100 倫理なき地

 



「仮面を被った少女だと!?」




 カラリアは思わず立ち上がり、声を荒らげた。


 その反応もやむなしだ。


 おそらくそれは、ディジーのことなのだから。




「え、ええ、そうよ。知ってるの?」




 想像以上のリアクションに驚き、軽く引きながらフィリアスは言った。




「『魔術師マジシャン』のアルカナ使い、ディジーだ。『世界ワールド』の手先で、私たちは何度か交戦している。だが二人と言ったな。どちらも仮面を被っていたのか?」


「そういう話だったわ。まあ落ち着きなさぁい、まだまだ続きはあるんだから」




 なだめられ、カラリアは再び椅子に腰掛ける。


 フィリアスはどうやら、その話を『情報と呼べるかも曖昧な噂話』と思っていたらしい。


 しかし先ほどの反応から、実はアルカナ使いにまつわる重要な話題だと知り、さらに饒舌じょうぜつになる。




「その仮面の少女が二人、秘密裏に王城に入っていったって使用人が言ってたんだけど……出ていったの、一人だけだったそうなのよ」


「身長は? 体型はどうだ?」


「さすがにそこまではわからないわ。ただ、その後の顛末を聞くに、出ていった方がそのディジーって子だったんじゃないかしらぁ」


「何が起きたんだ」


「中で何があったかは、誰も知らない。けど調理場のゴミに混ざって、異様な姿をした頭部らしきものを見たって子がいたわ。城で働いてる子なんだけど、そのときは怖くて、見て見ぬ振りをしてそのまま放置したって言ってたのよねぇ」


「つまり、ディジーはキャサリン王妃の導きで誰かと一緒に王城に入り……その片割れを殺して、外に出たのか……?」


「フィリアスさん、死体の異様な姿というのは、どういう形だったかわかりますか?」


「顔に“目”がたくさんあったらしいわ」


「目……ディジーと同じ……!」




 メアリーの中で、点と点が、薄っすらと線で繋がる。


 ディジーと一緒に落ちた地下遺跡。


 あの場所で彼女が語った、わずかな手がかり。




『持っていないよ、今はもう』


『望まれなかった命が、誰かに望まれたとき――それは“歪み”になるんだよ。その優しい誰かは、いつかあたしたち生み出した歪みに飲み込まれて、死んでしまう』




 まるで自分がそれを経験してきたかのような語り口調。


 二人いた“多眼の少女”。


 死んだ片割れ。


 悲劇を誰かに伝えたいくせに、なぜか隠そうとして発される意味深な言葉と涙――




「おそらく、その死んだ少女は『皇帝エンペラー』のアルカナ使いです」


「お姉ちゃん、確かにディジーと一緒にいたらアルカナ使いかもしれないけど……なんでそれが『皇帝』なの?」


「遺跡でディジーは、『皇帝』のアルカナ使いを失ったことを仄めかしていました。顔にたくさんの眼……同じ仮面……死んだ少女は、ディジーと同じ貴族に引き取られた、ベータタイプのホムンクルスでしょう」


