165 創世神話Ⅴ『私たちは轢死する』




 ミティスとセレスは、ウェントの妹であるアウラと出会った。


 アウラは二人の間に座ると、ぽつぽつと自分の境遇を話しだす。




「お兄ちゃん、この学園に通い出した頃は前と一緒だったんです。毎日のように私に連絡してくれて、休日になると戻ってきて……」


「そんな雰囲気なかったけど、シスコンなんだね」




 セレスがそう指摘すると、アウラの頬がぽっと赤く染まった。




「シ、シスコンっつか……私のほうが甘えてたっていうか。親、片方いないんで。他の兄妹より仲は良かったと思います。うっす」


「ワケあり家庭で、家を裕福にするために頑張ってるお兄ちゃんってわけね」


「学園を目指した理由も、たぶんそれっすね。私は、地元の学校でいいって言ったんですけど」


「でもこうして私たちに相談しにきたってことは、事情が変わってしまった、と」


「神様候補に選ばれたって、興奮しながら報告してから……少しずつ、何か、別人みたいになったっていうか。自分のことウェントじゃないって言うし。お兄ちゃんって呼ばれるのも……何か、嫌そうな感じで……」




 思い出すだけで、アウラの表情が曇っていく。


 ミティスは困って頭を掻いた。


 ウェントのことは知っている。


 同じクラスだったので、神様候補であるリュノやニクスと一緒に行動することが多いようだ。


 だから――ミティスは彼を、あまり好ましく思っていない。


 おそらくセレスも同じだろう。


 視線を交わすと、やはり彼女も困惑している様子だった。




「他の人も、あんな感じなんですかね」


「個人差はあるけどそーみたいだよ」


「私、もう……お兄ちゃんにお別れも言えないんですかね」


「これから何もせずに元に戻ることは無いでしょうから、先に言っとくしか無いでしょうね」


「……ありゃ? アウラちゃん、その方法があるから、あたしらに相談しにたんじゃにゃーの?」




 ふるふると首を振るアウラ。




「方法を探すのも含めて、一緒に考えられないかと思ってました。うっす」




 まあ――期待したミティスたちも悪いのだが、やはりそう甘くはないということか。


 するとセレスが何かを思い出す。




「そだ。さっき個人差があるって言ったけどさ、一番進行度合いが遅い人、あたし知ってるかも」


「それは誰なの、セレス」


「マニ・クラウディ。神様ネームは『皇帝エンペラー』!」




 セレスはなぜか人差し指を立てて、得意げに言った。




 ◇◇◇




 校舎裏、人の気配がない薄暗い場所に、マニの姿はあった。




「前髪で目が隠れてる。大人しそうな人ですね」


「『皇帝』ってことは神様候補の一人でしょう? どうしてこんな場所でお昼ごはんなんて食べてるのかしら」


「元々、ヘルメスって子と一緒だったらしいよ」


「ヘルメス……確か『魔術師マジシャン』?」


「そそ、それそれ」


「……ってことは、あの人も取り残されたんですね」




 寂しげにアウラは言った。


 ミティスも同様に、マニの境遇に共感し、胸を痛める。


 そして彼女は堂々とマニの前に出ると、腰をかがめて声をかけた。




「こんにちは、マニさん」


「だ、誰……?」


「予備候補のミティスよ」


「ああ、あの……こ、こんにちは」


「そんであたしはセレス。そしてこの子はぁ――」


「うっす、おに……ウェント・テンペスターズの妹の、アウラです」


「は、はあ、こんにちは。どうして『運命の輪ホイールオブフォーチュン』の妹さんがここに?」


「あのっ、お兄ちゃんはそんな名前じゃないです!」




 アウラが少し強めに、両手を握りながら言うと、マニはびくっと体を震わせた。




「あ……ごめんなさい」




 しょんぼりと肩を落とすアウラ。


 彼女にマニは優しく声をかける。




「ううん、少しびっくりしただけだから。そうだよね、家族なら名前で呼ばれたほうが嬉しいよね。あんな変な名前より……」




