168 vs審判Ⅲ『望まぬ萌芽』




 ユーリィとの戦いは、あまりにあっさりと終わった。


 カラリアが拍子抜けするほどだ。




「終わった……のか?」


「『審判ジャッジメント』か。大したことなかったのは、天使になってなかったからかな?」


「あくまで自分の能力で肉体を変えていただけということか」




 彼女は試しに、遠くからユーリィの死体を撃ち抜く。


 だが吹き飛ぶだけで反応はなかった。




「そんなにビビる必要ないんじゃない。ミティスだって、世界さえぶっ壊せれば、こいつなんてどうでもよかったってことでしょ」


「そう、だな。メアリーと合流して、『世界ワールド』と戦うための戦略を練るか」


「メアリーが勝ってたらね」


「それを疑う必要はない」


「はは、そーだね。負けてたってあたしらが無駄死にするだけだし」




 ぼやきながら、部屋から出ようとするディジー。


 彼女がドアに近づくと、ドアは彼女に問うた。




『仮に自分を進化させられるとしたら、まずは弱点を消すところから始めるよね』




 ――ユーリィの声だった。


 ドアの扉に、彼女の顔が浮かび上がっている。




『だから、最初に心臓を消した』




 後ずさるディジー。




「……カラリアも、薄々そうだろうとは思ってなかった?」


「同意はしたくないがな」




 カラリアはうんざりした様子である。


 外の様子からして、メアリーと天使たちの戦闘が、今まで自分が経験してきた戦いと次元が違うことは明らかだ。


 ただの人間であるカラリアと、ただのアルカナ使いであるディジー。


 対してユーリィは、『世界』に最も近いアルカナ使い。


 見た目の上での魔術評価は大差なかった。


 だが、その数値が必ずしも信じられるものではないと、カラリアは知っている。


 ひょっとすると、文字通りに桁違い・・・なのかもしれない――そんな予感はあったのだ。




『命は分散する。消えてもすぐに他の細胞が補う。私は今、誰よりも死から最も遠い場所にいる。そしてあなたたちは――』




 そう言い残して、ユーリィの顔は消えた。


 そして今度は、床に根を張るように赤い筋が広がり、そこからユスティアが生み出される。


 彼女たちはカラリアとディジーに向かって手をかざした。


 手のひらに光が集まる。


 ただ明るいだけでなく、そこには熱も集中し、膨らんでいく。


 それが弾ける直前、カラリアはユスティアたちの魔術評価を見た。


 力を見定める時間などもうない。


 ただの興味だ。


 この世界において、何の加護も受けていないアルカナ使いが、『世界』に最も近いユーリィと戦うという行為が、どれだけ無謀なことだったかを確かめるための。


 ――並ぶ数値は三十万。


 一万や二万の世界で戦ってきたカラリアやディジーにとっては、あまりに途方も無い差。




「『正義ジャスティス』――ユスティアが迎えに来てくれたのか」




 それがカラリアの最後の言葉だった。


 感傷に浸ったことを否定はできない。


 だが、無意味に呟いたわけではなかった。


 伝えるためだ。


 おそらく、この場から唯一逃げられるであろう人物に、それを教えるための。


 ――視界が白で埋め尽くされる。


 そのまま、二度と戻ることはなかった。


 真っ白な世界にカラリアはいる。


 体も動かない。


 不思議と、痛みもなかった。


 ただ、何となく体が熱いと、そう思うだけだ。




(ああ……思っていたより、苦しくはないんだな)




 呼吸はできないし、喋ることもできないが、苦しまなくていいだけマシだ。




「ディジーだけ逃げたみたいだね。一緒に殺そうと思ってフロア全部溶かせるぐらい出力を上げたのに、うまいこと外まで転移したみたいだ。厄介だなあ、生き汚さに関しては一流だってミティスが褒めてただけはある」




