第25話 魔王様……

 天使の残骸の傍から、這う這うの体で勇者が魔王の傍へと近づき、前のめりに膝をつく。肩で息をしながら魔王の様子を勇者は見た。


「うわっ、大丈夫ですか?」


 勇者は暢気に魔王の顔を覗き込む。

 当の魔王はゆっくりと自身の体を無表情で再生させながらも、かなりつらい状況である。


「いや、ここはそんな暢気に見てないで、回復の魔法とかなんなり使ってほしいんだが」

「ああ、それなんですけど、もう僕も限界でして……自力で再生できそうなら、良いかなぁって」

「ん、放っておくと多分私は普通に再生が間に合わずに失血死すると思うが」

「ええ!? ちょっ、それならそうと早く言ってくださいよ!!」

「言った! 言ったぞ!? 私は言った!!」

「言うのが遅いしもっと切羽詰まった感じでお願いします!!」

「なんだと!?」


 自身の鞄の中から、魔力を回復させる薬を探す勇者に、魔王も無表情を崩して抗議する。

 その背後で、音を立てて天使の残骸が立ち上がり、元の西の大賢者の姿に戻る。その顔は笑みを浮かべていなかった。


「勇者と魔王、まさかあなた達がここまで強いだなんて……」


 二人は警戒し、もはや立てぬ足に今一度力を入れようとするが、立ち上がることすらもはや困難だった。

 そこで唐突に、二人と西の大賢者の間に何者かかが割って入る。


「もう十分じゃろ、西の大賢者よ」


 現れたのは、背の高い老人だった。豊かな髭が腰ほどまで伸びており、しかし伸びた背筋は年齢を感じさせず、その眼光は鋭くも穏やか。

 この老人が誰かと言うのは、勇者が口にする。


「爺ちゃん!?」


 唐突に現れた勇者の養父に、西の大賢者はため息をつく。


「あら、私の楽しみを邪魔するのですが、


 そのことに最も驚いたのは勇者だった。


「爺ちゃんが、何でいるの、っていうか南の大賢者!? え、大賢者!?」


 勇者の養父は含み笑いをしながら、二人へ一瞥する。


「ヒーローとは遅れてやってくるものじゃろ?」


 魔王は状況の急変ぶりに少し引きなが勇者に聞く。


「今更なんだが、お前は養父のご遺体を確認したのか?」

「え? いや、なんか急に帰ってこなくなったから……つい」

「帰ってこないだけで亡くなったことにしてやるな」

「ご時世的にどこかで襲われたのかなとか思うでしょう!?」

「極端なんだよ!」


 勇者と魔王が言い合う中、勇者の養父、南の大賢者が咳払いをする。


「あー、仲が良いところすまんがの。儂も年を取ると立っているのが辛くてな。座っても良いかな?」


 南の大賢者が指を鳴らすと、魔王が良く知っているアンティークの机と椅子が現れる。勇者の肩を借りて魔王は何とか椅子に座る。対面には南の大賢者が座り、左には勇者が、右には先ほどまで殺し合っていた天使、西の大賢者が座る。

 この奇妙な状況に勇者が今一度ツッコミを入れる。


「いやなんですか、この状況は!? 数分前までこんなことになるなんて思ってもみなかったんですけど!!」


 そこに両大賢者が微笑ましいと口にする。


「ふふふ、勇者は元気ですね」

「うむ。息災じゃな」


 何を暢気な、と急展開へ抗議する勇者を脇に、魔王は感動に打ちひしがれていた。

 流麗で洗練された、流線形の曲線美が手に吸い付くようなデザイン。細かい装飾が無理なく無駄なく配置された、まさに魔王が愛してやまぬアンティークのシリーズだ。その憧れのシリーズの見たことも無い物に今自分が座っている。

 南の大賢者は、魔王のアンティークへ注がれる視線を見て微笑む。


「そういえば、魔王くんは儂の意匠を好んでくれておったな」

「え? あ、ああ、はい」


 何故か魔王から敬語が飛び出す。


「え、なんで爺ちゃん相手に敬語なんですか? 僕への敬語は取れましたよね?」


 勇者がそれに噛みつく。が、それを無視する。


「言い表しにくいですが、落ち着く気がします」

「それは良かった。君が気に入りそうなデザインを必死に勉強したかいがあったというものじゃ。件の机もちゃんと君の下へ届いておったようじゃし、うまくいってなにより」


 そう言って、南の大賢者は頷く。

 魔王は机と言われて思い出す。


「机、って、もしや、リプライリングが入っていたのは……」

「うむ。この状況に至るかどうかは、儂は魔法が大の苦手なので賭けじゃったがな。机の意匠を一彫り一彫り、うまくいくことを願いながら彫った結果やもしれん。存外、願ってみるものじゃな」


