108 知ることは罪なのか

 



 翌日、職員から記憶装置の解析結果が渡されたのは、昼前のことだった。


 社長令嬢直々の頼みということで、徹夜で作業してくれたらしい。


 とはいえ、渡されたのは他社製の記憶装置。


 一朝一夕で全てのデータをサルベージできるはずもなく、印刷された資料はその一部だという。


 また、カラリアが持ち帰った武装――ケイロンに関しても調べてもらった。


 発信機などの怪しい装置は取り付けられておらず、研究者たちが驚くほどに高い技術を使って作られた、燃費の悪さを度外視した馬鹿げた兵器――それが彼らの出した答えだった。


 おそらくこの世でカラリアしか扱えないような代物だろう。


 つまり、ケイロンに関しては問題なし。


 記憶装置の方に集中できるということだ。


 メアリーたちは事務室の一画を借り、デスクに置かれた分厚い紙の束を、取り囲んで見つめた。




「一晩でこの量か。本当に優秀な社員が多いんだな」


「えっへん、ですわ」


「そういうの似合わないぞ」


「わかってるわよ、それぐらい!」


「どうしよう……私、全部読めない」


「アミは休んでてください。私たちで見ますから」




 しっかり一晩休息をとったおかげか、彼女たちの顔色は良好だ。


 もっとも、その資料を見てもまだ今の気分を維持できるかは疑問だが。


 三人で手分けして、その内容を一枚ずつ読んでいく。


 まず目についたのは、ワールド・デストラクションの顛末てんまつに関するレポートだ。


 そこに書かれていたのは、おおむねユーリィが語っていた内容とほぼ同じもの。


 それが意味することは――




「少なくとも、あの場所で私たちが聞かされた話は、嘘ではなかったんですね」


「ああ……あの女が私の母親だという話も、間違いなく事実らしい」


「では、私の両親も……」




 信じたくなかった真実が、確定してしまうということ。


 もはや目を背けることはできない。


 カラリアにはユーリィの血が流れているし、メアリーの母親はブレアではなくフランシスだ。


 そしてブレアはそんなメアリーを憎み、心を壊し、そしてフランシスに殺された。


 一時的に二人の手が止まる。


 アミは彼女たちを心配そうに見つめ、キューシーは声をかけた。




「辛いならわたくしがやるわよ」


「……いえ、大丈夫です」


「本当に?」


「えっと……大丈夫という言い方は違うかもしれませんが、たぶん、慣れたんだと思います。あれだけ憎まれているんです、何か……ろくでもない事情があるんだろうな、と覚悟はしていましたから。それにユーリィの前で一度ショックは受けてますし」


「……そう、ならいいんだけど。カラリアはどうなの?」


「実感が湧かない、というのが正直なところだな。少し自分の血が気持ち悪くはなったが、それでもユスティアが私の母親であることに変わりはない。変わったことと言えば、殺したい相手が一人増えただけだ」


