第11話 きみと特別なファンタジア

「キアラ、今日は特別な一日にしよう。きっと楽しませてみせる」


 強気で宣言するレイルの笑みに困り果てながら、汽車に乗り込んだキアラは、彼と共に王都の北東に位置するナイラッツ州・ザイツブルの町にやって来ていた。

 王都から一時間半程で着くこの町は、穏やかな気候で酪農や小麦作りが盛んなほか、町外れには王家の別荘が存在するらしく、二人は今、乗り換えた馬車でその地へと向かっている。


(はぁ……)

「キアラ? 暗い顔をしてどうした?」

 だが、仮にもデートの最中だと言うのに、キアラは道中、改めて提示された彼の意志にずっと心ここに非ずで思案をしていた。

 先程、キアラを陛下の妃なのではと噂する市民の声に対し、構わないと言ったレイル。

 初日から変わることなく、彼が自分を見ていたのだとしたら、どうお断りすれば、恥をかかせずに済むだろう。


「いえ……何でもありません」

「そうか? ではおいで。ここが今日を過ごす屋敷だ」

 嬉しさも照れもなく、彼の発言に頭を悩ませていたキアラは、いつの間にか馬車を降り、不思議顔で振り返ったレイルの声にふと意識を取り戻した。

 自分の発言が波紋を呼んでいることなど知る由もない彼は、いつもと変わらない様子で手を差し出している。

「……わ」

 そんな彼の手を借り、馬車の外へ出たキアラは、目の前に広がる美しい屋敷に目を瞬いた。

 白と金を基調に、繊細な装飾を施した造りは壮麗で、今までの憂鬱を忘れさせてくれるほどに荘厳。

「美しいだろう? この屋敷は百年程前ロココ時代に建てられたものでな。ゆるりと過ごしたいときに時折訪れているのだよ」

「しかし、帰城を考えますと、あまり長居もできないのでは?」

 わずかに表情を綻ばせ、屋敷を見つめていたキアラは、満足げな笑みを見せる彼の説明に、ふと気になったように問いかけた。

 これまでレイルはどこへ連れ出されようと、夜七時を待たずに城に戻っていたようだし、移動時間を考えると、滞在は長くて四~五時間なのではないだろうか。

「いや、このデートのお楽しみは夜だ」

「え」


 すると、さりげなく帰宅時刻を確かめる問いに、彼はさも当たり前のように言った。

 予想だにしなかった答えにキアラは目を見開いてしまったが、彼は平然と言葉を続ける。

「大臣たちには必要なことを言い置いてある。一日くらい私が帰らずとも問題はない。ここでの一時を存分に楽しもうぞ」

(え……。よ、夜って、え? お泊りなの……?)



(はぁ……)

 それからしばらくして。

 出迎えた使用人により一度部屋を案内されたキアラは、落ち着かない心をなだめるように、庭へと散策に出ていた。

 屋敷の前に広がる幾何学式庭園には今、芍薬ピオニーの花が咲き誇り、柔らかく甘い香りが漂っている。

(今日はこれから何が起きるのかしら……)

 そんな中、ローズピンクの瞳を陰らせたキアラは、八重咲の芍薬を見つめたまま、困ったように呟いた。

 午前中から彼の発言に振り回された上、今なお先の見えない状況に、漠然とした不安は募るばかり。もういっそ、ユイリスのように許容値を超えたフリでもして、早々にデートを切り上げてしまおうか。


(カエルさん……)

 と、どうにも思考が「帰りたい」に行き着いてばかりいたキアラは、ふと芍薬の上に佇むアマガエルに気付くと、なんとなく意識をそちらに向けた。

 その表情はなぜか懐かしげで、笑みさえ見て取れたのだが、

「何を見ているのだ?」

「あっ、いけません!」

「!」

 不意に聞こえてきた彼の声に振り返ったキアラは、一転、慌てた様子で言った。

 彼女にしては珍しい感情的な声にレイルは驚いたが、

「カエルさん、お行きになって。陛下の目に触れてはだめよ」と、カエルを退場させるキアラの行動に、状況を悟ったようだ。

 その証拠に、怪しげな笑みを浮かべたレイルは、そそくさと謝る彼女に、こう告げた。

「……フフ。キアラ、

 謝罪の言葉に対し、レイルが告げたのは問いかけだった。

「え。あ、えっと……」

 今の彼女の行動は、それを知っていることを示唆している。

 だが、と言う事実は、一部の者を除いて誰にも話していないし、極力出遭わないよう、日々細心の注意も払ってきた。

 これまでで不意を突かれたのはたった一度――。



『姉上~、カエル~』

 あれは九年前。

 同盟国との親睦会のため、エイビット王国に出向いていたときだった。

 姫君と挨拶を交わす最中、庭に出ていた弟君が、なぜか手にカエルを乗せて帰って来た。

 突然の出来事にレイルは固まってしまったが、弟に目を向けていた姫は笑って、

『こら、ドリッシュ。パーティの最中にカエルさんはだめよ』

『え~。だって、カエルは王子様なんだよ? パーティに参加できないの、可哀想だもん』

『それはお伽噺。王子様はあなたでしょう? さ、庭に返していらっしゃい』

『はぁい……』



 後で話を聞くと、弟君は童話の影響でカエルをいたく気に入っていたとのことだった。

 もっとも、彼らのことをこれ以上思い出そうとすると、苦しさ故か顔すら朧気……。

 だがあれ以来、この類への注意は怠らなかったはずだ。なのに、なぜ……?

