098 私たちにできることは限られている
「――アミ。アミッ! 大丈夫ですか!?」
メアリーはアミに駆け寄ると、小さな体を強く抱きしめた。
「私、なんてことを……アミを傷つけるなんて。ああ、早くキューシーさんを呼んできて治療しないと! ごめんなさい、ごめんなさいっ!」
「お姉ちゃんが悪いんじゃないよ、『
「それでもッ!」
能力のせいとはいえ、アミを殺そうとした自分が許さなかった。
アミを抱く両腕に力を込めながら、メアリーは唇を噛んで血を流す。
自らの行いを、そうまでして悔やむその姿を見て、アミの胸はきゅうっと締め付けられた。
心地よい恋の感覚。
好きな人のぬくもりに包まれて、力が入りすぎててちょっと苦しいけど、それもまた幸せの一部だ。
「お姉ちゃん」
「どんなことをしてでも償います。望むことがあれば、何でも言ってください!」
「私、空回りしてないかなって、ちょっと不安だったの」
「何が……ですか?」
「キス、したこと。嫉妬なんだけど、自分でも暴走し過ぎかなって自覚はあって」
「そんなこと……」
「お姉ちゃんはきっと、私の命が残り少ないから、断れないんじゃないかなって……そう思っちゃったり、して」
「アミ……」
そういう感情が無いと言えば嘘になる。
だが、それだけで全てを受け入れたりはしない。
「でもね、お姉ちゃんは、アルカナの影響を受けても、私を殺さなかった。お姉ちゃんってやっぱり優しい人で……あと、それと……」
アミは頬を赤らめ、はにかむ。
「ちゃんと、私のことも好きでいてくれてるんだな、って。そう感じられて。すごく、嬉しかった」
場違いだとはわかっている。
しかし今言わなければ言えないことだと思ったし、紛れもなく本音だったから。
「今、そんな気持ち。だから、キューシーを呼びに行くのもいいけど――このまま、抱きしめててほしいな」
「傷は、痛みませんか?」
「平気。触れられてる幸せのほうが大きい」
アミは満面の笑みを浮かべると、自分もメアリーの背中に腕を回した。
呼びに行くまでもなく、おそらくキューシーも今頃、大慌てでこちらに向かっているだろう。
二人はそのまま、助けが到着するまで、ずっと抱き合ったままだった。
◇◇◇
四人が合流した後、メアリーはエラスティスの死体を捕食した。
その間、キューシーはアミを抱きしめ、傷を癒やす。
キューシーもカラリアも、しっかりと記憶は残っている。
というより、能力を受けたのはアミのほうなのだ。
人としてのアミは、“無条件で憎悪の対象となる存在”という概念に置き換えられていた。
しかも、人の上位存在たる神によって。
抗えるものではない。
忘れるはずもない。
だから、二人はメアリーに負けないぐらい、何度も何度も、カラリアに至っては地面に額を擦り付けてまでアミに謝罪した。
一方で当のアミは「いいよぉ」、「大丈夫、ちゃんとわかってるから」と笑うばかり。
確かに怖かった。
大切な人と殺し合うことほど、恐ろしくて苦しいことはない。
でも終わってみれば、全員が無事でそこにいるのだから、何も嘆くことなど無いのだ。
少なくともアミはそう思っていた。
しかし、被害者たる彼女がそう思ってしまうばかりに、メアリーたちは自分たちの償いが足りてないのではないか、という疑念を抱かせる。
あっちが立てばこっちが立たず。
四人は歩いて公園まで戻り、社員に別れを告げ、車に乗ってひとまずその場を離れたが――なおも車内には、気まずい雰囲気が流れていた。
「ねえねえみんな、そんなに落ち込まなくていいんだよ? ほら、こうして私は元気なんだからっ。ねっ?」
「……結果論で言えばな」
アルカナの力を前にすれば、人間の感情の何と軽いことか。
指先一つで人間を別人に変えることすら可能である。