 マニの言葉は、『彼女となら手を組めるかも』という予感を確信に変えるには十分だった。


 セレスとミティスは、マニを挟むように両側に座る。


 そしてアウラは真正面にしゃがみこんだ。


 マニはおどおどしながら三人の顔を見る。




「アウラちゃんはね、ウェントを元の人間に戻したいと思ってるの。そして私たちも――リュノのことを戻したい。そうよね、セレス」


「……うん。それができるなら」


「さっき聞いたんですけど、マニさんにはヘルメスさんっていう親友がいるんですよね。その人のこと、元に戻したいって思いませんか?」


「思うけど……」


「だったら、一緒にやりましょう。方法はまだ見つかってないですけど、候補に選ばれたマニさんがいれば、きっと、きっと!」


「あう……」




 アウラはマニの手を掴み、熱く語る。


 その圧力に押され、マニは軽くのけぞった。




「私からもお願いしたいわ」


「そんな方法、たぶん、無いよ」


「マニさんも、何か変な機械に入って、神様になるための処置を受けてるんですよね? そこに細工とかできませんか?」


「装置そのものを勝手に変えたりはできないし。そんな知識も、私には無い……」


「だったら、装置を壊したらどうなるの? 創造すべき世界が消滅すれば、神の役目から解放されるんじゃないの」


「それは……わからないけど。でも無理だよ」


「どうして言いきれるんですか?」


「ヘルメスも、ウェントくんも、みんな……みんな、望んでそうなったから。みんな幸せなのに、それを止めるなんてこと、私にはできない……」


「ヘルメスさんは、あなたが苦しんでいるのに、自分さえ幸せならいいと思っているの?」


「……違うよ。だって普通、神様になれるって幸せなことだし」


「だけど間近であなたが苦しむ姿を見ているんでしょう? それに気づかない程度の関係じゃなさそうだけど」


「それでも、間違ってるのは私だから」




「待って!」




「っ……」




 軽く振り払われるミティスの手。


 そしてマニは悲しげに、制服の袖をまくり上げる。


 一部だけが変質し、鎧を思わせる、冷たく硬い物質になっていた。




「もう戻れないんだよ、私たちは」


「まだほんの少し変わっただけじゃない!」


「肉体だけでなく、心だってそう。一度変わったものを戻す・・ことはできないんだよ。私たちにどうして名前が与えられるか知ってる?」


「神としての自覚を促すため、でしょう?」


「違うよ。あれは人の名前を捨てるためなの」


「それって、同じことじゃないんですか?」




 アウラの疑問を、マニは首を振って否定する。




「名前って言霊みたいなものだから、それが変わるとね、心までも変わってしまうみたい。だから、“どんな名前になるか”なんてどうでもいい。大事なのは“違う名前”を与えること。私は進みが遅いだけで、そのうちみんなと同じになる」


「ヘルメスさんと一緒になれれば、それでいいって思ってるのね」


「あと少しの我慢だから。ヘルメスは少しだけ私の先に行ってしまっただけ」


「変わってしまったら、それはもう別人じゃない。神様同士が一緒になれたって、マニとヘルメスっていう人間は引き裂かれたままなのよ!?」


「それが良いことか悪いことか決めるのは、私たちじゃない」


「善悪なんて――」


「とっても大事なこと。あなたの両親だって楽しみにしてるはずだよ、リュノさんが神様になる瞬間を」


「それが……それが間違ってるって言ってるのよ!」




 マニだって、本心ではそう思っているはずだ。


 アウラも、セレスも、こんなの間違っている、と。


 けれど正義は大衆が決めるものだ。


 この場にいる四人があらがったところで、何も変わらない。




「神様の名前を決めるとき、先生たちが会議を開くんだって。今度は何人だからあの神話を使おうとか、性格や性別でこれをモチーフにしたらいいんじゃないか、って。心から、楽しそうに」