 南の大賢者は微笑んでウィンクをする。

 リプライリングが入っていたあの机は、確かに勇者の養父の机だった。しかしそれは、自分が中からリプライリングを手に入れるまで計算ずくで仕込んだ物だったらしい。

 とはいえ、なぜこんな回りくどい真似をするのか、と魔王が思っているのを読んでか、西の大賢者が口を開く。


「では、これぐらいで大神を騙せるでしょう。『偶然にも勇者と魔王が協力することの有用性を示すことが出来たので、今度からはそういう方針で世界を運航するがよろしいですか』と聞くには、十分だと私は思います」


 南の大賢者も頷く。


「すまんな。北の大賢者が散って以来、儂らはなんとか事態の収束を図ろうとして居った。そこで、最も勇者の適性が強い者を儂が保護して育て、西の大賢者の下へリプライリングを持たせて送り出し、方や魔王の適性が高い者の手に渡るようにもう片方のリプライリングを渡すにはどうするべきか思案した」


 そして、申し訳なさそうにしながら続ける。


「いくつか謝らねばならぬが……うちの坊主に対しては個別に謝った方が、儂は恥ずかしく無くて助かるのでここでは省略しようと思う」


 南の大賢者が誰かに足を踏まれたようで、痛みに悶える。そして西の大賢者を一睨みするが、彼女が勇者と魔王との戦闘中ですら見せたことが無いほどの怒り顔で睨み返してきたため、南の大賢者は咳払いをして魔王に向き直る。


「そして、魔王くん。君には儂らの尻拭いでとても辛い思いをさせてしまった。儂ら大賢者は世界の運行を司るが、急に流れを変えることはできん。中間管理職は辛いのう。しかし君の頑張りのおかげで、もはや段取りは整った。そこでこれからの時代は、より多くの勇者適性者と魔王適性者が生まれ育ち、また既に生きておる者たちの中にも、『勇者のような勇気』と『魔王のような慈しみ』に目覚める者が出てくるように、世界の流れを変えていく。それで、どうか許してほしい。儂らを恨んでも構わぬ。時に恨まれるのも、神だの天使だのといった存在の役割じゃ……つまり、君はあと少しすると、ということじゃな。なるべく早くしよう」


 南の大賢者の言葉に勇者が質問を入れる。


「え、魔王がお休みをもらって、これからは勇者も魔王もありふれて来るなら……僕は?」

「もちろん、倒すべき敵が居なければ、勇者はお役御免じゃ」


 南の大賢者が勇者に優し気に微笑む中、西の大賢者がため息交じりに付け加える。


「まあ、運行に手を加えるのは私の役割なのですけど……私からは血で血を洗い合った仲ですし、小言めいた事を言わせていただきますが、窓も無い部屋に居ては心を害するのは当たり前です。いつも同じ場所に居るのもそう。今回は勇者に声をかけられて外へ出ましたが……外の景色はどうでしたか? 私を倒すために誰かと協力して成し遂げたのは? ……少しは、気分は晴れましたか? ごめんなさい。私にできるのはこれぐらいなのです」


 小言は次第に心配へと変わり、西の大賢者の表情は出会ったばかりの時のように心配した顔へと変化していく。

 南の大賢者が勇者に「でも殴り合ったのはこやつの趣味じゃがな」と小声で告げたのを、西の大賢者が肩パンし「あなたがもっと勇者を泣かせないようにしてあげていれば」などと説教が別の方向へ、魔王を蚊帳の外に置いてずれていく。


 そんな魔王に勇者が話しかける。


「爺ちゃんが美味しいところ全部持ってっちゃいました」

「本当にタイミングを計っていたかのような……ああ、いや、全部連中の計算ずくだったのか」


 勇者は席を立ち伸びをしてから魔王に言う。


「そうでもないと思いますよ。だって、リプライリングのことをあなたは無視しても良かった。通信が途切れた時もそう」

「状況と役目に流されただけだ」

「でもここまで来れましたよ。あなたの意思で」


 勇者と魔王の前では未だに西の大賢者が南の大賢者を説教し続けている。

 東から射す茜色が遠くの山の稜線を縁取る中、ゼセン村の大聖堂の下は大層な賑わいになっている。あれだけ派手に闘っていたのだし当たり前なのだが。

 勇者は魔王に手を差し出す。


「休暇の予定は決まってますか? 僕はまだなので、できれば友達と過ごしたいと思ってます」


 魔王は差し出された手を見て、勇者の顔を見上げる。


「やめろ、恥ずかしい」


 その手を優しく押しのけながら立ち上がり、魔王はその場を後にした。

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