アルカナは創造主なのだから、自ら生み出した命を操ることなど容易い、ということなのだろうが――
「アミにあんな傷を負わせた上に、憎しみまで抱くなんて、自己嫌悪ですわ……」
「本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。いくらアルカナのせいとはいえ、あれはアミに向けていい殺意ではありません……まるでお姉様の仇に向けるような……!」
「え、えっと……あ、そうだ。結局さ、何で『恋人』の反理現象は起きたんだろうねっ! エラスティスが誰かと通話してたのは見たんだけど」
アミは重苦しい空気に耐えきれず、強引に話題を変えた。
もっとも、それもそれで、かなり暗い話題なのだが。
メアリーが表情を曇らせる。
エラスティスを食らったメアリーは、死の直前に彼女が感じたあまりに強烈な“絶望”を、かなり鮮明に引き継いでいた。
「それは……わたくしも気になるわね。うかつ過ぎたわ、まさか彼女がまだ攻撃してくるなんて」
「……予測するのは困難です。どうやら、エラスティス自身は、本気で私たちの味方になろうとしていたようですから」
「だったら何でディジーの言葉になんて従ったんだろ?」
「恋人である姫の名前を出されてしまえば、彼女は抗えません」
「そんなこと言ってたわね、彼女。お姫様は『
「エラスティスが最後に通話した相手が、その姫だったようですよ」
「どんな内容だったんだ?」
「それは……」
言いよどむメアリー。
それは口にするのもはばかられるような、壮絶なものだった、
だが、それが反理現象を引き起こすトリガーになったのだ。
情報を共有しておく必要があるだろう。
メアリーはゆっくりと語り始めた。
「端末の向こうで、彼女は拷問を受けていました」
「拷問って……お姫様でしょ? 誰がそんなことしたっていうのよ!」
「彼女の父でした。実質、エラスティスの義理の父ということになります。他にも、家族が周囲にいたようで」
「その人たちも操られてたってこと……?」
「その場で正気なのは姫のみでした」
「……一人だけ強制的に正気に戻された挙げ句、殺されたのか」
メアリーは無言で頷く。
「ひどいよ……いくらエラスティスが私たちに捕まったからって……」
「ええ、あまりに残酷な行為です。エラスティスは命乞いと断末魔を聞かされ、その瞬間、“心の死”を迎えました。それが反理現象の引き金です」
「心の死、か……肉体だけじゃないのね」
「正確には、その壮絶な“失恋”が原因のようですが」
ディジー、あるいは『世界』はそれを知っていたのだろう。
アルカナに詳しいノーテッドですら詳しくは知らない反理現象――それをなぜ彼女たちが知っているのか。
「失恋が反理現象の発動条件だというのなら、本来は自分を振った相手を呪う能力なんだろうな」
「だから私、お姉ちゃんたちだけじゃなくて、全然無関係の人からも狙われてたんだ」
「相手を殺したいぐらいの愛――まさに恋は猛毒ね」
ハンドルを握るキューシーは、寂しげにそう言った。
メアリーは窓の外に視線を移す。
二人とも死んだのなら、あの世でまた結ばれるのだろうか――そんなことを思いながら、アミの手を握り、流れていく田舎の風景を眺めていた。
◇◇◇
車を走らせること五時間。
昼を過ぎ、アミのお腹が何度か鳴った頃、大きな城門を通り抜けた。
兵士たちは、帽子を深く被ったメアリーに特に何の反応も見せない。
「……あっさり入れたな」
「ええ、フィリアスが手回しは済んでるって言ってたから、さっきの兵士もそうなんでしょう」
「なら変装する意味あったの?」
メアリーたちは、各々が帽子やウィッグを被って姿を変えていた。
「さすがに王都にメアリーが現れたら、洒落にならないぐらいの大騒ぎだもの。この街にいる間は、きっちり変装してもらうわよ」
