そう簡単に死ぬわけないだろォ~?」


 成金趣味の華美な紳士服を着こんで、極太の葉巻をくゆらすふてぶてしい姿は、まさに俺の知っている豚オヤジそのものだった。


「ほら見ろ、魔王! 原因と結果の因果応報は存在するではないかっ! ほらほら!」


 バカ勇者が、空気を一切読まずにはしゃぎやがる。


「嬉しそうにすんな! つか、この件はテメーが引き起こした原因と結果だ、ぼけが!」

「なにをぉうっ!?」


 正論を突きつけるなり、バカ勇者が突っかかってきた。


「探してた『復讐相手が二人一緒にいる』なんて、わしはついているなァッ! ぶっ殺す以外の手間がはぶけたわいッ!」


 一難去らずにまた一難!

 危機的状況大襲来ってね!

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