「……嫌な光景ですね」


「楽しそうに人殺しの算段を立ててるってわけ」


「だから、“解釈”も人によって違ったりして。『愚者フール』と『世界ワールド』は特別な名前だから残すべきって意見したかと思えば、残したのは予備人員のためだって言ってみたり。かと思えば、管理システムに割り当てるためだって言ってみたり。“気分”じゃないの、きっと偉い先生たちが会議とかで“設定”を考えて決めてるの。彼らに悪気なんて無い。本当に無邪気に、自分が神様の手下になった気分で、そういうロールプレイで遊んでるんだよ」


「狂ってるわ」


「そう思う私たちのほうがおかしいんだよ」


「何でそうなるんですか。みんなどうかしてるんですよ! 普段は散々、命は大事にしろとか家族は大事にしろって言うくせに、神様が絡んだ途端に価値観が変わるの、どう考えてもおかしいじゃないですか!」




 涙目で声を荒らげるアウラに対するアンサーは一つしかない。


 ――人間がそういう生き物だから。


 この世界の人類は、新たな世界を生み出すために創造主に作られたのだから、それを最優先するのは当然のことなのだ。


 大義のために感情を殺すことこそが美徳。


 それを感情論で遮る者は悪。


 殺人が悪と断じられるのと同じぐらい、当然の常識。




「そろそろ昼休みが終わるから行くね。遅れると、ヘルメスに怒られるから」




 弁当箱を片付け、静かに去っていくマニ。


 アウラは拳を強く握ってその背中を見つめると、勇ましい表情でミティスのほうを見る。


 彼女は首を振った。


 途端にアウラの闘志もしおれ、三人はマニの背中を見送る。




「大きな声を出しちゃったけど、彼女も限界まで譲歩してくれたってことでしょうね」


「どこがっすか」


「……名前が大事って教えてくれたよ」




 セレスが久々に口を開く。


 彼女は、どちらかと言えば、諦めてミティスと二人で生きる道を選ぼうとした人間だ。


 マニとの会話はミティスに託す――そう決めていたのだろう。




「肉体の変化まではどうしようもないわ。私たちにできる一番有効な手段は、彼の名前を呼ぶことでしょうね」


「そこまで、協力してくれるんですか?」


「私たちの目的はリュノって子を引き戻すこと。ウェントがうまくいけば、リュノのほうだって成功するかもしれないじゃない」


「ありがとうございますっ! 私も、お兄ちゃんから怒られるぐらいしつこく連絡します!」




 アウラは深々と頭を下げた。


 セレスは照れくさそうに頬を掻いたが、二人とも、こんな簡単なことでうまくいくのか――不安でしょうがなかった。




 ◇◇◇




 アウラは教師にバレる前に学園を出た。


 ミティスとセレスは、さっそくその日の放課後から作戦を開始する。


 揺り籠クレイドルから候補が出てくるのを待つ二人。


 通りすがる教師たちは、誰も彼もが彼女たちの行いを咎めるように睨んでいく。


 無論、ミティスがそんなものを気にするはずもなく、しばらくするとリュノたちの姿が見えた。


 セレスはわざとらしく手を上げると、大きな声で彼女たちを呼ぶ。




「おーい、リュノー! ウェントくーん! ニクスくーん!」




 ウェントとニクスの名前が呼ばれることなどめったにないはずだ。


 その不自然な行動に、怪訝そうな目でセレスを睨む二人。


 また、リュノも“あんなこと”があった直後に、こんな陽気さで声をかけられ困惑している様子だった。


 続けてミティスも動く。




「おかえり、リュノ。あら、ウェントくんとニクスくんの顔こわーい」


「何を企んでいる?」


「話しかけただけでひどい言われようね。そんなだから友達が少ないのよ」


「貴様――っ!」


「やめておけ、『審判ジャッジメント』」


「しかしだなっ!」


「ウェントくんは冷静ね」


「『運命の輪ホイールオブフォーチュン』と呼べ」


「ごめーん、長すぎるから覚えられないんだよねー」




