きゅう. 2


「——…にしても、よくうかったよねぇ、いまさらだけど…。英語、ウン点で…」


「ひぃさん、面接で何やったの?」


「べつに。聞かれたことに答えただけ」


 卒業式を翌日にひかえた登校日。


 三年の教室では、色紙やデジタル機器。何かしら書き込まれた新品のボールや旗、シャツ、ユニフォームなどを得物エモノに、記念づくりにはげむ輪ができている。


 そんな環境にあって、教室の一郭で友人と雑談していた日野原ひのはら夕姫ゆきが、ため息まじりに告白した。


「実は通知が届いて、わかったのだけど…」


 そう前おきしたところで、彼女は、あとの言葉をささやきにした。


 ——あたし、補欠合格だったみたい…。と。


「おわ。マジかよ? すげぇ、それって幻の普天・選抜補欠だろ!」


「え、それ、なに?」


普賢春日学園ハルガクにあったっていう、噂の特別合格枠!

 欠員のあるなしに関係なく、気になる子、目につく子がいたら、裏の入り口から入れてあげますよ~ってやつ」


 そこで、冗談を真に受けた女子が表情を曇らせる。


「裏口…不正なの?」


「ただの補欠でしょ。献金も点数改ざんも、ごり押し脅迫も身売り援交も…してなければ」


「身売り…」


ゆうさんが、ホケツ…?」


「うっそだぁ。いくらなんでも、噂は噂だよぅ。数合わせじゃないの?」


「でも、あそこ、統合する前むかしっから、募集より、入学者人数、かなり多くなるみたいだよ?」


「それって、点数満たしてるのに、定数からもれちゃう生徒への同情?」


「(その頃は、まだ)私立だぞ。(このご時世だ)金策じゃね?」


隆希タカシキ吸収してるもの。ほどほど(に)学があっても、ほかに行き場が無さそうな貧民の回収だよ」


日野原家うちは、お金持ちじゃないけど、そこまでは貧しくないはずで…。

 たぶんだけど…(もしかして、生活に苦慮してた方が楽に入れたのかな?)」


「おまえ、英語、八点だったんだよな?」


「うん。それで合格通知には、しっかりあったの。赤いハンコで『補欠』って。

 あいさつにかこつけた感じの(手書きの)手紙もついてた。

 ――このような結果をお知らせするのは大変心苦しいのですが、このほど特例としてご案内する上で、率直に事実をお伝えすることに…とかなんとか。

 後付けのはげまし・箴言の言葉なんかも…」


「あははは…それは凄いね…」


「釘さしだねぇ。

 とりあえず、入れてやらなくもない。

 入れてはやろう。

 来れるものなら来てみろ。

 ただぁし! 来る気があるなら、まじめにやれってやつだ」


「ん。あたり障りなくまとめてあったけど、本音はそんな感じかも」


「ひでぇ。コネ合格でも、フツー、学生本人に告知はしねぇぞ。

 マスコミとか、PTA、教育委員会なんかがうるせぇだろ」


「まぁ、精神衛生上(は)、良くないな。訴えますか?」


「訴えないよ。入りたかったんだもの」


「英語、ヒトケタで合格されたんじゃ、むこうも沽券こけんにかかわるさ。

 前例なんか作ったら、後が恐いからな」


「誰かがどーじょーして、爆睡報告してくれたのかもね。

 回収役のお姉さん、お兄さん、試験官の先生とかさぁ」


日野原ひのはらのこの頭は推薦でも欲しかったくらいだろうし…。

 でもきっと、わかるところには、わかるように赤いすみ、つけられたんだ」


「根性試しだな」


「これで入ったら大物。VIPあつかい~級~か…」


「ないない。むしろ逆でしょ。当分は要注意の問題児だ。

 ひぃさん、気をつけなよ」


 窓ぎわの一郭が、そんな話題でにぎわい、ひとだかりを大きくしていた時、教室に入ってきた少女がいた。

 それと目を向けた渡部沙菜しゃなが、その子の席にむかう。


珠里じゅり。おっはよー!」


「おはよ。ひさしぶりって感じだね」


「ん。いま、おもしろいコト、聞いたんだぁ。夕姫ゆきってば、補欠さんなんだって」


「ほけつさん?」


「うんっ。通知でびっくり補欠合格告知!

