特別急行「富士」の洋朝食

第3話 友人に「便乗」して・・・

 諸君、最近の食堂車であるが、いささか簡便になっていく傾向がありますな。

 私は、どうも、その風潮は好きになれません。その原点はやはり、学生時代に特別急行「富士」の洋食堂車の朝食にあることは、確かです。

 あれは、昭和10年の秋口でしたか・・・。


 私の実家は神戸でして、神戸駅から歩いてそう距離のないところでした。私は、神戸一中から三高を経て京都帝大工学部に参りました。当時3回生か、院生になった頃でした。あの頃は、実験に明け暮れておりました。

 確かその年の9月下旬でしたか、慶応鉄研の創始者の一人でありまして、灘の造り酒屋のボンボンで、神戸一中にはとても受からんということで、できたばかりの灘中に進んだ同級生がおってですな、こいつが東京に戻ると。

 それも、特別急行「富士」で戻ると申すものですから、この際と思いましてね、私は、それならその日京都の下宿に戻るから京都まで付合ってやると申しました。

 そいつ、菊政宗男君と言いますが、彼、折角だからということで、親父さんに交渉して、私に、こんなこと言って来ましたのや。


「京都に戻る特急料金と運賃、うちの親が出してやると言っている」

ってね。

 それはありがたい。わずかな区間でも、天下の特別急行列車に乗れるとはね。


 ただし、条件が付けられた。親父さんに呼ばれて、言われるには、こうや。

「神戸から京都までの間に、特別急行列車の洋食堂車に行って食事をして、原稿を一つ書いて参られたい。うちの社報に掲載して差し上げようではないか」

って。しかも、朝飯代に幾分の小遣いまで出してくれるというじゃありませんか。

 

 さてさて、そんでもって、いよいよ、やってきました。

 9月ともなりますと、今時の9月頃より涼しくなっておりまして、もう上着も要ろうなという頃や。

 私ら、朝早く起きて神戸駅に向いました。

 どちらも三等客や。昼間に走るからな。

 でもう、座席指定もヘチマもあるかいってことで、食堂車の隣の車両の食堂車よりの入口のところに陣取って、列車待ちました。

 朝6時過ぎの定刻に、天下の2列車「富士」は、神戸駅の上りホームにやってきました。

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