いち. 3


 『受験勉強』が課題の自習時間。


 解けない問題を視界に、珠里じゅりがシャープペンシルの芯をつぶしていると、いま、彼女が、一番、接したくない人物が近づいてきた。


 肩口に毛先が届く、軟らかそうな黒髪のクラスメイト。


 ショートボブからセミロングをくり返す調髪サイクルで、散髪どきが近くなってくると、よく、髪のサイド部分をひっかけて、片側か、両方の耳を出している。


 さっそうとしたなかにも、艶やかさも感じられる瀟洒しょうしゃな容貌。

 そこにまたたく瞳は、形が良くて、みばえのする理想的な二重だ。


 珠里じゅりのノートをのぞいた彼女…

 日野原ひのはら夕姫ゆきは、「うー…ん」と。

 一度、うめいた後で、唇を結んだ。


「この公式。これは覚えちゃわないと…」


 細身だが、ずんどうでも貧相でも骨女でもない。

 着こなしに、あまり困らないスタイルをしたその人は、同性の目から見てもきれいだ。


 すっぴんで、アイドル活けそうである。


 けれども…。


 世なれしたお兄さんのように頼りになる。


 そうゆうカッコイイ性格は、女の子として、かわいくない。


 スペックすぎるのも、あこがれの対象にはなっても、恋愛する相手としては避けられるもので…。


 一六五に、いくらか足りないという身長だって、男子から見たら微妙だろう。


 小さいか平均くらいが、きっと好まれる――


 身長順で、一番から、よくて三番が定位置の珠里じゅりとしては、そう思いたいのだった。


 その実態中身がどうあれ、俗にいう、高嶺の花というやつだ。


「使えば慣れる。慣れれば癖になるはまる

 九九といっしょで、自然に出てくるようになるよ」


「…。あっち、行ってよ。気が散るから…」


 珠里じゅりの返答は、本人が思っていた以上に冷たく響いた。


 うつむきかげんの半眼で威嚇され、黒目がちな瞳をきょとんと見開いた夕姫ゆきが、「わかった」とだけ言いのこして、思案顔で離れていく。


 数日前まで、珠里に「教えて」「助けて」と、勉強でつまづく都度、頼られていたのだから無理もない。


 どっちが悪いのかをいえば、虫の居所が悪い時に話しかけてきた夕姫ゆきの方だと思いたかったが、どう考えても問題は珠里じゅりの方にあって…――


 確証のない疑惑をもとに、あたり散らしてしまった珠里じゅりは、自分自身が腐ってゆくような罪悪感をおぼえた。


 けれども…。


 その人の美点が、おもしろくないのだ。


 恋愛に興味がないのか、理想が高いのか、そんな気配も見せないから、相手に退かれてしまいがちだろうと、

 日野原ひのはら夕姫ゆきの容姿が異性の心をとらえることは確かだ。


 じっさい、何に重きを置き、どんな相手を選びとる(とれる)かは、それぞれとしても、しょせん人は、外見や印象に惑わされる生き物なのだ。


 世の中、裕福な者が物や環境に恵まれ、優位になりがちだが、なにより、身体が資本ともいう。


 若く、健康で強く、優れていて美しい方が、血を繋いでゆく上で有利なのだと…。


 わかっているのに、そんな現実が、煙たく思えてしまう。


 こんなのは、やぶを睨んでいるようなものだという認識も良識もある。


 達観していたいとも思うのに、今はどうしても受け入れられない。

 受け入れたくない…。

 わりきれなくて…。


 白でも黒でもない思いをもてあました珠里じゅりは、なすすべもなく頭をかかえこんだのだ。


(なに? この暗号…。たしかに習ったけど…

 どれをどこに当てはめるんだっけ?

 もう…! どうしてくれるの? 

 よけいわからなくなっちゃったじゃない!

 これで解くしかないんだろーけど、なんだか、従うのも癪だし…

 わけわかんないし…

 ――ぜんぜん、集中できないよぅ…) 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る