し. 2


「あたしはただ、ここに来たら、転びたくなくなったの」


 沙菜しゃなが、ん? と確認するように珠里じゅりの顔をのぞきこんだ。


「あそこ、私立落ちとか、通信のサポート目当ての苦学生とかセレブとか、春日かすが系の進学・就職狙いとか…。

 推し活動家おしかつかなんかも殺到するのに…」


「面接で『好きな人がここ目指してるので、私なりにがんばりました』発言したってゆー子が、なに言ってるの。

 瑞祥学園ズイガクは内定貰ってるんだし、一種の賭けだったんでしょ?」


「あれはぁ…(あせっちゃって…。夕姫ゆきがあたしの立場だったら、図太いから言いそうだって思ちゃったその場の勢いで…。ほんと、ばかやった。自爆した。笑われたし)」


中道ちゅうどうをいくあんたには意外でさ…。自棄やけか冗談かと思ったけど…。

 それはそれで、見直したんだよ?

 そこまで一生懸命なって、破れたなら、もう開き直るしかないでしょっしょ!」


 沙奈しゃなが軽く受け流したところに見たのは、友人の重々しい溜息だった。


珠里じゅりぃ…。

 これって、そーゆう気分、吹き飛ばそうって…そうゆう集まりだよね?

 滑ってこけても、よっぽど、おかしな転び方しなきゃ、死んだりしないんだ…。タフな人間になるための気ばらしだって。

 まぁ、磯村いっちゃんは、ああ言えば、こう言うで、こじつけするヤツだけど。

 小学までフィギュアやってたから、やたらうまいしさ。

 あれは、なんだかんだ言って、自分が滑りたかっただけなんじゃないかなぁ」


 そこでふんぎりをつけたのか、渡部沙菜しゃなは、どっこいせと、立ちあがった。


「いま、考えてもしょーがないコトじゃん。早くふっきってね」


 おぼつかない足どりで、氷上をめざす。


「ぅおーい、あたしもまーぜーてぇー」


 うったえた彼女を拾いに、女子が三人ほど、こちらへ滑ってきた。


 沙菜しゃなを回収し、その彼女と、なにやら、ふたことみこと交わした和音かずねが、夕姫ゆきのもとに滑り寄って、こそっと耳うちする。


『ほら、行ってこい。

 あんたはいっぺん、伊藤さんと一対一タイで話してみたほうがいい』と。


 距離があったので、その声は珠里じゅりにはとどかなかったが、

 珠里の方をちらと見た夕姫ゆきが、ひとり氷上を後にして彼女の方へやってきた。


珠里じゅりぃ。荷物の番、お疲れー。…代わろーか?」


 夕姫ゆきが声をかけると、珠里じゅりは否定的な目をして、視線を伏せた。


 その口は、硬く閉ざされている。


「やっぱり、まとめてロッカーにぶちこみにいこーかって…、でも、この後…――」


「ロッカーのセキュリティは、あてにならない。めんどくさいって言ってたじゃない!」


「…うん。たしかに今更なんだけど…。疲れてきたし、寒いし、もう、けっこー足痛いしで…。

 そろそろ切りあげて、買い物か、映画でも見に行こうかって(話が出てる)。

 珠里じゅりは、何か希望ある?」


 とっかかりの発言をけんもほろろに拒絶された夕姫ゆきは、失敗を意識しつつも、どうにか軽快な姿勢を維持し、高い位置に設置されている時計をあおぎ見た。


 一連のさりげない動作のなかに、相手から、約ひとり半分、席を空けてベンチに腰かける。


 さっきまで沙菜しゃなが座っていた位置で、二人の間には、数はあっても量はさほどでもない、みんなの荷物が場を占めている。


「…珠里じゅりさぁ、ここのところ、ずっと怒ってるよね?

 あたしが何かしたのなら、気づけなくて、ごめん。

 何がいけないのか教えてくれる? ちゃんと謝りたいからさ」


(謝って欲しいわけじゃないもの)


 珠里じゅりは、しらけた顔で目をそらした。


 それに、何を話せというのだろうか? と。


 あらぬ疑惑が浮上してから、彼女に対し、とげとげしい態度をとっている。


 我慢できなくて、あからさまに無視してしまうのは、子供っぽいし、してる方もおもしろくない。

 陰険で、はきちがえていると思っていたから、反省もして…。


 珠里じゅりは、この集まりを機に謝るつもりでいたのだ。


 なのに、その彼女が、おなじ高校ところを受けようとしていると知ったら、そんな気持ちなど、どこかへ飛んでいってしまった。


 どうして、普天隆ふてんりゅうにこだわるのだろう?


 自分のことは棚あげに、珠里じゅりは思う。


 そのひとが居眠りして、英語の点数を落としたので…。

 いけない考えと認識しつつも、珠里じゅりは、ちょっぴり安心していたのだ。

 

 日野原ひのはら夕姫ゆきは、不合格かもしれない。


 落ちても、そのひとの頭なら、どこでも行ける。だから、きっと平気。


 せっかく頭が良いのだ。もっと上の学校に行くのが、そのひとの為なのだと。


 良心と自分の思惑を天秤にかけて、珠里じゅりは、ひとり、納得し達観した。


 ほぼ確実といわれていた試験でドジ踏んだのは、夕姫ゆき自身の責任だが、レベルを下げてまで行きたかった学校に入れないのは、かわいそうだと…。


 同じ学校を落ちたかも知れない仲間意識もあって、同情するゆとりが生まれていたのだ。


 それなのに…。


 そのひとは、まだ普天ふてんに入ろうとしている。


 自分には、真似できそうにない方向性、愚かににも勇敢にも思える選択肢で。


 言ってやりたいことなら、山ほどあった。


 核心にせまる前に、ぶちまけられる不平不満なら、いくらでも…。


 だが、それを口にするつもりはない。


 話すだけ無駄だと、思っていたし…。くやしいし…。


 自分の嫌な部分。不品行をさらしだすようなものだとわかっていたのだ。


 だから…。


「関係ない。話すことなんてないもの」


 珠里じゅりは、むすっと頬をふくらませ、日野原ひのはら夕姫ゆきを拒絶した。

 どう頑張っても、そうする以外の選択ができなかったのだ。

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