「ふーん、みんなタフよねぇ。わたくしなら耐えきれずに泣きわめいてるわ」




 苦笑するキューシー。


 メアリーとカラリアも釣られるように笑い、そして作業を再開した。


 キューシーはたまに、デスクの上に置いた端末を見て、時間を確かめている。


 そして気になる資料があると、そのたびに読み上げた。




「なあこの文書――どうやらホムンクルスが売られた先のリストらしいぞ」


「……ディジーの名前もありますね」


「男の子もいるけど、女の子はカームって子だけみたい」


「ではそのカームが『皇帝エンペラー』の元所持者ですね」


「この備考欄……文章の癖からしてユーリィが書いたものか」


「売った先の貴族に関する情報を彼女が書いてるんですね」


「文書の作成日は十六年前だぞ」


「え? じゃ、じゃあホムンクルスたちを貴族に売ったのって!」


「ユーリィ自身ってことになりますわね」




 本人は『忙しかった』『仕方のないこと』と言っていたが、とんでもない。


 ユーリィこそが、ホムンクルスを貴族に売り払った張本人だったのだ。




「わかってはいたが、とんだクソ女じゃないか!」




 カラリアは思わず拳でデスクを叩く。




「何だったんだあの場所での会話は! 何を伝えたかったんだ!?」


「ねえ、わたくしの方に、ホムンクルスたちのパーソナルデータが書かれているのだけれど――この書き方、やたら刺々しいのよね」




 そう言って、キューシーはディジーの情報が書かれた書類を手渡す。


 当時、彼女はまだ二歳の子供だ。


 ようやく意味のある言葉を喋りだす年頃――そんな幼児に対して、『生意気』だの『目が気に食わない』だの、書く必要のないことまで記してある。




「憎悪がにじみ出ていますね」


「出ているのは性格の悪さだろう」


「確かにそれもあるけど、どうもユスティアがいなくなってから、忙殺されてたのは事実みたいなのよ」


「……それは」


「別に彼女を擁護するつもりはないわ、だって完全にイカれてるもの。ただ、当時十二歳だったユーリィが、唯一の肉親と離れ離れになった上に、プロジェクトのリーダーを務めたっていうのは……精神的に限界を迎える理由にはなってる気がするのよね」


「そう、だな……あの女も、生まれつき救いようのないクズだったわけではないのだろう」




 複製されたユスティアだらけの部屋を思い出しながら、カラリアは言った。


 あれはまともな精神状態で作れるものではない。


 敵に同情するだけ無駄だと理解していても、しかし理由を知らねば行動を読むのも難しい。


 ユスティアが死んだ今、ユーリィを突き動かしているのは――姉のいない世界を否定するという、矛盾した破滅願望なのだろうか。




「彼女の日記でも残っていればわかるのですが」


「そんなの読んだら余計にわからなくなるわよ」


「ホムンクルスたちもがっかりしただろうな」


「どういうことよ」


「すでに壊れてるんじゃ、それ以上は壊しようがない。自分たちを売り飛ばしたユーリィではなく、メアリーやユスティアに憎しみを向けるのはおかしいと思っていたんだ」


「ドゥーガンはすでに『世界』に操られ、ユーリィはとっくに狂い、お父様だって……復讐の矛先を向ける相手がもう残っていなかったんですね」


「あの女のことだ、ユスティアの血を引いたアルファタイプに殺されたら、それはそれで喜ぶだろうからな」


「その理屈だと、ぶっ壊れた人間って無敵じゃない。厄介極まりないわ」


「だから、やっかいきわまりないんだと思うなー」




 アミがオウム返しのようにそう言うと、キューシーは少し黙ってから、大きくため息をついた。




「はぁ……そう、その通りなのよねぇ。ほんと厄介だわ。復讐相手が消えたんなら諦めるわけにはいかないのかしら」


「行き場のなくした感情を飲み込めるほどの余裕が無かったんでしょう。誰も彼も」


「私もメアリーに出会っていなければ、どうなっていたかわからんからな。あながち他人事とも思えん」


「その道のプロに言われるとわたくしには何も言えないわね……お、今度はアルカナ使いのプロフィールだわ。オックス、フィリアス、アンデレ、エラスティス、クルス――」


「ホムンクルスは無いんだな」


「それ以外だけがまとめてあるみたいね。あと、この女は――『女教皇ハイプリーステス』のアルカナ使いらしいわよ」




 キューシーが差し出した紙を、アミもが立ち上がって覗き込む。




「女の人の写真だ」


「『女教皇』は所在不明のアルカナの一つだったな。ここに名を連ねているということは、すでに王国内にいるのか?」


「ヨハンナ・アングリス、四十二歳。出身地は不明。世界中に信者を持つカルト教団グリムの幹部……聞いたことある名前ですね。確か、近いうちに世界は滅びるから神に生贄を捧げろ、なんて思想で拉致事件まで起こしている危険な団体だったはずです」