 わざわざウェントの前にやってきて、手を合わせてぺろっと舌を出すセレス。




「どうしても呼んでほしいなら略すしかないかな、ホイチュンでいい?」


「く……それならウェントで構わん」


「あ、そう? よかったー。ミティス、許可もらったよ」


「グッジョブ」


「いえーい!」




 ぐっと親指を立て合うミティスとセレス。


 疑うニクスだが、二人を見ていると、ただアホなだけに思えてきた。


 馬鹿らしくなって、「ふん」と鼻を鳴らすと一人で去っていく。


 ウェントも彼を追おうとしたが、その腕をぐっとミティスが掴む。




「まあ待ちなさいよウェントくん。たまには私たちと話してみない?」


「人間との会話はノイズだ」


「無駄って言わない優しさが心にしみるわ、ありがとう」




 かなり強引に引き込むミティスに、ウェントは顔をしかめる。


 結局、四人はならんで寮まで戻ることになった。




「二人とも……何で……」




 なおも戸惑うリュノに、セレスは腕を絡めた。




「浮かない顔しちゃってー。リュノには似合わないぞー? うりうりー」




 そう言って彼女は指で頬を突付く。


 ――空元気だ。


 リュノにもそれはわかった。


 だが昨日までは、そんな気力すらなかったはずである。


 実際、セレス自身、かなり無理をしていた。


 今はただ、『ひょっとしたら戻るかもしれない』という希望に寄りかかって、無理やり体を動かしているだけに過ぎない。


 一方で、ミティスはウェントとぎこちない会話を繰り広げていた。




「いやあ、今日はいい天気ねウェントくん」


「そうだな」


「世界創造の調子はどうなの? ウェントくんはどれぐらいで完全な神様になれそうなのかしら」


「わからん。進みは他の連中より早いつもりだ」




 ウェントは脇腹に触れた。


 制服越しにも、そこにゴツゴツとした硬い何かがあるのがわかった。




「ああ、ウェントくんのそこが変わってるんだ。全身が変わったらどんな姿になるんだろうね」


「それをお前たちに見せる機会は無いだろうな」


「寂しいわね、予備要員とはいえそれぐらいの権利はあってよさそうだけど。ねえウェントくん、そうは思わない?」


「予定外の事態が起きない限り、普通の生徒と変わらないだろう」


「じゃあウェントくんは、たとえばどんなことが起きたら、私たちが神様候補にのし上がれると思う?」




 ウェントは無表情に、ミティスは愛想笑いを浮かべて、楽しくもない会話を続ける。


 寮に到着するまでそれは続いた。


 別室で暮らすことを選んだリュノも、入り口で別れる。


 ミティスは別れ際に彼女を半ば強引に抱きしめると、「また明日ね」と囁いた。


 リュノはうつむいたまま、何も返事をしなかった。




 ◇◇◇




 翌日からも、ミティスたちの作戦は続く。


 隙あらば、放課後のみならず、休み時間にも揺り籠に足を運ぶ。


 もちろん、リュノやウェントと会えるかどうかは運次第だが、二人が居なくても、ニクスやマニ、ヘルメスがいた場合はこれでもかというほどに声をかけた。


 そのおかげだろうか。


 一週間経っても、リュノやウェントの様子は変わらない。


 ミティスはその間、アウラと何度か途中経過の報告をしあった。


 彼女もウェントに繰り返し連絡を取っていたらしく、状況が改善することはなかったが、悪化することもないという。




『なんか、綱引きしてる気分ですね』




 電話越しにアウラは言った。


 寮のとある部屋に設置された電話――その古めかしい受話器を耳に当てながら、ミティスは聞き返す。




「それ、どういう例え?」


『神様とお兄ちゃんを奪い合ってるんですよ。今は、ミティスさんたちのおかげもあって、力が拮抗してるんだと思います』


「そういうこと……でも拮抗じゃ駄目なのよねぇ。もうひと押しってところかしら」


『あの、それで相談なんですけど』


「何?」