 ユーリィの声が聞こえた。


 彼女は、そこに立ち尽くすカラリアに触れる。


 ざらりとした表面。


 触れるたびに落ちていく断片。


 髪も、顔も、メイド服も、何もかも、そこにカラリアの面影はなく――ただ、人の形をした焼け焦げた“何か”が存在しているだけだった。


 あの瞬間、光は全てを焼き尽くしたのだ。


 部屋の器具や壁も溶け、むしろその中心地で人の形を保っているのが奇跡的と思えるような状態である。




「カラリア、また二人きりだね」




 ユーリィは指先でカラリアの腹を撫でると、胸の真ん中に手を当て、軽く力を込めた。


 手が体内に埋没する。


 背中まで貫通する。


 乾いた音の中に、わずかにぶしゅっと水気のある音が混じっていた。




「はじめて、もらっちゃった。生焼けで気持ちいいよ」




 もはやカラリアは事切れる直前。


 むしろ、未だに命がそこにあることのほうが不思議なぐらいである。


 これも、彼女の特異な体質・・によるものだろう。


 もっとも、そんなものがあったところで、ただ即死を免れただけ――むしろ苦しみが長引くだけである。




「私は私の正義を疑わない。私の行いは全て過ちであり全て正しい。だから、姉さんは私に味方してくれる」




 カラリアの炭化した体が、ユーリィの腕と同化していく。


 いや――沈んでいく、といったほうが正しいだろう。


 腕だけでなく、体全体が呑み込まれ、消えていった。




「やっと……家族三人、一緒になれたね」




 ユーリィは我が子を愛でるように、自らの腹部を撫でながら言った。




 ◇◇◇




 ピューパ本社の外にて、アミとの別れを終えたメアリー。


 彼女は目を真っ赤に腫らし、ふらふらと左右に揺れながら、本社ビルに向かう。


 その直前――彼女の目の前に、半壊した義手義足を身につけたディジーが現れた。


 体も火傷で爛れており、以前の傷と合わせて、ディジー自身が笑ってしまうほどにボロボロである。


 彼女はまともに歩けないので、腕の力で這いずってメアリーの近くまでやってきた。




「ビルの上層階で何か起きたようですね」




 暗い声でメアリーが尋ねる。




「『審判』だよ。ユーリィが……最後のアルカナ、持ってたんだ」


「そうですか。それであなたは挑んで返り討ちにあった、と」


「カラリアと一緒にね」




 ディジーの言葉に、メアリーの眉がぴくりと動く。




「……カラリアさんはどうしたんです」


「死んだよ。さっきの光に焼かれて」




 軽い口調で告げるディジー。


 メアリーは目を閉じると、肺を震わせながら、深呼吸をした。


 取り乱さずに済んだのは、ついさっきアミを失ったばかりだからだろう。


 奈落の底まで落ちた感情は、もうそれ以上は落ちようがない。


 もし底よりさらに深い場所があったとしても、たどり着くには、岩盤を貫くぐらいの出来事がなければ。


 おそらくこの世に、今より最悪の気分は存在しない。


 存在しないと――思いたい。




「少しでも遅れてたら、あたしも死んでた」


「そのほうが楽だったでしょうに」


「託されたんだ。メアリーに、せめて少しでも情報を伝えてほしいって」


「カラリアさんが?」


「何も言わなかったけどね。きっと、あれはそういうことなんだと思ったんだ」




 ディジーは地面に爪を立てる。


 ガリッという音がして、爪の間に血が滲む。


 痛い。


 生き残ることは罰だ。


 だからカラリアのほうが先に逝くのは当然の権利だろう。




「ユーリィは『審判』だけでなく、『正義』のアルカナも持ってる」


「二つのアルカナを……しかもユスティアの持っていたアルカナですか」


「『審判』の能力は、肉体の自己改造と、たぶん死んだ人間を蘇らせて操るとか、そういうやつ」


「『死神』と少し似ていますね」


「死体を操る力と、死者を操る力の違い、みたいな? ははっ、なんかアルカナの由来に関係してるんだろうけどねぇ」


「他に能力はありませんか?」


「ちぇっ、ノリ悪いなぁ。それと、自分自身と周囲の物を同時に腐らせたりもしてた」


「腐る? 蘇らせる能力と同時にですか」


「ひょっとすると、こっちは反理リバース現象かもね」


「生きているのに反理現象を使っていたんですか」


「心が死んで腐ってるってことじゃないの」




 メアリーは、そういうものとして受け入れるしかなかった。


 『恋人ラヴァー』の例にあるように、心の死もトリガーになりうるのだから、死と生が混ざりあった混沌とした精神――仮にユーリィがそういうものを持っているのなら、通常の能力と反理現象を同時に使っていてもおかしくはない。




