097 その命の意味は
アミは地面を蹴って飛び出した。
目指すはメアリーの真横。
まずはスピードで圧倒し、突破を狙う。
(エラスティスがいるのは、たぶんあのテントの中――そこまで突っ込めば!)
メアリーからは、アミの姿は消えたように見えたはずだ。
しかし彼女は反応する。
自ら右腕を破壊し、その内側から生やした巨大な骨の腕で、アミの進路を遮る。
「いくらお姉ちゃんでも、この程度の壁なんてぇっ!」
現在のアミの魔術評価は50000相当。
元の数値のおよそ倍だ。
対するメアリーは25000――いや、『
それでも差は大きい。
アミの魔力がメアリーの骨を引きちぎり、強引に突き抜ける。
「おおぉぉぉおおおおおッ!」
あらゆる意味で、アミに時間は残されていない。
彼女はそのままテントに突っ込むと、その外装もろともエラスティスを吹き飛ばした。
そしてブレーキ。
地面を削りながら、数十メートル滑って停止。
アミはぐしゃぐしゃになったテントを見て、目を見開く。
「手応えがない――」
テントの中には、誰もいない。
「どういうことっ!? どこに行ったの!?」
公園の真ん中から周囲を見渡しても、彼女の姿はなかった。
焦るアミに、メアリーは静かに告げる。
「もうここにはいませんよ」
「それって……」
「あなたがエラスティスを狙っているのはみんな知っています。この場に残すはずが無いじゃないですか」
「そんな……逃したってこと……?」
考えてみれば、当たり前のことだ。
なぜ狙われていると知って、アミの近くにエラスティスを置いておくというのか。
(お姉ちゃんたちはここに残ってる。逃がすとしたら――マジョラームの社員。魔導車を使ってるんだ!)
アミは唇を噛む。
一方でカラリアやキューシーたちも、森から公園に戻ってきていた。
ここで戦ったって無意味だ。
探さなければ。
地道に足を使っていてもキリが無い。
最も簡単に見つける方法は――
「だったら、空を飛んでやるぅっ!」
アミは両足の車輪をフル回転させた。
ギュアアァァァッ、と『
「行ける――今の私なら、これぐらいの無茶ぐらい簡単にっ!」
舞い上がる砂埃に視界を塞がれたメアリーは、片手で顔を守りながら、悔しげに歯を食いしばった。
「メアリー、このままじゃ逃げられるわよ、どうするのよっ!」
「追跡を――しかし空を飛ばれては!」
「逃げられる……逃してはいけない……この他人から与えられたような欲求は……」
「メアリー、あなたなら追跡できないの!? 『
「わ、わかっています! 逃がすなんて――そんなこと、許すはずがありませんッ!」
すでにアミは空高くまで飛んでいた。
「この高さからなら見える――道路を走るマジョラームの魔導車、あれだっ!」
彼女はエラスティスを載せていると思われる車を発見。
慣れない足に多少ふらつきながらも、徐々に加速しながら追跡を開始した。
「すごく綺麗な景色なのに……私だけで独り占めするの、やだな」
青い空はどこまでも続く。
北には海、東には王都、西には懐かしいスラヴァー領の山が薄っすらと見える。
遥か彼方の地平線は曲線を描いていて、この星が丸いという事実を認識できた。
空気は澄んで、少し寒いけど風が気持ちよくて。
こんな時でなければ、メアリーと二人で空中散歩も悪くない――そんな夢を見る。
そうこうしているうちに、彼女は車の真上にまで到達していた。