『実はそろそろ、お兄ちゃんの誕生日なんすよ。どうにかして私、直接、プレゼント渡したいなと思ってて』


「あー……いいんじゃない? もしかして、あいつ帰らないの?」


『去年は帰ってきてくれたんですけど。誕生日は、家族みんなで祝うって決めてたのに……』


「わかった、協力するわ。ウェントを呼び出せばいいんでしょう?」


『ありがとうございます!』




 呼び出す――とは言ったものの、別にミティスとウェントは親しいわけではない。


 約束の日、約束の時間に、どうやって連れ出したものか。


 ミティスは壁にもたれ、天井を見上げ考え込んだ。




 ◇◇◇




 それから数日後、ウェントの誕生日がやってきた。


 ミティスとて、さすがに彼を学園の外に呼び出すのは難しい。


 だから校舎裏に来てほしい、という手紙を渡した。


 ……マニ名義で。


 無論、本人の許可は取っている。


 最初に話したときから何度かコミュニケーションを取ったおかげで、いくらかマニも協力的になってくれたようだ。


 同じ神候補からの誘いとあれば、ウェントも無下には出来ないというわけである。




「あ、来たっ」


「ここまでは計画通りね」




 近くに隠れて様子を伺うミティスとセレス。


 二人の背後には、不安げにぎゅっとプレゼントを抱きしめるアウラの姿があった。




「あとはアウラちゃん次第よ」


「頑張れーっ」


「うっす、行ってきます!」




 ぐっと両手を握り気合を入れると、アウラが飛び出す。


 彼女は駆け足でウェントに近づくと、顔を真っ赤にして言った。




「お前は――」


「ウェントお兄ちゃん、久しぶり」




 その様子を覗くミティスとセレスは、それを見て思わずつぶやく。




「アウラちゃん、あんな声出すのね」


「ハイパーシスコンじゃったか……」




 二人の想像の100倍は、アウラはウェントに懐いていたのだ。


 そりゃあ制服をオークションで落札してでも侵入するはずである。




「なぜここにいる。まだ学園に入れる年齢じゃないだろう」


「お兄ちゃんが帰ってこないからだよ」


「忙しいんだ」


「誕生日なのに?」


「神となった俺には不要なものだ」


「私には必要なの! ほんとデリカシー無いんだからさ……はいこれっ」




 ウェントは押し付けられたピンクの袋を見て言った。




「何だこれは」


「誕生日プレゼント! 毎年渡してたじゃない」


「不要だと言ったはずだが」


「もらうだけで嬉しいって言ってたお兄ちゃんはどこに行ったの?」


「死んだ」


「っ……」




 あまりに冷たい言葉に、アウラの体がびくっと震える。


 ミティスは思わず前に飛び出そうとするが、セレスがそれを止めた。




「……ううん、違う。ウェントお兄ちゃんは、まだここにいるもん」




 震える声で言葉を絞り出すアウラ。


 だがそんな彼女に、ウェントはプレゼントを突き返す。




「侵入してきた他人から物を受け取るわけにはいかん、持ち帰れ」


「嫌だ」


「『皇帝』の名を騙って俺を呼び出したんだ、このことが学園に知れればただではすまんぞ」


「嫌だっ!」


「聞き分けのない――」


「それはお兄ちゃんのほうだよバカっ!」




 涙目の妹に睨みつけられ、ウェントはわずかにたじろいだ。




「よし、いいわよその調子!」


「押せ! 押せーっ!」




 小声で応援するミティスとセレス。


 二人の視線の先で、アウラは再びぐいっとプレゼントを押し付ける。




「妹からの誕生日プレゼントなら何だって嬉しいんでしょ。なら、受け取ってよ。お願いだから……」


「……」


「あと、私の名前、一回ぐらいは呼んでほしい」




 ウェントは気まずそうに視線をそらし、しばし考え込む。


 そして大きくため息をつくと、ぼそりと一言。




「……アウラ、ありがとう」




 そう告げた。


 アウラの涙腺が決壊する。