「どういう経緯でそんな眼だらけの顔にされたのよ」




 フィリアスがそう聞くと、メアリーは暗い表情で答える。




「ベータタイプはお姉様の顔とそっくりなんです。フランシス王女の眼球――それだけで“愛好家”の間では価値があるそうですよ」


「摘出するために増やしたっていうの? うえぇ……気持ち悪い貴族もいたものねぇ」


「二人は『世界』に救出されたあと、それぞれ『魔術師』と『皇帝』のアルカナを得て、行動を共にしていたと考えられます」


「だとしてもだ、何のためにその少女は死んだんだ? わざわざ王城に出向いてまで!」


「……アルカナの継承じゃないかしら?」




 キューシーが指摘した。


 わざわざ、誰かの近くに連れてきてまでアルカナ使いを殺す理由は、それぐらいしか考えられなかった。




「もしヘンリー国王が『世界』を持っているのなら、その場で『皇帝』のアルカナ使いを殺すことで、近くにいる魔術師にそのアルカナは継承されるはずよ」


「ってことは、キャサリン王妃? だっけ。その人にアルカナをあげるために、『皇帝』の女の子は殺されちゃったってこと?」


「さっきから知らない情報ばっかり出てきて、お姉さん困ってるんですけど? 要するに、陛下だけでなく、キャサリン王妃もアルカナ使いになったってことなの?」


「その可能性はあります。キャサリンお母様は魔術師ではありませんが、ピューパで手術を受ければ、魔力容量は確保できますから」


「チッ……だからといって私は、ディジーを悲劇のヒロインとして扱うつもりはないからな」


「もちろんです、カラリアさん。彼女の諦めに巻き込まれて、数え切れないほどの、罪のない人間が死んだのですから」




 許すとか、許されないという話ではない。


 ディジーとはもはや殺し合う以外の方法で、決着をつけることはできないだろう。


 ただ、その行動原理に納得できるか、という話だ。


 ディジーは、ピューパの研究所から売られたあと、貴族に飼われ、地獄のような日々を過ごしていた。


 そこで何年もの月日を共に生きてきたのが『皇帝』のアルカナ使いだった。


 それを、『世界』の命令とはいえ、キャサリン王妃にアルカナを与えるために死なせなければならなかった。


 遺跡での口ぶりからして、望んだわけではないだろう。


 抗おうとは思わなかったのか。


 戦おうとは思わなかったのか。


 メアリーたちにそれを知るすべはないが――すべてを諦め、他者に不幸を押し付ける――そんな人間に成り果てるだけの理由は、そこにあるらしい。




「ふーん。陛下以外に、王妃まで相手にするって話になったら、さすがのエドワード王子も戸惑うでしょうねえ……」


「土壇場で王位継承を拒んだりしたら困ります」


「そのときは、メアリー王女に継いでもらうしかないわね」


「父殺しが統治する国に未来があるとは思えませんが」


「親殺しだって、捉え方によっては悲劇を乗り越えた英雄よ? 舵取り次第だわ」


「では、その巧みな舵取りでお兄様を正しい方向へ導いてあげてください」


「あらら……一本取られたわね。ま、私も踏ん張りどころってところね。王城内での準備や根回しもあるから、忙しくなるわよぉ!」




 そう言いながらも、フィリアスはやる気に溢れている。


 いよいよ、自分が王に次ぐ権力を得る瞬間が近づいてきたのだ。


 多少忙しがろうが、疲れなど感じまい。




「それじゃ、私は裏口から出るわ。決行日まではこまめに連絡を取り合いましょう」




 フィリアスはウインクをすると、店のカウンターの向こうへと消えていった。


 残された四人も店を出る。




「いよいよ本番間近って感じね。まだお昼前だし……どうしましょうか、今日のうちにピューパに行っておく?」


「あまり日程の余裕もありませんし、昼食を摂ってから向かいましょう」


「……そうだな」


「カラリア、不安そーだね。大丈夫だよ、私たちも一緒にいるんだからっ」


「ああ……頼りにさせてもらおう」




 カラリアは微笑みながらも、まだ表情に影がある。


 彼女の育ての親が名乗るユーリィという名は、偽名の可能性が高い。


 研究所に行けば、その本当の名前が知れるかもしれない。


 カラリアを連れて逃げる前、どんな人間だったのかもわかるかもしれない。


 しかしそこにあるのは、ユーリィが殺されるほど憎まれた“原因”でもある。


 それを知るのが――とてつもなく、怖いことに思えたのだ。




 ◇◇◇




 メアリー一行は、再び車で王都を出た。


 呼び出されたピューパの研究所は、車で南東に進み、約三十分の場所にある。


 正式名称、ピューパ・アドバンズド・ラボ。


 王都にある本社のような高層ビルではなく、五階建ての、広い敷地を持つ白塗りの施設だった。


 敷地の入り口までやってくると、警備兵が車を止める。




「許可証を提示していただけますか」




 変装したキューシーは窓を開け、答える。




「WDの関係者よ。ユーリィ・テュルクワーズから話が来てないかしら」


「ああ、その件なら聞いております。どうぞお通りください」




 あっさりと道を通す兵たち。


 彼らの姿が離れていくと、アミはキューシーに尋ねた。




「だぶりゅーでぃーって何?」


「向こうが指定してきた合言葉だそうよ」


「ほえー」


「ワールド・デストラクションのことでしょう」


「あ、なるほど!」




 アミが納得する間も、車は敷地内を走り続ける。


 向こうに見える施設はまだ小さい。




「お庭が広いねー」


「庭じゃなくて実験用のスペースよ。魔導兵器の実験には広い場所が必要になることがあるわ」


「マジョラームもこんな場所があるの?」


「ええ、キャプティスから少し離れたところにね」


「ふーん……少し分けてくれれば、みんなの家がもうちょっと広くなりそうなのに」




 ようやく駐車場に到着し、四人は降車する。


 アミはメアリーと指を絡めて手をつなぎ、「ふへっ」と笑った。


 メアリーもほほえみ返す。


 そんな二人と並んで歩くキューシー。


 カラリアは少し遅れて歩いていた。


 駐車場から研究所の入り口まではほんの数十秒。


 ガラスで作られた少し重い扉を開き、中に入ると――エントランスに女性が立っていた。


 黒くぼさっとした髪に、黒縁のメガネをかけ、シワの寄った白衣を纏い、いかにも“研究者”っぽい見た目をした彼女。


 胸には小さな名札が付けられており、そこに『ユーリィ・テュルクワーズ』と書かれていた。


 かつてマジョラーム本社ビルでノーテッドに見せられた画像と、その顔は一致する。


 間違いなく、彼女がメアリーたちを呼んだ張本人なのだろう。




「カラリア……久しぶりだね! こんなに大きくなって……!」




 ユーリィは感激した様子で、カラリアに駆け寄った。


 そして手を握ると、目をうるませる。




「あ、ああ……確かに私はカラリアだが。あなたは私が知っているユーリィと関係があるのか?」


「関係なんてものじゃないよ! 私と彼女は血の繋がった実の姉妹なんだから!」




 彼女は一度、カラリアから距離取ると、胸に手を当てて、自慢するように言った。




「そしてカラリア、あなたは私と姉さんの子供なの」


「何を言っている……?」




 そこに悪意はなく、罪悪感もなく。




「何って、そんなの決まってる。カラリアは血の繋がった二人から作られた、自信作のホムンクルスってことだよ!」




 ただただ純粋に、その禁忌を“誉れ”だと確信し――ユーリィは歯を見せながら幸せそうに笑った。



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