(……あのとき、嫌そうなお顔をされているのを一瞬見てしまったのよね……。だからつい、条件反射で気遣ってしまったのだけれど、失敗したわ……)

「……」

「まぁよい。誰にも言うでないぞ」


 決して口を開こうとしないキアラへの追及を諦め、代わりにデートを再開することにしたレイルは、庭の散策やティータイムを共にしながら、彼女との時間を楽しんだ。

 邪魔者たちのいない時間は、穏やかで過ごしやすく、それだけで幸せ。

 これから先も、こんな風に他愛のない時間を過ごせたら、どんなにいいだろう――。



 そうして時間は過ぎ、問題の夜がやって来た。

 イブニングドレスに着替えるため、一旦部屋へと戻っていたキアラは、サテン地にレースを施したパールピンクのドレスに身を包むと、指定されたダイニングへ足を踏み入れる。たくさんの蝋燭が飾られた室内には、テールコート姿のレイルがいて、彼はキアラの姿を認めた途端、深い笑みを浮かべ、

「キアラ、今日の特別な日を二人で過ごせること、嬉しく思う」

 そう言って彼が見せたのは、直径十センチほどのかわいらしいケーキだった。

 白磁器の皿に盛られたそれは、果物と繊細な砂糖菓子をふんだんに使用した飛び切り美しいもので、見惚れてしまうほどに愛らしい。

 と、意外な贈り物に驚くキアラに、レイルは後ろ手に隠していた白薔薇の花束を差し出して言った。


「今日はお前の誕生日バースデー。おめでとう、キアラ」

「……あっ」

 花束とケーキと、レイル。

 それを順に見遣ったキアラは、ここで初めて、今日が何の日かを思い出した。

 今日は五月二十四日。

 キアラの十九歳の誕生日だ。

「あ、ありがとうございます。恐縮です」

「フフ。お前にはもう一つ、後で見せたいものがあるのだが、まずはディナーを楽しもう」

「は、はい」

 まさかデートで誕生日を祝われるなんて、思ってもみなかったキアラは、ぎこちない様子で花束を受け取ると、一先ずディナーとケーキをいただくことにした。

 もしかしなくとも、レイルは初めからこれを見越して、今日の予定を組んでいたのだろう。

 尤もキアラ本人はデートが嫌すぎて、すっかり忘れていたが、それは内緒。甘いケーキは見た目も然ることながら味も良くて、ちょっぴり幸せだった。



「さて……」

 それからさらに時間は過ぎ、夜十時――。

 談話室へ呼ばれたキアラは、彼の姿に大きく目を見開いていた。

 窓辺に佇むレイルは、普段とは違い、ジャケットもタイも外したラフな姿でそこにいて、キアラをじっと見つめている。

 その姿はいつも以上に妖艶で、女性ならまず見惚れること間違いなし。もちろんキアラは例外だが、これから何が始まるのだろう?

「こちらへおいで。これがお前に見せたかったものだ」

 戸惑いを浮かべ、ゆっくり近付いて来るキアラをよそに、レイルは笑うと不意に窓を開け放った。

 途端、爽やかな風が二人の髪をなびかせ、視界の先にそれが映る。


「わぁ……っ」

 そこに広がっていたのは、無数に煌めく満天の星空だった。

 キラキラと幻想的な星たちは、雲一つない空に輝き、キアラを見下ろしている。


「美しいだろう。王都より標高の高いここからの星空は格別でな」

「とても、素敵です」

 窓の先に続くバルコニーの手すりに手を掛け、背伸びをするように、キアラは星を見上げ無邪気に笑った。

 それは、決してレイルの前では見せない、柔らかく無防備な笑み。

 彼女の隣に立ち、横目でそれを確認したレイルは、嬉しそうに笑って、

「ようやく笑ったな」

「えっ」

「私の前では、決してその笑顔を見せなんだ。他の者たちの前では、当たり前のように笑っているのに」

「……っ」

「なあ、キアラ。お前はどうしたら、私にその笑みを向けてくれる?」

 嬉しさの中に憂いを混ぜ、レイルはキアラに問いかけた。

 闇の中、談話室から漏れる灯りを背に受けた姿は、今まで見たどの姿とも違って見えて。


「え、えっと……」

 戸惑ったまま彼を見上げ、キアラは出せない答えに口ごもる。

「……いや、答えられぬのならいい。ならばキアラよ。お前に一つ、頼みがあるのだ」

 すると、彼女の戸惑いに苦笑を滲ませ、レイルは頭を振ると、願いを一つ口にした。

 彼の背後で、流れ星がきらりと光る。


「私をレイルと、名前で呼んではくれまいか」

「えっ」

「お前には名前で呼ばれたい」


 不意を突く願いに、キアラは押し黙ると、まっすぐに彼を見上げ目を瞬いた。

 これまでキアラは、何があろうと「陛下」を貫き、まるで親しくなることを拒否するように、一度だって名前を口にしたことはなかった。

 なのに、今さら名前でなんて……。


(でも、明確に否定する理由が……)

「……わ、分かりました。えっと、れ、レイル様……」


 ただ呼び方を変えただけなのに、なんとなく気恥しいような気がして。

 呟くように名前を告げ、星空に視線を戻すキアラを見つめ、レイルは嬉しそうに笑った。

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