 ぼろぼろと涙が頬を伝い、しかしそれでも彼女は笑顔を浮かべ、大切な言葉を彼に伝えた。




「ハッピーバースデー、ウェントお兄ちゃんっ」




 ミティスたちからは、ウェントの表情が少しだけほころんだように見えた。




 ◇◇◇




 事を終えると、アウラはミティスとセレスの元に戻ってくる。




「……ぐすっ」


「ほら、拭きなさい」


「ありがどうございまずっ」




 ミティスから渡されたハンカチで涙を拭くアウラ。




「本当に……ありがとう……ございますぅっ……お二人のおかげで、お兄ちゃん、少しだけ前に戻ってくれて……っ」


「私からもそう見えたわ。ねえ、セレス」


「うん、あたしたちもリュノのこと諦められないなって思った」


「私……私、これからもがんばります。お兄ちゃんがどこかに行かないように、頑張ってつなぎとめてみせますっ!」


「ええ、私たちも継続的に協力するわ」


「何かあったら相談してにぇ?」


「はいっ!」




 アウラは満面の笑みを浮かべた。




 ◇◇◇




 その日の夜。


 食堂で夕食を終えたミティスとセレスは、自分たちの部屋に続く廊下を歩いていた。


 その端には自販機があり、少し喉が乾いたミティスはその前で立ち止まる。


 彼女の視界に、隣にある大きめのゴミ箱がわずかに写り込んだ。


 ――見覚えのあるピンク色が埋もれている気がする。


 ミティスの心臓が跳ねた。


 自販機のボタンを押さずに固まった彼女を見て、セレスが心配そうに覗き込む。




「ミティス、具合でも悪いの?」




 ミティスの顔は真っ青だ。


 彼女は目を閉じると、ゆっくりと深呼吸する。


 そして気持ちを落ち着けて、あらためてゴミ箱に視線を移した。


 セレスも釣られて中を見る。




「あ……」




 弱々しい声が漏れた。


 彼女の足から力が抜け、膝から崩れ落ちる。


 一方でミティスは強く歯を食いしばると、ゴミ箱に手を突っ込んで、その袋を取り出した。




「こんなの……あぁ、もう、こんなことって……くっそぉぉおおおおおおっ!」




 ガンッ、と自販機に額を叩きつける。


 何度も、何度も、腫れ上がるほど強く。




「うううぅぅぅ……っ!」




 そして嗚咽を漏らした。


 袋の中には二つの箱が入っていた。


 踏み潰されたように、その箱は歪んでいて――一つはハンカチが入っていたのでまだマシだったが、もう一つにはアウラの手作りの洋菓子が入っていたから――




「やっぱり、無理だったんだよ。何をしたって無駄だったんだ。あたしたちは、リュノのこと諦めて、二人で……」


「セレス……」


「だって、だってそうじゃないと、もっと傷つくだけだよぉ! 期待すれば期待するだけ裏切られるだけだよぉお!」




 ミティスは何も言えなかった。


 なんとかして話題を変えようと、言葉を絞り出す。




「セレス、アウラが作ったお菓子、部屋で食べよう」


「え……?」


「何も知らなければ、少なくともあの子は傷つかない。私たちにできることは、それぐらいだから」




 無意味な自己満足だとわかっていた。


 しかし、このままアウラの心が籠もったプレゼントを捨てることだけは、受け入れられなかったのだ。




「そう、だね……きっと、すごいおいしいよ。愛情、いっぱい詰まってるから」




 セレスはそう言って、引きつったような笑顔を浮かべた。




 ◇◇◇




 数日後の放課後。


 いつものように下校するミティスは、自分の下駄箱に封筒が入っているのに気づいた。


 隣にいたセレスもそれを覗き込む。




「ラブレター?」


「だったら面倒ね、心に決めた人がいるのに」


「やだぁ~、恥ずかし~い」




 彼女は体をくねらせる。


 ミティスはそれを見て噴き出すように笑う。


 だが二人の声には、どこか覇気がなかった。


 ほんの少しだけ場の空気が温まったところで、ミティスは中身を取り出す。


 出てきたのは写真だった。