能力を解除、重力に任せて、車の進路上に落下する。
そんなアミを狙って――
「
地表より、無数の骨の銃弾が放たれた。
「わー、お姉ちゃんかっこいい……」
思わずアミはそう呟いた。
だが見とれている場合ではない。
すぐさま脚部の車輪の能力で力場を作り、銃弾を防ぐ準備をする。
直線で移動したアミと、公園から地上を移動するしかないメアリー。
その差を埋めることが出来たのは、メアリーが骨で作った“バイク”にまたがっているからだ。
人骨まみれの悪趣味なボディに、今回はアミの力も借りられないため、車輪も骨で作られている。
そのせいで道路には優しくない作りになっており、走るだけで瓦礫を撒き散らす荒々しい走りを見せていた。
だがそのスピードは本物だ。
そして――わざわざバイクの両側に取り付けた、ガトリングガンの威力だって。
「づぅっ……『
メアリーの放つ銃弾の前には、防御が防御としての意味をなさない。
アミは慌てて回避に作戦を変更。
脚部の車輪により空中を飛び回りながら、徐々に地上へと近づいていく。
その戦いに気づいたマジョラームの車は停止。
メアリーはその横を通り抜け、壁になるようにアミと車の間に割って入った。
滑るように、アスファルトを削りながら停車。
なおも機関銃は火を噴き続けている。
それを避けながら、どうにか離れた場所に着地したアミは、すぐさま車輪を四個、手の指に挟んで放り投げた。
回転しながら迫る車輪を、銃弾が空中で撃ち落としていく。
「どうなってるの、あの力。魔術評価では私のほうが上のはずなのに!」
「アルカナ同士の戦いは、単純な魔術評価だけで実力は測れませんよ」
「アルカナ……バイク……まさかそれ、『戦車』なの!?」
「なぜ知っているのかはわかりませんが――正解です」
メアリーはすでに、先ほど食らったばかりのアルカナを使いこなしている。
仮に『戦車』が、クルスが持っていた能力とほぼ同等なら、アミも車両で対抗する必要がある。
だが彼女にはボディを作る手段が無い。
自分自身が車になれないか――とも考えたが、それが通用するのなら、とっくに『戦車』との戦いでそうしているはずだ。
「近くにエラスティスがいることはわかってる……あいつさえ殺せれば……殺しさえできればぁっ!」
アミは体内から車輪を生成し、自分の周囲に浮かべた。
十個――まだ足りない。
二十個、三十個、四十個と増やしていき、まるで虫を操るキューシーのような状態になった。
「行けえぇぇぇっ、私の車輪たちっ!」
手を前に突き出すと、車輪たちは同時にエラスティスのいる車に襲いかかる。
「機葬銃、全て撃ち落としなさいッ!」
バイクの機関銃がそれらを撃ち落とす。
さらにメアリー自身も、背中と両腕と腹部からガトリングを作り出し、計七門――『運命の輪』と『死神』の魔力が空中でぶつかっては弾け、ぶつかっては爆ぜ、さながら戦場のように炎で周囲を照らす。
「まだまだぁぁぁあああああっ!」
「おおぉぉぉおおおおおおおッ!」
互いに魔力の限りを尽くし、撃ち落とされても次の車輪を、また次の車輪を生み出すアミ。
対するメアリーも、機葬銃の銃口が砕け散るほどの連射――だが壊れてもすぐに次の銃が生み出され、それが車輪を撃ち落とす。
どちらの魔力が切れるのが先か。
そういう勝負だと、お互いに思っていた。
だが――
(体から力が抜ける……『運命の輪』の限界? いや――違う……脚が、消えてる……!?)