「各国で危険思想を広めてるってことでマークされてたはずよ」


「何でそんなことするんだろ。世界には変な人がいっぱいいるんだね」


「大量にアルカナ使いを所持している割には、王都の護衛が薄いとは思っていたが……この女が守りの要か」




 そこヨハンナのプロフィールの他、しっかりと『女教皇』の持つ能力も記されていた。




「二本の柱が指定した地域を“聖域”として隔離する。外部からの干渉ができなくなる、って書いてありますね」


「どうやったら倒せるかとか書いてないの?」


「……書いてないです」


「簡単すぎるよ、この書き方じゃ」


「能力がわかっても、倒す方法がわかんないんじゃねえ……二本の柱かぁ、それをぶっ壊せばいいのかしら」


「ディジーの使う無限回廊の逆と考えれば、必ずどこかに致命的な弱点はあるはずだ。戦う前に、むやみに王城に突っ込んでも無駄だとわかっただけ有益だろう」


「この能力で守った時点で、お父様もお母様も城からは逃げられなくなりますからね」


「そうめ、攻めるのには向いてなさそうだわ」


「今のうちにフィリアスさんに伝えておきます、王都に潜伏してる可能性もある、と」




 メアリーは立ち上がり、部屋の隅でフィリアスに連絡を取る。


 もし国王暗殺決行日の前にヨハンナを拘束することができれば、戦いはかなり有利になる。


 メアリーはフィリアスに、ヨハンナの能力のみならず、身体的特徴から経歴まで全てを詳しく話した。


 その間に、キューシーたちは文書のページをめくっていく。




「ふぅ……今度は文字ベースの通信記録か。ここが一番量が多いな」


「他の機密性の高い文書と違って、こっちは日常的に使ってたみたいね。部下や上司との連絡、軍とのやり取り――あとクライヴとの会話もあるわよ」


「ユーリィと知り合いって言ってたけど、あの人は怪しくないのかな?」


「この記録を見た限りだと、本当に武器の催促や資金援助のお願いとか、そういう話ばっかりみたいね。たまにユーリィ側も渋ってるあたり、そこまで仲は良好ってわけでもないみたい」


「ビジネスライクな関係というところだな。この程度の繋がりなら、ユーリィの本性を知らなくても仕方がないというところだろう」


「それでひどい目に合った私たちの身にもなってほしいよねー」




 クライヴはおそらく、ピューパと戦闘したメアリーたちに嫌味の一つか二つぐらいは言ってくるだろう。


 だがもとを正せば、彼がユーリィと引き合わせたのだ。


 まあ、あの出来事が無ければ、四人は情報を得るために、施設に潜入する羽目になっていたのかもしれないが――




「ふぅ……連絡終わりました」


「フィリアスさんは何て言ってたの?」


「もちろん調べてみる、と。ですが軍や近衛騎士を動かすのは難しいので、クライヴさんに頼むそうです」


「人海戦術ならそっちのほうが得意よね。でも昨日の今日で頼めるのかしら」


「できれば話したくないって愚痴られちゃいましたけど」




 さすがのフィリアスもパンク寸前、というところだろうか。


 メアリーは再び椅子に腰掛け、文書に手をのばす。


 そしてユーリィと通信した相手の名前を見て、固まった。




「ふー……こっちはハズレね。カラリアはどう?」


「この束も大した情報無しだ。メアリーのほうは誰との記録だ?」


「……そんな」


「メアリー?」




 カラリアが首を傾げると、メアリーは急に慌てた様子で動き出す。


 次々と文書をめくり、その差出人の名前を見るたびに、どんどん顔が青ざめていく。




「メアリー、一人で焦ってないで教えなさいよ。それ、ユーリィと誰のやり取りなの?」


「そ、それは……」




 キューシーの顔を見たメアリーの瞳が揺れている。


 言いたくない――そんな意思を感じたキューシーは、半ば強引にその手から紙を奪い取った。


 そして書かれた文字を見て、




「……嘘よ」




 声を震わす。




「そんなの嘘よおぉっ!」




 取り乱し、書類を机に投げつける。


 カラリアがそれに手を伸ばすと、今度は声に出して読み上げた。




「差出人、ノーテッド・マジョラーム。中身は……私たちの次の目的地を伝えるものか」


「じゃ、じゃあ……私たちの行き先がバレてたのって……あのおじさんが教えてたからなの?」


「つまり、ノーテッドさんはすでに――」




 ノーテッドがユーリィに情報を漏らしていた。


 その事実が意味することは、ただ一つ。




「何でよ……どうして、お父様まで『世界ワールド』に操られなくちゃならないのよぉおおっ!」




 キューシーは取り乱し、感情のままにデスクの上に置かれた書類を薙ぎ払った。


 舞い上がった白い紙が、部屋中に散らばる。


 その中で、彼女は目に涙を浮かべながら、肩を上下させ、震えた呼吸を繰り返す。


 半開きの口で、「嘘よ」「嘘」「こんなの嘘」と繰り返しながら。


 室内に静寂が満ちる。


 誰も動けなかった。


 信じていたものが崩れ落ちる痛みを誰もが知っているから、だからこそ、何も言えない。


 その沈黙を打ち破ったのは、誰の声でもなく――


 プルルル、と音を鳴らす、机の上に置かれた携帯端末だった。


 キューシーのものだ。


 画面には、相手の名前が表示されている。


 ――ノーテッド・マジョラームと。



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