 試験でいつも、三番、四番だった夕姫ゆきがだよ?」


「ん~…? なに、それ…。なんの試験の話?」


「高校! 受験だよ」


「…よく知らないけどー…(そうゆうの明かすところって、あったとしても限られてるよね…)ひぃさんって、私立受けてたの?」


「いや、普天ふてん


「えー…(わかんないなー)だって、あそこは、たぶん…、ばりばりの進学校ってわけでもないし、なんだかんだいって市立いちりつでしょ。

 (それに)そうゆーのは、あったとしても、表に出さないものじゃ…」


 そこで、なにげににぎやかそうな話題の大元方面に目をむけた珠里じゅりだったが…


「うそじゃないよー。本人が自白したんだよ。

 合格通知に《補欠》って。身内にはわかるように、お知らせ来たんだって(本人があの通りばらしちゃうんだから、無駄な気遣いに終わったねー)」


 最寄りで語られる友人の説明解説は、珠里じゅりの耳に届いていなかった。


 ひた、と。夕姫ゆきと視線が出合った瞬間、さーっと青ざめた彼女は、化け物でも目にしたように身を退いたのだ。


「い…、いや…」


 誰よりも近い位置にいた沙菜しゃなが、んっ? と。様子をうかがうなか、

 鞄をのせていた机を押しやった珠里じゅりは、一目さんに駆けだした。


「いやぁっつ! 見るなぁっ!!!!」


 悲鳴まがいの叫びをあげながら進行の妨げとなった机を蹴倒しかけて、よろけ、片手を床につきながらも、いま目にしたものを、ふり返って確認するのも恐いというような所作で足を立て、教室をとびだしていく。


 いっとき。室内がシン…となった。


 どの胸にも、そうまで嫌悪恐怖されるおぼえはない。

 しかし、そこには、状況的に疑われそうな人物もまじっていた。


 そう。二人の不和は、ひそかな噂になっていたのだ。


「…いまの、なに?」


ゆうさん。あんた、あの子に何かした? 問いつめたりとか、威しかけたりとか…」


 ひとりが、ぽつりと口走ったのを皮切りに、率直にたずねたのは磯村和音かずねだ。


 その視線は、追及相手を映すことなく、珠里じゅりの姿が消えた教室の出入り口に注がれている。


「あたしはしてないよ?」


「あの子、あんたを見て、パニックったよーに見えたんだけど…、気のせい?」


「身におぼえがないって」


「そっか。そーだよねぇ…。あんたは、そーゆーやつだ」


「え…えっ? なんで、そーなるの?」


「前もそんなこと言ってたじゃん。

 あんたにおぼえはなくても、むこうはあるのかもよ。

 あの子、妄想癖っ気ありそうだしさ。ヒステリーなのかもね」


「(そう)なの?」


 ぼんやり夕姫ゆきが問い返すと、そばにいた女子が、


「(生理前なの)かもねー」と。


 とうとつな思いつきを胸中に、無責任にも、どうとでも想像解釈できる端折り方で応じた。

 結果、和音かずねのためいきがよけい深くなる。


「…しょうがないなぁ。

 沙菜しゃな、ちょっと。……あんた、なんか知ってるー?」


「えー…って、言われても、知らないよぅ。

 妄想って、まじ? 薬とかじゃないよね?」


「あたし、なにもしてないって。

 たしかに、ここのところ、珠里じゅりとはうまくいってなかったかもだけど」


 いくらなんでも、あの反応が自分に対するものだと認めたくなかったので、食いさがる。


 そんな夕姫ゆきの主張を左側に、聞いても聞こえていないような顔をした和音かずねの視線が、ふたたび珠里じゅりが飛び出して行った教室の出入り口にもどされた。


 その口から、お手上げとばかり、現状放棄とも受けとれる言葉があたりに撒かれる。


「伊藤さん、どこ行ったのかな~っと」


「うーん…びっくり! 追うどころじゃなかったねー」


「ん。びっくりした」


 夕姫ゆきが左に賛同すると、しらけた視線が彼女のもとにあつまった。


 名指しされたわけではなかったが、『元凶が、なにしらばっくれているの…』とか『おまえがそれを言うのか?』と、言わんばかりの白けた集中だ。


「そーゆう、目で見る…」


「ぁあ、ごめん、ごめん。あんたが原因とは、かぎらないよね。

 あたしかも知れないし、きっと、この方向にいた誰かだ」


 夕姫ゆきのうらめしげな抗議を和音かずねが気さくに受けながし、くらましたその周辺で、級友達が安直な憶測を語りはじめる。


「もしかしたら、なにか居たのかもねー」


「なにかって?」


「いや、だから、こわいやつ」


「って、ひぃさん?」


「それ(を)言っちゃ駄目でしょ。

 子供にしか見えないなにかとかよ。あやかし、ばっけ、幽霊、妖怪の類…」


「そーゆうのは、やめて」


「でも、普通じゃなかったでしょ。座敷童なら、縁起ものだよ?」


「それ、学校に出るものなの?」


 なんとなく――…


 他愛意味のない周囲のやりとりに参加する立場でも気分でもなかった夕姫ゆきは、誰よりも不可解をくすぶらせながら、全容はおろか、焦点もつかめないこの情勢を憂うしかなかった。


(…。あたしって、怖いかなぁ…)

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