「なにそれ。風景写真?」




 最初、何が写っているのかはわからなかった。


 だが理解すると、ミティスの心から温度が消えた。




「……ゴミ箱」




 そう、それは――アウラのプレゼントが捨てられた、あのゴミ箱だったのだ。


 つまり、ミティスたちがあの場所を訪れる前に、何者かが撮影したもの。




「な、何で? これ、どういう意味があるの……?」




 混乱するセレス。


 彼女は優しいからそう思うのだ。


 ミティスは――自分が悪意の中で生きてきたから、それが何を意味するのかわかってしまった。




「……どんだけ腐ってんのよ。何が神様よッ!」


「あっ、ミティス!?」




 彼女は勢いよく立ち上がると、セレスを置いて教室を飛び出した。


 途中で何やら気味の悪い笑みを浮かべるニクスとすれ違ったようだが、今は相手をしている暇はなかった。


 そして息を切らしながら寮まで全力疾走し、電話の前にやってくる。


 かける先は――アウラの家だ。




「はぁ……はぁ……出て、出て、お願い。お願い――」




 祈るようにそうつぶやくと、向こうから声がした。




「……もしもし?」




 力のない女性の声だった。




「私、ミティスっていいます。アウラさんの友達で――その、あの子はいますかっ!?」


『アウラの……? アウラの……ああぁ、あの子は……あの子、なら……』




 きっと、女性はアウラの母親だったのだろう。


 彼女は今にも消えそうなか細い声を震わせて、ミティスに告げた。




『今、警察から連絡があって……飛び降りた、って……う、ううぅ……うあぁぁああああああっ……!』




 ミティスの手から受話器が滑り落ちる。


 そこから、女性が悲痛にも泣き叫ぶ声が鳴り続けた。




 ◇◇◇




「ウェントぉぉおおおおおおおッ!」




 それからほどなくして――揺り籠から出てきたウェントに、ミティスは憤怒の表情で掴みかかった。




「あんた、あんた何てことしてんのよ! 妹でしょ!? 大事な人なんでしょうっ!?」


「何の話だ?」


「プレゼントを捨てたのはあんたでしょうが!」


「ああ、必要なかったからな」




 ウェントは悪びれずにそう言った。




「我はもう、人と同じ食事を必要とする体ではない」


「そういうこと言ってんじゃないのよ。わかってんでしょうが。わからないわけないでしょうがぁッ!」


「何を憤っている。我は当然のことをしたまでだ」




 そこで、ミティスを追っていたセレスが到着した。


 同時に揺り籠からリュノも出てくる。




「ミティス、何をしているんですか?」


「はぁ、はぁ……ミティス、何があったの!?」


「こいつが捨てたから……アウラのプレゼントを捨てて、わざわざ写真まで撮って送ったからっ! あの子、あの子は――飛び降りたのよ。自殺したのッ!」


「な――」




 その場で驚いたのは、セレスだけであった。


 ウェントはただ一言――




「そうか」




 とだけ告げた。




「それだけ?」


「ああ」


「妹なのに?」


「妹ではない。何より我は、ウェントなどという名前ではない」


「何を――何を神ぶってんのよ。あんたはぁっ、人の好意を踏みにじったクズでしょうが!」


「押し付けただけだろう。人間の勝手な理屈だな」


「何を言ってんのよあんたはぁぁぁあッ!」




 ミティスの怒りは頂点に達し、ついに拳を振り上げた。


 すると、何者かが背後からその手を掴む。




「あがっ、い――ッ!?」




 そして拳を握りつぶすと、さらに力任せに引っ張り、肘を逆向きに曲げた。




「ぎゃ、あ、う、ああぁぁぁああああああっ!」




 ミティスは地面に倒れ、叫び声をあげる。


 目を見開き、額にびっしりと汗を浮かべ、破壊された右腕から湧き上がる激痛に悶える。




「あ……いやあぁっ、ミティスうぅぅっ!」