「あとは……ふぅ。『正義』だけど」


「あの光が『正義』の能力なら、ユスティアさんが持っていた頃と変わっていないようですね」


「あれ、知ってる?」


「カラリアさんから話を聞いたことはあります」


「じゃあ、説明は省いていいね。ユーリィって頭おかしいからさ、自分がやったこと、全部、正義だと思ってるらしいよ」


「正しい行いを魔力へと変えるアルカナ――ですが価値観が壊れた人間の手に渡れば、それは殺戮の道具へと変わってしまう。本当にお姉さんとわかりあえない人なんですね、あの人は」


「はははっ、お互いにわかってないって感じするよね。でも仕方ないよ、正義って人によって違うから。この世界が滅びることも、きっと、誰かにとっては正義なんだよ」


「正しさなんてどうでもいいです。私は殺すだけですから」




 鎌を握るメアリー。


 彼女はその場で刃を振り上げた。


 ディジーはぽかんとした見上げていたが、すぐに口を歪めて笑う。




「あれ、あたしのことも殺してくれるの?」


「ステラさんに頼まれたんです」


「ああ……会えたんだ」




 ステラの名を聞いて、ディジーの顔から表情が消える。


 ホムンクルスに救済と裏切りをくれた人。


 憎みたくても憎めない、好きだと言いたくても言えない、そんな存在だった。




「でもちょうどいいや。カラリアが私に託したのは、『魔術師マジシャン』をメアリーに渡せって意味でもあったんだろうから」


「でしょうね。カラリアさんも最後まであなたを憎んでいたでしょう」


「ははっ、下手に情を持たれるよりそっちのがいいや」


「他に何か言い残したいことは?」




 ディジーは「んー……?」と少し考え込んで、メアリーに問いかけた。




「あたし、どうしたらよかったのかな?」




 そんな、答えを出しようもない意地悪な問い。


 無論、メアリーが解答できるはずもなかった。




「それがわかるのなら、先に自分のほうをどうにかしています」


「はははっ、それもそうか。ごめんねぇ、どうしても知りたくなっちゃってさ」


「強いて言うなら……どうしようもなかった、でしょう」


「そっかぁ。メアリーも自分のことそう思ってる?」


「ええ、たとえ道が枝分かれしていたとしても、行き着く先は全て同じでした。後ろを振り向いても何も変わらない」


「そっかぁ……それなら、少しは救われた気もするかなぁ……」




 どうしようもない。


 他に道など、どこにも存在しなかった――その事実だけがディジーにとっての救い。


 彼女は仰向けになると、目を閉じた。




「んじゃ、お願い」




 暗闇の向こうに見えるのは、針に串刺しになっても死ねない、哀れな罪人の姿だった。


 大量の血を流して、叫び声を吐き出し続けて、なおも許されない、そんな地獄楽園の光景。


 思わず口元に笑みが浮かんだ。


 まだあんな苦痛が待っている。


 そしてそこには、カームがいない。


 償える。


 永遠に償いきれない罪だから、永遠に罰を受け続けなければならない。


 それを可能とする世界が目の前にある。


 メアリーは無言で鎌を振り上げた。


 ディジーはただの人間だ。


 だから、普通に殺せる。


 刃を振り下ろし、頭を真っ二つに割ってしまえば、その“瞬間的な死”は、ディジーに苦痛すら与えない。


 長いようで短かった彼女との付き合いは、あまりに簡単に幕を閉じた。


 目の前で、頭蓋の中身を晒しながら、透明と赤の液体で地面を汚す彼女を見下ろし、メアリーはしばし立ち尽くす。




「死体って、綺麗ですよね。少し、可愛らしさもあって」




 彼女は何も考えずに呟いた。


 そして数秒経って、自分が何を言ったのかを思い出し、右手で顔を覆った。




「……早く終わらせないと」




 ため息交じりにそう言うと、左腕でディジーを食らった。


 『魔術師』を得た彼女は、やはりふらふらとした足取りで、本社ビルに足を踏み入れる。


 瞬間、空気が変わった。


 メアリーは、一見して普通に見える前方の壁を見つめ、そこがすでに“ユーリィの体内”であることを確信した。



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