「はーい! でもさすがお姉ちゃん、王都でも大人気なんだね!」
「今は良くも悪くも注目を集めていますから。それにしても、この空気……まだそんなに経っていないのに、久しぶりに吸った気がします」
「おっきい街だねぇ、人も多いし」
アミは窓に張り付いて、外の景色を見つめる。
「ええ。王都オルヴィリア、相変わらずにぎやかな街です」
メアリーはしみじみとそう言った。
キャプティスよりも真新しく、車線も多い道路が、王城まで真っ直ぐに伸びている。
その両側には二階建てから三階建てぐらいの商店が複数並び、高層ビルもいくつかそびえ立っている。
キャプティスとの一番の違いは、貴族の屋敷が特定のエリアに固まっているところだろうか。
メインストリートから西に曲がった先が、その高級住宅街だ。
他の、王都で暮らす屋敷を持てない貴族や、一部平民は東のエリアで生活している。
この街の中だけでも、格差による分断が目に見えているが、しかし高い塀に囲まれたオルヴィリアで暮らしている時点で、その人物は勝ち組だ。
「さっきからお店を見てるんだけど、何でもすっごく高いんだね」
「こんな大通りに面する店だ、維持費だけで馬鹿にならないだろうからな」
「それでも売れるのよ。オルヴィリアってそういう街だわ。ねえ、メアリー」
「はい……間違いなく、この国で最も栄えている街ですから」
「うわー、あの果物なんて私の家の食費一年分だよー! どんな味がするんだろ」
「ホテルでとっくに食べてるわよ」
「あれってそんなに高いの!?」
彼女たちが、旅程を早めて王都にやってきたのには理由がある。
まずひとつ、もう隠れても意味がないと悟ったこと。
工場だろうが、ホテルだろうが、野宿だろうが、キャンプだろうが――どこにいたって、敵は現れる。
悲しいことに、どう足掻こうがメアリーたちの居場所は筒抜けらしい。
そう悟ったキューシーは、もう細かい策を弄しても無駄だと判断し、堂々と王都のホテルに泊まることにしたのだ。
下手な宿を使うよりは、セキュリティに優れたホテルのほうがいくらかはマシだし、体力も回復できる。アミだって喜ぶ。
次に、マジョラームが王都で活動するとある団体とコンタクトを取ることに成功したこと。
その名もオルヴィリア解放戦線。
どこかで聞いたような名前だが、実際、王政撤廃を目指して活動するテロ組織である。
マジョラーム側から国王暗殺の話を持ちかけ、協力を仰いだのだという。
また、この件に関して、王都までの移動中にフィリアスから連絡があり、偶然にも彼女も同じタイミングで、オルヴィリア解放戦線と連絡を取っていたらしい。
果たして本当に偶然なのかは怪しいものだが。
そこで、三者で落ち合うことにしたのだ。
日時の指定は明日の朝、王都東の酒場にて。
それに備え、前日のうちに王都入りしたのである。
というわけで、車が向かったのは例のごとく、マジョラームの息がかかったホテル。
支配人は若い男性だ。
どうやら前の支配人は、
可愛そうだが、今頃あの世で正気に戻っている頃だろう。
彼に案内され向かった部屋は、最上階のスウィートルーム。
それも隣り合わせの二部屋。
カラリアとキューシー、アミとメアリーの組み合わせで分かれる。
それはキューシーなりの気遣いであった。
「おわああぁ……この部屋、前のホテルよりもっと広いよ! お家みたい! ううん、お家よりもっとひろーい!」
部屋に入るなり、アミははしゃぎながら走り回った。
それだけ動いても余裕があるほどに広いのだ。
「王都でこれだけの部屋……令嬢特権でなければ泊まれませんね」
部屋にはクイーンサイズのベッドが一つ。
アミは走った勢いのままに、そのふかふかの布団に飛び込んだ。
「やわらかぁーい……すべすべぇ……」
そのシーツの感触にすら感動するアミ。