 すぐさま駆け寄ろうとするセレス。


 しかしそんな彼女を、立ちはだかったニクスが片手で軽く振り払った。




「あうぅっ……」




 吹き飛ばされ、尻餅をつくセレス。


 彼女はニクスをにらみつける。




「どいてよ。邪魔しないで!」


「この女は神に手を上げた大罪人だ。だから僕は『審判ジャッジメント』として裁きを下した」


「そんなのはどうでもいいから! ミティスを助けないといけないの!」


「それは許されない」


「あなたが決めることじゃないっ!」


「いいや僕が決めることだ。なぜなら僕は、人の上に立つ存在――神なのだから。それに……ほら」




 ニクスは顎でセレスの背後を指し示した。


 そこには、大勢でこちらに駆け寄ってくる教師の姿があった。




「僕が彼らに教えたんだ、神に逆らう不届き者がいるとね。神罰は僕だけで十分だ、しかし人の罪は人によっても裁かれなければならない。ここで君が僕に逆らうなら、二人とも罰を受けることに――」




 パチン、と乾いた音が響く。


 顔を涙で濡らしたセレスは、ニクスの頬を叩いたのだ。




「そんなものが正義だって言うんなら、好きなだけあたしたちを殺せばいい」




 強い眼差しでそう言い切るセレス。


 ニクスはにたぁっと笑うと、眼鏡の位置を直した。




「ああ先生方、ちょうどいいところに来てくださいました」


「どうなさいましたか、『審判』様」




 かなりのベテラン教師が、下僕のように彼の前にかしずいた。




「この二人を処分してほしいんだ。彼女たちは世界創造にとって非常に邪魔だからね」


「いつか問題を起こすだろうとは思っていましたが。まさか、予備人員としての役割もまともに果たせない出来損ないだったとは。ほら立て!」


「ううぅ……う、ぐ……」


「苦しむフリをするな、立てと言っているんだ!」




 ミティスの腕を掴み、強引に立たせる。


 彼女はその痛みに、さらに顔を歪めた。


 すると、リュノが声を荒らげる。




「やめてくださいっ!」


「……『死神デス』、何を言っているんだい?」


「二人は……二人は、何もしていません。ですから、処分は不要です」


「ははっ、あはははっ! いくら何でもそれは通らないよ、ねえ『運命の輪ホイールオブフォーチュン』?」


「ああ、そのミティスという女が我に殴りかかってきたのは事実だ」


「それは……殴られるだけの理由があったからではないですか!」


「『死神』ッ!」




 激昂するニクス。


 彼はリュノに限界まで顔を近づけ言った。




「人が神を殴っていい理由などこの世には存在しないんだよ。自覚、ちょっと足りないんじゃなぁい?」


「あなたこそ……その悪意は、神にふさわしいものではありません」


「何だと?」


「神は悪意で人の命を弄ぶものではないでしょう」


「『死神』……お前ぇ……」




 ニクスの腕が、制服の下でボコボコと膨らんだ。


 完全に人の形を失ったそれは、殺意を具現化した、鋭く尖った形へと変わっていく。




「やめろ」




 そこにウェントが制止に入った。


 彼は顔に表情すら出さずに、淡々と教師たちに告げる。




「ミティスに軽めの処分を望む。苦痛は不要だ、血で揺り籠を汚すようなことはするな。セレスには必要ない」


「甘すぎるぞ『運命の輪』!」


「神の立場を示すには、それで十分だろう。頼んだぞ、使徒たちよ」


「は、はっ。承知いたしました!」




 使徒と呼ばれ浮かれる教師たち。


 彼らは心から嬉しそうに、神からの命令を遂行した。


 抱えられ、ミティスはどこかへと連れて行かれる。


 セレスは叫び、ミティスを追いかけようとするが、他の教師に羽交い締めにされている。


 ニクスは不機嫌そうに、ウェントは無表情に、そしてリュノは悲しげにうつむきながら、その場から離れていった。



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