『
アミの体を蝕むそれは、制限時間までまだわずかに時間が残っているにもかかわらず、彼女から存在を奪いはじめた。
今までのように、体の一部が薄まるだけではない。
片足が消えた。
同時に、『運命の輪』が引き出した力も半分失われる。
「そんなっ、そんなのって無いよ! いくら反理現象だからって、ずるいよぉっ!」
反理現象は、術者の命と引き換えに発動する、既存のアルカナの力を超越した能力。
防げるものではない。
何より、アミがどれだけ嘆いても、術者の心は死んでいる。届かない。
「どうやらっ、私の粘り勝ちのようですね!」
メアリーの銃弾が全ての車輪を撃ち落とし――そしてアミは、ついに弾切れを起こした。
というより、心が折れたのだ。
攻撃の手を緩め、残った腕をだらんと垂らし、肩を落とす。
「意外でした。あなたのような絶対悪が、諦めよく負けを認めるなんて」
メアリーはバイクから降りると、アミに歩み寄る。
その手からずるりと棒を引き抜き、両手で握ると、それは鎌へと姿を変える。
「ですが認めようが認めまいが、あなたが許されることはありません。殺さなければ。そう、お姉様を傷つけたあなたは、私の手で殺されなければならない――」
アミの目の前で、鎌を振りかぶるメアリー。
「お姉ちゃん……」
アミはか細く、愛おしい人を呼び、きゅっと目を閉じる。
平原の風が草を揺らし、葉が擦れ合う心地よい音を奏で、頬を撫でる。
まるで天国に逝ったのかと思うぐらい、静かで平和な場所だ。
あるいは――メアリーは優しいから、痛みもなく首を落として逝かせてくれたのかもしれない。
そう思って、瞳を開いた。
「……っ、殺さなくては……殺さなくては……ッ!」
振り上げた刃は、震えながらも、まだその場に留まっている。
握る両手は爪が食い込み血が流れ――そこまで
ミシ……と骨が潰れる音がした。
「殺す……殺す……大事な人を奪われたのだから、大事な人を、ころ、して……殺して……でも、どうして――」
すぐに再生すると言っても、相当な痛みがあるだろう。
それだけじゃあない。
“憎もう”とする感情を強引に捻じ曲げれば、心だって傷つくはずだ。
「殺したく……ない……! この子のことを……いや、殺さなきゃ、殺さなきゃ、殺さなきゃっ! だって殺さなければお姉様が浮かばれないっ!」
強く歯を食いしばり、口の端からも血を流し、そして瞳には涙を浮かべ――
(ああ、私……)
アミは、戦場には不釣り合いな胸の高鳴りを感じつつ、そんなメアリーの姿を見上げて思うのだ。
(生きなくちゃ。お姉ちゃんたちに背負わせちゃいけない、私なんかの死を)
一ヶ月の命は、アミが自分自身で選んだものだ。
だから彼女自身は後悔なんてしないつもりだった。
だけど、メアリーは違う。
いや、カラリアやキューシーだってそうだ。
勝手に押し付けた“残り一ヶ月”という言葉を背負って、優しくしてくれて。
命令されたわけでも、頼まれたわけでもなく、アミが選んだことなのに――それでも報いようとしてくれて。
こうして、神様にだって抗おうとしていて。
その力を、誰よりも直接的な方法で体に宿したアミだからわかる。
本当は無茶なことだ。
義務感だけじゃ、絶対に不可能なことだ。
だから想う。
何があっても――残り十七日の命を、余すこと無く使い尽くさなければならないと。
誰のせいにもしない。
誰にも背負わせない。
この世のどこにも、後悔を残さぬよう――
「ありがとう、お姉ちゃん」
その抵抗に、心からの感謝を告げる。
残る一本の脚も、すでに半透明。
けれどまだ動く。
車輪が回り、アミは加速し、殺意に耐えるメアリーの脇を通り抜けて魔導車に迫る。
フロントガラスの向こう、運転席には怯えた様子の社員が一人。
後部座席には女性が二人。
左側――虚ろな瞳で天を仰ぐエラスティスに向けて、アミは車輪を投擲した。
ガラスを砕き、キラキラと輝く破片を浴びながら、女の首が飛んだ。
最後の一瞬、彼女はアミのほうを見て、口の動きだけでこう告げた。
『ごめんなさい』
アミは理解する。
おそらく今回の反理現象は、エラスティスが望んだものではないのだと。
あのとき、通信端末に耳を当てて、
首が落ちる。
切断面から血が噴き上がる。
車内が赤く染まり、社員たちは叫び、ドアを開いて転がるように外に出る。
手の甲を見れば、そこに数字は残っておらず、消えかけていた体も元通りになっている。
加えて、『運命の輪』に変えられた脚部も人のものに戻った。
アミの体からふっと力が抜ける。
ガクッと崩れ落ち、膝をついた彼女は、顔を真っ青にしてこちらに駆けてくるメアリーを安心させるように、にへらと笑った。
もっとも、その弱々しい笑みは、安心させるどころか逆効果になったようだが。
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