メアリーはそんな彼女の無邪気さに思わず微笑み、ベッドの縁に腰掛けた。
「お姉ちゃんも一緒にゴロゴロしようよー」
「そうですね、気持ちが良さそうですし、私もお邪魔します」
肉体的、精神的にも疲労があるからか、ベッドに横たわると全身を心地よさが包み込む。
隣ではアミが文字通りゴロゴロと転がっており、どうやら“ゴロゴロする”という言葉の意味が互いにすれ違っているようだった。
あんなことがあったのに、元気なアミを近くで見て、メアリーは『何かしてあげたい』という欲求が湧き上がってくる。
(アミが喜ぶこと……あれしか思い浮かびませんね)
払う代償が恥ずかしさだけで済むのなら、そんなに軽いものは他にない。
「アミ」
メアリーに名前を呼ばれると、アミの動きが止まった。
彼女はつぶらな瞳で「んー?」とメアリーのほうを見つめる。
するとメアリーは四つん這いになってアミに近寄ると、そのまま上にまたがって、あどけない顔を見下ろした。
「お姉ちゃん……?」
不思議そうに見上げるアミの頬に、手を当てる。
「私は卑しい人間です」
しかしふいに、メアリーの表情は曇った。
「ふぇ?」
「欲求に従ったフリをして、アミとのふれあいを償いにしようとしているのかもしれない。愛情を偽って、どう許されようか頭の中では考えているのかもしれない」
するとアミは慈悲深い笑みで、今度は自らその頬に手を当てる。
「私はそれでもいい……って言っても、納得してくれなさそう。お姉ちゃんも、キューシーも、カラリアも、みんなそういうタイプだもんね」
「それだけのことをしましたから」
「してないよお」
「しました」
「してないって……でも、そんなだから、みんな私のことをちゃんと想ってくれてるんだなって、そう感じられるかな」
アミの笑顔は子供らしいものだ。
けれどそこには、大人顔負けの包容力を宿っている。
「こんなに大事にしてもらえて……えへへ、私ってば幸せものだね」
穏やかな言葉に、強い想いを感じて――引き寄せられる。
そうせずにはいられない。
柔らかい頬の感触を手のひらに感じながら、親指で耳たぶを軽く撫で、メアリーは何も言わずに顔を近づけた。
「あ……」
唇が触れ合う。
すぐに離すと、もう一度。
さらに、三度唇に。
次は頬、耳、首筋、額――メアリーは本能の赴くままに、アミに口づけを落とした。
そして一通り終わると、至近距離で見つめ合う。
アミは頬を赤く染めながら、頬を緩めた。
「んふふー……お姉ちゃん、急だねぇ。大胆だねぇ」
「したいと思ったんです。頭で考えるより先に、体が動いてました」
「嬉しい。お姉ちゃんが私を必要としてくれるだけで、私は何よりも満たされるから」
「アミ……まだ続けていいですか?」
「もちろん!」
「嫌だったら嫌と言ってくださいね、それまで止まりそうにありませんから」
「じゃあずっと止まんないね。私、いくらされたって嬉しいばっかりだもん」
メアリーも微笑むと、再び唇にキス。
やがて少女たちは抱き合って、ベッドの上で手と足を絡ませながら、何度も口づけを繰り返した。
「お姉ちゃん、好き」
その言葉の意味は、考えるまでもない。
メアリーはふっと微笑み、頬に手を当てながら優しく返事をした。
「私もアミのことが好きです」
「両想いだぁ……んへへ……んっ」
その幸せで、少しでも嫌な記憶が遠のいてくれればいいと、願いを込めて。
アミは確かに幸せだった。
その瞬間ごとに、これ以上は無いと思っていても、すぐにメアリーは想像を上回る幸せをくれる。
ただただ、何にも邪魔をされずに、その甘さを味わっていたい。
アミはそう願い――結局、生き延びるために寿命を使ったことを、誰にも伝えることはなかった。
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