第1章-2

 その視線に負けたソーレイが中腰のまま口ごもると、ガッタは椅子の背もたれに身体を預け、ふう……とよそに向けてひとつ息をついた。

「僕もさ、キミが急にプロポーズするとか言うから、『なにこいつ女に興味なさそうなフリしてやることやってるじゃん』って思って、ちょっとは評価してたんだよ? 結婚するなら全力で祝ってあげようとも思ったし、キミの奥さんにはなるべくやさしい言葉で話すようにしようとも思った。でも全部撤回だ。ありえないよ、キミ」

 失望するようにゆるゆる首を振る友人に、ソーレイはむっとして、浮いたままだった腰をわざと強く椅子に落とした。

 しかしそんな態度を見せてもガッタはまったく動じず、ソーレイは途端に自分が間違っているのではないかと不安に駆られた。

 何も――間違っているところなんてないはずだった。

 昔、必ず迎えに行くと約束した少女を、約束どおりに迎えに行ったし、「数持ちの騎士」になる、という自らに課した難題も見事にクリアした。

 何も違えたことはない。何も間違えていない。

 ちびちびと酒を口に含みながらそんな結論に至ったソーレイは、己の不満を隠すようにグラスに口をつけながら問うた。

「ありえないって、どこがありえないんだよ」

「どこって、何もかもが」

「全否定かよ」

「当たり前!」

 すねた口調で言い返したソーレイに、思いがけず強い言葉がつき返された。

 叫んだガッタは、どうしてだろうか、露骨に眉を吊り上げている。

「なに怒ってんだよ……」

「キミの馬鹿さに怒ってるんだよ!」

「はあ?」

 意味が分からず首を捻ると、ガッタはびし、と、まるで槍で攻めるように人差し指を突きつけてきた。

「――そもそもその女の子、キミの恋人じゃないんでしょ!」

「………ハイ。違いますケド」

 ソーレイは降参のポーズをとってなぜかとっさに敬語で答えた。

 瞬間、ガッタが額に手をついて、腹がしぼみそうなほど深いため息をつく。

「そこであっさり肯定してる時点でおかしいと思わないキミ、すごいと思うよ」

「なんで」

「そんなところで疑問持たないでよ。失望しちゃうじゃないか」

「はあ? 何なんだよ、何が言いたいんだ?」

「あーもう、世話が焼けるなぁ」

 ガッタは何かあきらめたような顔をして、一度勢いをつけるようにグラスの中身を飲み干した。

 ぷは、と短く息を吐きだした後で、ガッタは真正面からソーレイを見つめる。

「この際最初から聞くけど、その子って結局キミの何なの?」

「何って?」

「例えば、親の決めた許嫁とか」

「そんなのいねーよ」

「じゃあ小さい頃から一緒だった幼なじみとか?」

「違う。家すんげー遠いし」

「じゃあ友だち以上恋人未満? ていうか、それ以前に友だち?」

「友だち……か? 卒業してからずっと会ってなかった。同級生なんだ。昔、同じクラスで」

 もはや確認など要らなかった。

 ソーレイにとって彼女は恋人ではなかったし、「親の決めた許婚」とか「遊びの中で結婚の口約束をした幼なじみ」とかいうわけでもない。昔同じ教室で勉強していたクラスメイト。

 説明するのにこれ以上の言葉はない。

「……それで、今日再会して即プロポーズ――」

 どこか震えている声に確認されて、ソーレイはまさにそのとおりと相槌を打った。

 するとガッタ・ルーサー、酔いつぶれたように机に突っ伏した。

「ああ……ひどい」

「どーした? 大丈夫か?」

 ソーレイが声をかけると、やわらかい髪質をした親友の頭が弾かれるように起き上がった。

「――そんな急転直下な展開じゃフラれて当然! 当たり前! そんなことも分からないなんて、キミ、正真正銘の馬鹿? 出世欲が服来て群れてるだけの騎士団の中で唯一まともな人間だと思ってたのに!」

「なっ、誰が馬鹿だ! 俺はまともだ!」

「どこが!」

 ギラリ、にらまれて、ソーレイはいじめられた亀のごとく首を縮めた。

(事務官のくせになんつー眼光……)

 騎士のくせに視線ひとつでまんまと黙らされたソーレイは悔し紛れに心中でぼやく。

 ガッタはおもむろに天を仰いだ。

「ああ、僕はなんでこんな馬鹿と付き合ってたんだろう。――はっ、そうか。こんなかわいそうな頭をしているから森の女神はキミと僕を引き合わせたわけか。なるほど、僕にはキミをまともにしろという天命が与えられているわけだ」

「誰がかわいそうな頭だ、誰が!」

 世界初の大発見、みたいな顔をするガッタにそう怒鳴りつけると、彼は「ごめんごめん」とソーレイの肩を叩きながら、そのあまい顔立ちに似合いの天使のような微笑みを浮かべた。

「ソーレイ、友人としてキミに教えてあげるよ。何年も前に別れたきりのクラスメイトがキミに振り向く可能性は万に一つもない。彼女のことはすっぱりと忘れて新しい恋を探そう。僕も手伝うから」

「へ?」

「ほら、この店で働いてる子もけっこうかわいいよ。実は前々から熱い視線感じてたんだ、きっと脈がある。友だちから始めれば楽勝――」

「ちょ――ちょっと待て勝手に終わらすな!」

 ソーレイは叫ぶが早いか、肩の上のガッタの手を叩き落とした。

「俺はまだあきらめてない!」

 宣言すれば、ガッタははたかれた手を震わせ信じられないような顔をする。

「うそ、五秒で完全にふられたくせにまだ粘る気? そこまで馬鹿なの、キミ」

「俺は馬鹿じゃねぇ!」

 埒が明かない。

 悟ったソーレイは、椅子を蹴倒しテーブル中央にバン、と手をついた。

「俺はシャラの一生を台無しにしたんだ! だから俺が一生シャラのこと守る! そう決めたんだよ!」

 その瞬間、辺りがしん、と静まり返った。

 笛の音も、大合唱も、それらに負けじと張り上げられていた酔っぱらい同士の話し声も。

 すべてが、ひとりの若者の熱い言葉に押し流されていく。

 ガッタが、黒い目をぐるりと動かし周りを見て、最後にソーレイに視点を定めた。

「……キミ、今すごく恥ずかしい状況だよ」

「え?」

 指摘されてはじめて周囲を見回すソーレイ・クラッド。

 たくさんの目が自分を見ている。

 気付いて、彼は全身から汗が噴き出すのを感じた。

「……店変える?」

 口は悪いが気の利く友人の提案に、ソーレイは忙しく二度、三度と頷いた。

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